On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

謝々!

やり直してもよいのです

今度はひとりぼっちでも

記号化されたこの部屋から

ついに旅立ってゆくのです

 

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最近とても面白い出会いがあった。
偶然が偶然を運んで、友人が喫茶店にその人を運んできた。

その後も、「なんだかよくわからないけど勘が、星が、その人に会えと言う」
そんな出会い。

 

誰も見ていなくても。誰の同意も得られなくても。たとえひとりきりでも。自分が「いい」と信じたものを信じ通す力のある人だった。信じ通してきた結果、その人のところには少しずつ人が集まり始めている。

 

正直、とてもお洒落でかっこいいのにモテないだろうなと思った。自分が「いい」と信じたものに対するストイックさがあまりに強烈で、異性は寄せ付けないだろうなと思った。でも私にとってはとても、かっこよい。誰も訪れない、ハウルの寝室みたいな部屋に住んでいて、その人だけの宇宙に時々招いてもらえることがとても光栄なことに思えた。

 


私はたくさんの知識を蓄えることがあまり得意ではない。いや、正しくは、何かに対して興味が湧いてもそれについて深く知ろうとする前に大まかなカタチがわかると満足する傾向が私にはある。言ってみれば早とちり、早合点傾向というか、探究心に欠けるのかもしれない。あまり頭がよくないんだろう。よく言えば感情や感覚優位なんだろう。

 

ただ、探究心の強い人が羨ましく思えることがある。知識をひけらかすことで自身を主張するような人は見ていて「くだらないな」と思ってしまうのだけど、純粋な探究心から作られた深い知識の層が幾重にも重なって、その人の人間力や感性に厚みや、その人だけの独特の輝きを生み出しているーーそんな風な人に時々出会うものだから、そんなときには畏敬の念が湧く。「羨ましい」「かっこいいな」そんな表現が至極しっくりくる。

どれだけその人がひとりきりで、湧き出る探究心をみたすため、自分自身をみたすため、その人自身のためだけの豊かな時間を作り上げて来たのだろうと想像する。想像を絶する。

そんなひとの在り方にわたしは大きなヒントをもらう。ひとりでも「好き」や「好い」は貫けるということ。貫いた先にはじめて育つ健やかな自己肯定力があるんじゃないかということ。


わたしはその人のことが好きだ。その人が、その人のままでい続けてくれたことに、天然記念物を発見したときのような喜びを感じる。世界に感謝したくなる。
そしてどこまでも知らされる。
ゴキゲンな世界は「誰かに作ってもらうもの」じゃなく、他でもない、自分自身の手で作り出すものなんだってこと。

だから、ありがとう。

出会いに、あなたに、世界にありがとう。

わたしはこれからも、わからないことだらけの世界を歩き続ける勇気をもらう。

わからなくても、それでも光の方向に進みたい自分自身を何度でも確認できる。


人、人、人。
人に出会って自分に出会う。
今日も世界は続いていく。
わたしは人に、会いにいく。

わたしはわたしに、会いにいく。