On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

身を開く

最近の私の関心ごと。それは身体のこと。

 

持って生まれた身体感覚。

誰しもが生まれた時は、持っている身体感覚の100%が生きていたと思う。

ただ、その感覚を言語化する術がないので、そのために「赤ん坊は何もわからない、無垢だ」といったようによく語られるけど。私はそれは大きな間違いだと思っている。

 

喫茶店やイベントで出会う小さな人たちを見ていると、よく感じる。

ほんとうに、赤ちゃんほど、全てをわかっている人はいない。

空気を読み、空気の移り変わりを読み、人から出ているエネルギーを読み、そして自分を知り、そして愛をただただ享受することが自分の仕事だと知っている。

 

 

 

持って生まれた身体感覚。成長していく中で、その感覚は、自分の身を守るため、または自分を社会に適合させるために少しずつ少しずつ、眠らされていくように思う。

 

大人になった今、持って生まれた感覚のどれくらいが顕在しているんだろうと思う。

 

 

 

大人になりたくない、歳をとりたくないとかつては思っていた。

それは、「感覚や能力は失われていくもの」だという一つの概念にとらわれていたから。

 

だけどその考えは年々改まっている。

今はこう考える。

「大人になるまでに閉ざされた感覚は、もう一度、開くことができる。

 または、年齢や体験を重ねることでしか開かない感覚もある。」

 

 

そう思うから私は、最近では自分の持っている感覚を可能な限り引き出してみたくて、その興味好奇心が起爆剤になって新しい体験を求め行動している。

 

 

 

 

先月から糖質制限をはじめた。あんなに大好きだったアイスクリームやチョコレート。

全くと言っていいほど食べない日々が続いている。

 

 思考や感覚が以前よりもクリアになった気がしている。

というか、以前は明らかに、食べた後の頭や身体の重たくなる感じにやられていた。

にも関わらず、ちょっと依存的なくらい、何かとちょこちょこつまむという生活を送っていた。

 

 

 

糖質制限を始めてから2週間ほどたった日。

大好きなミュージシャンのライブ。楽しいはずだったその場で、自分の鼓膜の振動が微細に感じ取られすぎて、ちょっとだけ気持ち悪くなってしまうという体験があった。

 

週末、イベントではじめてタイ料理を大量に作り続けた。

レシピだけは簡単に確認しておいたものの、盛り付けや調理手順など、無計画のNO練習で本番に望んだにも関わらず、訪れた人たちからは大絶賛の言葉を受けた。

「その辺のタイ料理屋よりもずっと美味しい」

「こんな裏技持ってたなんて。定期開催してほしい。」

 

自分でも、試食してみて思った。美味しい。

たくさんのタイ料理屋を巡ってきたし、何よりタイ育ちだ。自分の作るタイ料理の美味しさに、「本場感」に驚いた。

直感ばかりを頼りに作ったわりには上等だった。

いや、直感ばかりを頼りに作ったから、きっと美味しくなったんだ。

 

 

 

 

もしかしたら、なんだけど。

お砂糖とかお酒とか大音量の音楽とか、あとはなんだろう、刺激の強い映画や動画や、遊園地なんかも?一時的に訪れて、その後しばらくすると欠乏感を呼ぶような依存性のある快楽。

脳や身体の感覚がぼんやりとするような、結果的に鈍くなるようなものが今の世界に溢れているのは、そして多くの人がそれを求めるのは、それをしていないと、感覚を鈍らせていないと、この社会で生きるのは辛いことになってしまうから、なのかもしれない。

全ての人がこの事実に当てはまるわけではないけれど、甘いものや腹十分目の食事が幸せの象徴で、「エンターテイメントでストレスをぶっとばせ」的文化の中で育ってきた私は、当然のように最近まで、その流れに乗り続けて生きてきたように思う。

 

だけどほんとうは、自分の生きる環境を、自分の身体を、「自分にとって最適!」に整えてあげられてさえいれば、自分の体の感覚を鈍らせるようなことをしなくても本当はこと足りるのかもしれない。

 

 

あとは、誤魔化さなくても、鈍らせなくても、子どもの頃みたいにむき出しの感性でも…いや、剥き出しの感性だからこそ。

誰もが世界に対する面白さを、楽しさを、存分に感じられるようになったらいいなと思う。

 

そんな世界を増やしていくために、私ができることはなんだろう。

…と、つい大きなことを考えるのだけど。

 

私がまずは勝手に心地よくいることかなと考える。 怖れに捕まることもあるけれど都度眺めて、そして手放して、身を開き続けていることかなと思う。クリエイティビティを死なすな。

 

自然と身を開いている私のつくる場所に集う人たちはきっと、自然と身を開いているのが好きな人たちだろう。

その人たちと一緒にいれば、心地よさや楽しさやクリエイティビティは、これからもきっと、勝手に増幅するのだろう。

 

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パートナーができて数ヶ月が過ぎた。

楽しいことがこれまでの10倍くらい増えたのに対して、嫌なこと、見たくなかった自分に出会う確率も3倍くらい増えた。

 

自分の奥底で眠っていた自分、蓋をしていた自分の本音に出会えると、その場の波風は立ちやすいし、自分のことが信じられないなんて気持ちなることもある。

そんなことは確かにあるけれど、結果的にはまた一つ自分を知って、否定することもなく「ああそうなんだね」と認めてあげるだけで、また一つ身軽になっていく。

その繰り返しで、一つ一つ丁寧に、自分を開いていってあげているんだろう。

 

側でいつも話を聞いてくれる彼。

かっこ悪い私を見せてごめんなさいと泣きながら話したら、「少しもかっこ悪くないよ」と返してくれた。(君の闇はそんな程度かと笑われたりもしたw)

側にいてくれることに感謝。

そのままのあなたでいてくれることを責めてしまう時もあるけど、ほんとうはそのままでいい。幸せでいてほしいと願ってる。

いつも、ありがとう。 

 

 

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身を開いて、蓋をしてしまった自分に出会い続ける。

身を開いて、新しい自分に出会い続ける。

 

 

人類は進化するのか、退化するのか。

どっちだっていい。心地のいい方へただ向かえばいい。

 

ただ、最近の子ども達や、彼らに倣うかのように生きる大人達をみているとーー

しがらみやノスタルジーや古い慣習からどんどん縁のないところに進んでいく人たちをみているとーーー

 

ああきっと進化するんだろうな。

地球は人類は、きっと大丈夫だなと、漠然と思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bf-FUt9hcVa/

「毎月南の島に、海に入りに行こう」奄美大島から戻ってから、そう思うようになった。