On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

毎日、雨。

昨日、たった1日だけ晴れた。

 

大切な友人二人の誕生日を祝うためにきっと晴れてくれた。

「陽に向かう」という名前を持つ赤ちゃんのお母さんと、「陽の花」という名前を持つ女の子のお母さんが喫茶店を訪れた。

あまりにもむき出しな感受性で宇宙からも人間からもたくさんを受け取り過ぎてしまう友人は、昨日で38歳になった。

何度も何度も、千秋ちゃんありがとうと言っていた。嬉しさに叫んだり、踊るみたいに揺らめいたりしていた。だけどその夜、彼女にとって悲しい出来事があって、多分泣きながら眠ったのだと思う。生きているといろんなことがあるけど。私は彼女と未来の話をすることがとても好きだ。

 

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‪「安心感さえあれば全てがうまくいったんだろうな」とか、「安心感さえあれば全てがうまくいくんだろうな」とか、考えるのだけど、その「安心感」こそがときに一番難しいことだったりする。

 

安心感は誰かに与えてもらうものじゃなくて。

自分の中から見つけ出すものなんだと思う。

 

生きているうちたった一度でも、人と深いところでつながったことのある人なら、その安心感をすでに体感しているんじゃないかとおもう。「自分の中にすでにあったもの」をきっと見つけ出せている。

その人が忘れてしまっても、認められなかったとしても、着込んだたくさんのものに埋もれてしまっていたとしても、身体の深いところはきっと必ず覚えている。

 

そのたった1度は、あまりにも無垢で、きれいな場所にあるものだから、見失われると酷く身体が痛む。とくに、たくさんのモノや出来事に溢れたこの世界では見失われやすい。

だけど目の前から消えてなくなってしまっても、ただ「見失っただけ」だ。着込んだたくさんのものに埋もれてしまっていたとしても、身体の深いところはきっと必ず覚えている。

思い出しづらくなることがあっても、確かな安心感の記憶は、決してなくなることはない。そのことをいつも信頼して生きていこう。  

 

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ジョゼと虎と魚たち」を観た。

 

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観ている間中黙って淡々と見ていた。

最後のエンドロールが始まった瞬間、パチンと水風船が破裂するみたいに泣いている自分がいた。

泣いても泣いても涙が止まらなかった。

映画で、声を上げて泣いたのは初めてだった。

 

私は足も悪くないし、ジョゼのような深遠な感性を持ち合わせてはいない。

だけどジョゼがいた真っ暗闇は、きっと知っているんだと思った。私だけじゃなく、すべての人が本当は知っているんだと思った。

ただ、そんなこと誰も知りたくないんだと思う。見たくもないんだと思う。見るのはとてつもなく怖くて、それでいて、きっと絶対的な安心感を連れてくる。生きることのベクトルが、深いところできっと変わってしまう。