On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

愛着について

10年大事にしてきたダウンジャケットを失くした。
失くしてから思い知る。結構、深い思い入れがあった。

色も機能もデザインもほんとうに気に入ってたし、パーフェクトな一着だった。

 

こんなにも突然、忽然と、失くなったりするものなんだなと思った。

 

悲しさ、悔しさ、やるせなさなんかが溢れ出てきた。
「失くなったものは仕方ない」

そんな風に前向きになるにも、忘れてしまいたいと簡単には思えないほど、大切なものだった。

 


幼い頃、私はたくさんのおもちゃを必要としない子どもだった。
3歳くらいから一つのぬいぐるみに名前をつけてずっと愛でていた。手触りから色、その形大きさ匂いまで、いまでも詳細に思い出せる。


小学校高学年に上がってもそのぬいぐるみを大切にしていた。

だけどある日突然、親に捨てられてしまっていた。悪気はなかったんだろうけど。
悲しくてたくさん泣いたけど、その気持ちは理解してもらえなかった。

こんな風に、一つのぬいぐるみを大事にしすぎる私が変なんだきっと。

そんな風に、当時は自分を否定してしまった。

 

だけどやっぱり近年、自分に立ち返れば立ち返るほど、私の本質はこれに尽きるんだと思う。

 

「本当に好きになるものはとても少ないけど、

 一度好きになったものは大切にする」

 

 

 

大人になって、自分で自分の生活を作るようになって、「ほんとうに大切にできるもの」をと一つ一つ選んできた日々は至福だった。


その結果なのか今年の夏に日本のミニマリストとして、海外のテレビ局に取材を受けたりもした。

 

取材を受けてみて改めて気づいたけど、私の持ち物はほんとうに少ない。
だけど、ほんとうに好きなものしか持ってない。

一つ一つに想いがあるからそれなりの「重み」はあるかもしれないけど、実際にはそのおかげで身軽だ。

少ない持ち物を手早くまとめたら、いつでも移動できる。

(最速3時間で引っ越したこともある笑)

 

ダウンジャケットはその「大切なもの」の中でも、完全に一生一緒にいると思ってた部類に入る。

 

毎年冬が終わると専門のクリーニング店に出して、どんなにお金がないときでも「これはちょっと、クリーニングにかける金額じゃないでしょ」って周りから言われるくらいのお金をかけて、職人さんの本気のメンテナンスを受けていた。

一冬を終えて、くたっとしてきたその子が、ピカピカになって帰ってくる。迎え入れて、嬉しくて、フッカフカになったファーや優しい光沢を取り戻したジャケットに頬ずりする。匂いを吸い込む。

ほんとに、地味なんだけどね笑

こういうことに幸せを感じてしまうタチなのです。もう九十九神憑いてたと思う。笑

今こうやって書いていても、悲しさが盛り返してきて泣けてくる。

 

でも受け入れるしかない。失くなったんだ。

 

散々悲しんだ後で、さっき、手を合わせて感謝をした。

これまで本当にありがとう。

私の身体に沿って、優しく軽く、ほんとうに温かく、ふんわりと包み込んでくれていた。とても素敵で上質な一着だった。
作った人に感謝したくなるくらい。

どこかで拾われたりしているかもしれない。大切にしてくれる人だといいな。

 

そして、「ほんとうに大切なもの」を、

新たにまたひとつ探しはじめる時期なのかなと。そんな風にも思う。

 

 

 

「愛着」と「執着」は、下手したらいとも簡単にすり替わってしまいそうだけど、全然違うものなんだなと今実感を持って感じてる。

 

愛で続けて、そしてそれを想って嬉しくなるなら、「愛着」

これは世界に増やしたらいい。

 

絶対に手放せないと勘違いするのなら、苦しいのなら、「執着」

これはどんどん削ぎ落としたい。

 

執着したくない。

大好きなものを、ただ大好きなままにしておきたい。

ならば、手放すときがきたのだと受け入れたら、感謝して、潔くさよならする。

 

「一緒にいなくても、大好き。

でも、こんなに大好きになれたのは、これまで一緒にいてくれたから。

ありがとう。」

 

ああこれ、好きな人にも言いたいことだな。

 

この世界に、変わらないものなんてない。

それでいて、何かを誰かを愛おしいと想う人間の心は、ずっと変わらないのかもね。

 

ふう。長々とここまで書いてやっと、気持ちが落ち着いてすっきりしてきた。

読んでくれた人がいたら、ありがとう。

 

 

 

そうそう、余裕が出てきたところでおまけに一つ、最近あった面白いエピソードを。

 

実は先月初めの台風で、ラムピリカ前に停めてあった赤い自転車が吹き飛んだ。

雨戸入れに入っていた雨戸が二枚飛び出して、店の前の道路に転がって居たくらいだから相当な強さの風が吹いたのだろう。

自転車は完全に、喫茶店の前どころか、町内から消し飛んだ。

 

f:id:Naima_c:20181113232627j:plain

ボードに隠れすぎてるけど、これ☝︎

 

 

大事な友人からもらった自転車で、やっぱりこれも愛着があったので、とても悲しかった。

だけどその時は、漠然となんだけど、予感が湧いた。

「また、ふとした時に戻ってくる気がする」

 

 

そしてちょうど2週間くらい前の夜のこと。

私は待ち合わせに遅れていた。

ショートカットのために普段は通らない道をあえて選んで、江ノ島の近くをひた走っていた。

どんなに走っても、10分は遅刻が確定だった。

「こんな時に、あの赤い自転車があったらな…」

ふと考えて、江ノ島ボウルの駐輪場の角に差し掛かる。

駐輪場の端に、一台の自転車を見つける。

暗闇の中、ぼんやりと浮かび上がるその輪郭…

偶然にも赤…

「ん?」

 

以下全部、私一人でした会話ね。

 

 

「なんか、見たことあるフォルムだな」

 

「ん?」

 

「いやでもね」

 

「んんん?」

 

「いやいやいや、まさか」

 

「えっでもさ」

 

「えっえっえっ嘘だろ。嘘でしょ!!!」

 

「嘘じゃなかったーーーーーーーーーーー!!!!!」

 

 

五度見した後でやっと理解できた。

失くなった自転車だった。

想像した瞬間に、想像したものが目の前に現れて、夜道に一人、声にならない声で大混乱した。

 

すぐに豊田さんに電話して、

「ねえっ!!すごい面白いことがあったの!!!話していい????!!!」

 

自転車を漕ぎながら大興奮で話す私の話を一通り聞いた豊田氏は、

 

「さすがですね」

「必要な時がわかっていて、そこで待っていてくれたのかもね」

「というか、それでも遅刻だよね」

 

と落ち着いて話してくれて、笑った。

台風に吹き飛ばされた後遺症でギコギコ鳴る自転車に乗って、遅刻は2分に短縮された。

 

世界は実に不思議で愉快だな、と思った事例。

 

 

あるべく時に、あるべくして、そこにある。

一緒にいるべき時に、一緒にいるべくして、一緒にいる。

その、偶然のような必然のような時間の中で、唯一無二の愛着がうまれる。

この尊さたるや。豊かさたるや。

ダウンジャケットは失くなったけど、きっと次の新しい展開が待っているんだろね。

 

このブログを書き始めた頃には泣いていたのに、いまは来たる未来にワクワクしている☺️