On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

「ココ」にしかいない自分を見つけて。ーココマップのすヽめー

最近実は、真剣に、同居人とのお別れを考えた。

 

どれくらい真剣かと言うと、

新しく家を探し、一緒に暮らす犬(女三人暮らしのボディーガード、的な)を探し、新生活に必要な車の購入を決めた。

 

結果としては、いろんな流れの中で、車を購入する以外の全部を白紙に戻した。

 

 

 

しかしなぜそんな行為にまで至ったかと言うと、彼に対して

 

「彼の言動が許せない」

 

という気持ちが膨らみすぎたから。

 

 

出ていくのには、至極 真っ当な理由な感じがする。

 

なのに、家を出て行く準備が進めば進むほど、

胸は重く苦しく痛み、思考はぐるぐるに駆け回って落ち着かず、身体の動きは鈍くなっていく。

 

目にする言葉という言葉、事象という事象、星の動きやら占いまでもが、口を揃えて

「今こそ変化の時」

と言う。

 

そうだよね、と思う。

まさに変化の時に来ていると自分でも感じる。

 

だから、この停滞感は、行動で突破するしかない。 

 「門出だ。もっと理想とする環境を、自分に用意してあげるんだ。」

 

そう思うのに、なぜかちっとも晴れやかじゃない。

 

 

「この晴れない感じは、彼に対する情から出るものだ。振り切ろう。」

「新しいことをする時はいつだって不安になるものだ。

 この不安を振り切って前に進もう。」

 

 

そんなふうに自分に言い聞かせたりもした。

 

でもどうにも、もやもやが消えない。身体が動かない。

自分の中に確かにあって、無視することができない感覚。

それは、

 

「なにか大事なものを置いてきぼりにしようとしている」

 

という感覚。

 

過去にも何度も、大きな別離のたびに

「なにかを置いてきぼりにしてる」

という感覚は、うっすらと感じてきた。

 

だけどすべて、つぎの行動を起こすことで突破してきた。

その「なにか」をじっくりと見ようとしたことはなかった。

だって、なんかそれは、楽しくなさそうだったから。

行動することで見えてくる新しい世界を、いつだって見に行った。

 

 

 

でも今回の離別に関しては、

 

「逃げるのは、もう散々やったじゃん。もういいだろう?」

「 また 、置いてきぼりにするの?」

 

 こんな感覚が拭えない。

 

 

「逃げる」って何? どういうこと?

彼から逃げるってこと??

「また」って何?

私、今まで逃げてきたの?何から?

 

 

 

考えても考えてもわからなくて、あまりに気持ち悪いから、まゆさんを喫茶店に呼んだ。

 

自分の中のモヤモヤをどうしてもクリアにしたくて、半日かけてマンツーマンで

「ココマップ   ー自分発見型エンターテイメントー」

をやってもらった。

 

ココマップって?と思った方はこちら。

chapawonica.hatenablog.com

 

 

そこで、やっぱり出てきた。モヤモヤの正体。

 

それは、

 

 

 すごくすごく、すごーーーーく、怖がっている自分  

 

 

え、普通?

でもね、私はこんな自分ーー仮に「怖いちゃん」と名付けよう。

この子を、これまで無いことにしようとしていた。

「誰に理解されなくても一人で頑張ってきたもん」

っていう、強がりで負けず嫌いな私がいて、

 

「全然怖く無いもんね!」

「怒ってなんか無いもんね!」

「一人でも全然平気だもんね!」

 

こんな台詞を吐いている。

明らかに、ビビってる笑

 

さらには、

 

「怖がってる自分は、本当の自分じゃないから。

 自分の本当の願いは、怖がることじゃなくて、人間を信頼することだから。」

 

って、きれいごと被せたり。

あの手この手で、「怖いちゃん」が出るたび、自分の中で瞬殺してきた。

 

 

この「怖いちゃん」は多分、幼少期から大人になるまでの間に自分の中に育ったキャラクター。

この子が、目の前で起こるいろんな事象に対して、一回一回『怖いフィルター』をかける。

しかも、自分にとって重要な出来事や、大切に思う人に対してこそ、『怖いフィルター』をかけようとする。

 

 

でもココマップをやり尽くしたら、認めがたいその子も

「いまの自分を自分たらしめるために絶対に必要なメンバー」

だって、認めざるを得なくなっちゃうわけです。

はい、逃げるの終了〜〜🎊

 

 

「怖いちゃん」の内容物は、ざっくり言うと

  

・自分が大事にしているものを傷つけられるのではないかと怖い

・自分が蔑ろにされるのではないかと怖い

・自分がいいように利用されるのではないかと怖い

・馬鹿にされるのではないかと怖い

・理不尽な目に合わされるのではないかと怖い

 

など、など。

 

 

 

この〈 怖いちゃん 〉は、自分の理解を超える言動や、感情を揺さぶってくる言動をする人に対して、

 

「わたしに、何かひどいことをするんじゃないでしょうね?」

 

って、警戒心を激しく燃え上がらせる。

  

 

生きてりゃ傷つく。

傷つきゃ学習する。

恐れることや、構えることや、疑うことを覚える。

 

肝心なのは、〈 恐れることや構えること、疑うことを覚えた自分 〉を、

「理想の自分と違うから」とか、「怒ったりビビったりしないほうが穏便に済むから」って、否定してしまわないことなんだな、と。

 

〈 怖いちゃん 〉は、単純に「もう自分を傷つけたくない」っていう〈防衛本能〉から育ったんだと思う。

自分を守るためにも、この〈 怖いちゃん 〉は、ここまできっとたくさんいい仕事もしてきてくれたはずなんだ。

 

いい人ぶってないで、〈 怖いちゃん 〉の存在をしっかりと 認めてあげないことには。

「誰かを置いていく」感覚はきっと、永遠になくならないんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

ココマップで私が見つけてあげた

〈 怖いちゃん 〉

 

 この子を見つけて、認めてあげられたことで、私の世界の見方は覆ってしまった。

だってビビってるんだもん。常に。

ビビってる自分を認めつつ、それでいて、

〈 怖いちゃん 〉が見る世界が全部じゃないよね、

って自分に言ってあげる。

なんて自分に対して優しい行為なんだろうと思う。

 

 

〈 怖いちゃん 〉を見つけたら、同居人の彼のことを、前よりもずっとずっと、プレーンに見ることができるようになった。

 

 

同居人の山伏さんは、使う言葉にブラックジョークが混じりすぎていたりして、

あとは分かり易すぎる調子の良さがあったりして、周りの人を怒らせやすい傾向は、確かにある。

 

でも、言葉以上に、行動。

行動そのものをよく見れば、本当に優しい。

彼はいつも、表面的なところだけを見ていない。

口は悪くても、人の奥の奥まで、理解しようと想像力をいつも働かせている。

思いやりがとても深い。

彼のそんなところに、何度も何度も、深く感心し続けたこの一年だった。

 

 

 

そしてきっと、私と同じくらい、怖がりで、疑い深くて、不安を抱えている。

そうじゃないと、お互いの言動に反応しあったりすることはない。喧嘩になり得ないと思うから。

 

私と彼が違うのは、それらの一見ネガティブな感情も、彼は包み隠さず表に出していること。

 

だから、私がざわつくわけだ。

私がずっと見たくなかった〈 怖いちゃん 〉の存在を、この人は何の意図もなく、自然体で知らせにくるんだから。

 

  

〈 怖いちゃん 〉の存在があるのに、その子のことを私が無視している間は 

 

 「私を大事にしていないんじゃないかと怖い。」

「私を大事にしないなんて、許せない。」

 

こんな想いばかりが一人で先走ってしまうことが多々あった、というわけだ。

 

山伏さん、ごめんね。

これまで、たくさんたくさん、大事にしてくれたのに。 

 

 

〈 怖いちゃん 〉に気づいてあげられたら、この一年間、彼と一緒に暮らしている中で、どれだけ愛と恩恵を受けてきたか。

痛感されすぎて、湯船でひとり、声をあげて泣いた。

もう、きれいごと抜きの感謝の念が、湧いて湧いて、溢れて湯に落ちた。

 

うわああああ

ありがとうすぎる、

あなたの存在でかすぎる、

心の支えになりすぎてる…!

 

って。

なんというか、自分の身を覆っていた薄い鋼鉄が、はらはらと、落ちていくようだった。

 

置いてきぼりにしていこうとしていたのは、

彼でもなく、彼に対する愛情でもなく、

他でもない、「自分自身」だったんだな、、、、

 

 

 

実は、一昨年 山伏さんと出会った頃から、心臓の近くに、何か重くて固い塊が感じられるようになった。色は、濃紺。

時々、ずきずきと痛んだり、重みを増したりする、不思議な塊。

 

「山伏さんと会ったから、生まれたのかな。」

 

って、考えたこともあったけど、違っていた。

 

元々、あった。

私はその塊を、元々 持っていた。

ただ、その存在に、ずっと気づけなかっただけだ。

 

彼と出会って、その存在に気づくきっかけをもらった。

癒していくチャンスをもらった。

 

そんな風に、今は解釈している。

 

だって、〈 怖いちゃん 〉を見つけてあげて以来、もうその塊が重苦しさを放つことは一切なくなってしまったから。

 

そして、〈 怖いちゃん 〉を見つけてあげた今の私は、今まで以上に安心して、山伏さんとの時間を過ごしている。楽しんでいる。

思うがままに甘えている。

彼のジョークに吹き出している。

思い切り喧嘩もする。だけど絶望はしない。

起こることの一個一個を、少し離れたところから眺めていられる。

 

ああ、しんみりと、幸福を感じる。

面白いね、人生ってやつは。全く。

 

 そしてココマップを生み出したまゆさん。

かつて、教員時代に鬱病の診断をもらった時、どんな凄腕の心療内科医にかかろうと見つけてあげられなかった私を、ココマップの「楽しい」っていう最強の安心感が助けて、見つけに行けちゃうんだから。

もう本当に、すごい。天才すぎるよ。

 

 

年明けに「自分サミット」なるものを開催した時、自分の中から新しい夢が生まれた。

それは、ラムピリカに登録制のスタッフをつくること。

 

気分のいい時にだけ出勤してくる、最高にゴキゲンなスタッフたち。

研修としてココマップを必須項目にしようかな、なんて考えてる。

 

自分の中のメンバー全員を認めてあげることの大切さを、知っている人たち。

どんな自分に対しても、いいも悪いもなく、ただ、「ああ、いるね」って言ってあげて、最高に自分に優しくできる人たち。

そんなチームで、一緒になって作りあげる喫茶店

 

どんな時空間が、料理が、珈琲が生み出されるのか。

想像すると、得体がしれなすぎて、でもなんだかとってもよさそうで。

笑いがこみ上げてきてしまう。