On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

素直

頭の統制から身体が離れた人ほど自由になって行くのかもしれない。

自分の心からの、身体からの、命そのもの、魂そのものからの望みを見つけてあげられた人からほんとうの自由を見つけていくのかもしれない。

 

たくさんのノスタルジーが仄かに魅力的な香りを放つ中、それらを楽しみつつも、わたしは自分の命のほんとうの望みを、明確にしておいてあげたい。


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毎瞬間いろんな思いが生まれる。休まることが殆どない。

考えることが好きだ。だけどたくさん考えた後には、心も身体も魂も、気持ちよくさせておいてあげたいなというところにたどり着く。

そこから生まれるクリエイティビティ。余裕や余剰があるところから生まれる表現はいつだって、結果的には自分にも人にも限りなく優しいんだと思う。

そんなかたちで人に与えることができたときに、私もさらに豊かになれる。そうやってめぐる、目には見えない贈り物を大切にしていきたい。


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先日喫茶店を貸切で借りた人が、喫茶店の中でお酒をたくさん飲んだらしい、畳を汚し、貸し出したスクリーンに傷を付けて帰っていった。
その人の退店後に傷や汚れを確認して、むっかー!と来つつも、坦々と清掃作業に入った。

だけど結局、これは、この怒りは押し込めちゃいけないやつだなと判断して、すぐにその場でその人に電話をした。

 

「こんな風に乱暴に扱われることはものすごく不快なことなので、もう二度とうちの喫茶店に予約を入れないでください。」

 

言葉を選びながらも、自分の思いをまっすぐに伝えた。

 

お客さんに向かって言いたい放題言ってまずかったかなとか、恨みを買ったりすることがあるかなとか、そんな心配も少しは湧いたけれど、自分の思いを飲み込んで腐らせるよりも300倍いいと思った。


そして「場を公にする」と決めた以上、大事なことはどこまでも、「出したいものは全部出す」ってことなんだと思った。それがたとえ怒りであったとしても、正直に出す以上は多分、最低限の誠心誠意が込められた愛だ。誰に対しても堂々と、「私はこの喫茶店が大切なんだ」と、ちゃんと表現することなんだと思った。

 

 

でも、今回の件、頭にきた一方で嬉しくもあった。私、ちゃんと怒れるじゃんと思った。大切なもの、はっきりしてんじゃん。

 

 

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先日、私が親愛を寄せる人が

「あなたがあまりに正直で笑ってしまった。その正直さに、徳の高さをみました」

と話してくれて、そうかな、私はただ我が儘(われがまま)なだけだよと思った。

でもそのあとで「我が儘は最高の美徳」という本があったことを思い出した。

「そんな風に受け止めてくれる、あなたの徳がまず高いんだろうな」

私は思った。


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停滞時間。この時間を今の生活ではたっぷりと取れるから、アイデアも湧くし、怒涛の勢いで文章が溢れ出したりもするし、時間も疲れも忘れて絵を描けるし、渾身の集中力を注いで珈琲を一杯一杯、大切にしながら淹れられる。のかな、と思う。健やかに、安心して停滞していよう。


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‪自分の心がどこか遠くに行ってしまったような気がするときは、自分にとっての地雷を沢山秘めていそうな(感情がひどく揺さぶられそうな)作品や文章や過去の思い出なんかにあえてアクセスしまくるのもありなんだなと思う。‬
‪たくさん涙が出たりズキズキと痛む場所があるのなら、そこには「心がちゃんとある」ってこと。一先ずは確認できる。‬
‪これ、一見あんまり自分に優しくない方法に見えなくもないんだけど、でも「いつか置き去りにしてきてしまった心」がそこに在るから、痛むわけで。‬
‪だから長い目で見ると、自分に優しくするための第一歩目なのかなと思う。‬


‪痛いね。うん確かに、痛い。散々感じたら、たくさんの涙が古い痛みを押し流してくれるし、たくさんの涙が洗い流してくれた視界は、前よりもきっとクリアだ。‬
さあ、そこからもう一度、ほんとうに向かいたいところへ。
自分の心地よさに、愛に、いくらでも出会うためにまた出かけよう。

 

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