On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

テクノロジーのおかげでスピリチュアリズムとクリエイティビティで思う存分遊べる

今朝は8時頃に目が覚めた。
昨日の喫茶店開店時にお客さんが使った食器の山を食洗機におさめスイッチを入れる。
強力粉の在庫が余っているので豆乳と一緒にホームベーカリーに投入してスイッチを入れる。
昨日は開店で洗濯ができなかったので、2日分の洗濯物を洗濯機に入れてスイッチを入れる。
布団をあげた畳の部屋で今日の日の最初の掃除をするためにルンバのスイッチを入れる。
それらのスイッチを入れている間に湯船に貯めたお湯に、いま浸かっている。本を読んだりこうして文章を書いたりして2時間くらいは過ごすのが私の日常。

こうしていると、本当によい時代だなと思う。電気さまさま、テクノロジーさまさま、これらを作ってくれたみなみなさま、ほんとうにありがとう。感謝の念が湧く。私のエネルギーを注いでやるはずだったあらゆる作業を、こうして私が本を読んでいる間にテクノロジーさんたちがやってくれるなんて、なんてありがたいんだろう。

今読んでいる本は、リズ・ブルボーの「からだの声を聞きなさい」
好きな本で、久しぶりに再読している。とてもスピリチュアルな内容。「この身体の目には見えないけれど、見えないだけでどうやら確かに在るらしいもの」の話はとても好きだ。

 


最近、絵を描いているときに訪れるひとりきりの時間に何とも言えないよさを感じている。
わたしが描くのは主に喫茶店の看板やデザイン画なので、「人に見せる」ことを前提としてはいるのだけど、描いているときはオーディエンスの存在が私の世界から消えている。そんな時間は、言ってみたら私にとっての自浄の時間なのかもしれない。
描きながらも時々は、自分以外の人たちの存在を思い出すこともあるけれど、「オーディエンスが喜びそうな絵」を描くことよりも優先させたいことがいつもある。それは、ただ単純に「私が見たい画を描く」ということ。

嬉しいのは、最近出会うあらゆるものが、あらゆる人が、「それでいいんだよ」と言ってくれている気がすることだ。むしろ本当は、最初からそれでよかったのに、私だけがその大切なひとつの答えを受け入れるのに時間がかかってしまったのかもしれない。


余白があるというのはほんとうにいいことだ。絵を描くにせよ、音楽を奏でるにせよ、新しい概念を創造するにせよ、なんでもいい、自分の真ん中と語り合う静かな時間をもつ余地が生まれるということだから。「生産性があるかないか」なんて測り方はもはや過去の幻影になっていくんだろうと思う。それよりも「テクノロジー発展のおかげで生まれ得るこのたくさんの余白で、スピリチュアリズムやクリエイティビティを生かしていかに思う存分遊ぶか。」

そういう時代にどんどん移行が進んでいくんだと思う。どんどん移行していったら、今価値があるとされているものも、数字で表されているお金も、常識とされているようなものも、あらゆるものがひっくり返り得るのではないかと思う。
「心と身体が統合されたいのちそのもの」があらゆる物事の最優先事項になっていく時代。

テクノロジーの発展をになってきた人たちが、そんな状況を具体的に目指して発展させてきたわけではないだろうけど、でも発展の動機は至極純粋でクリエイティブなものが多かったのではないかと思う。「これがテクノロジーの力で具現化したら一体どうなるんだろう?」というワクワク感に沿って作られてきたものは、たとえいっとき環境を破壊したりするようなことがあったとしても、地球に、命に、必要なものとしてずっと残っていくんじゃないかと思う。もしくはさらなるよいものへの架け橋となっていくか。

 

司令塔だった頭の統制から離れて、身体や心、魂といった命そのものを一番大切にして生きるようになると、普通の常識から見ると一見『ちょい悪』で『エロ』に見えるようになるらしい。人間。でもそんな人間はきっと、すごくすごく魅力のある人間なんだと思う。ほんとうの意味で優しい人間なんだと思う。


「心と身体が統合されたいのちそのもの」があらゆる物事の最優先事項になっていく時代にきっと変わってきている。そう思うと、いまある問題も試行錯誤を繰り返しながらもいずれ解決されていく。もう人類も地球も大丈夫だなと、非常に楽観的に、いとも簡単に、思えてしまえるんだ。

 

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