On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

言葉は実体

人はだれでも光を放つ真ん中の場所と影に手を添えられている場所の、両方を持っているのだと思う。

千光寺円空仏をみていて思った。
人として生きる私は、いつも意味を求めてるのだと。


ここに来た意味、
生きる意味、
痛みの意味、
愛することの意味、
美しいものを見る意味、
人に出逢うことの意味、、、
あらゆるものに意味を探しながらあるいているのかもしれない。

 

すべてのことに意味はないと認めてしまうことは怖い。すべてに意味はない。そうすっかり認めてしまった時に、まだ私はまっすぐと立っていられるだろうか。
生まれて来たことの意味、今も生きていることの意味。自分以外のなにかに、自分の外側にあるものに、その意味を与えてもらおうとすることは、健やかな自己愛を育てることに結びつかないのかもしれない。
自分から溢れ出してくるものをただ表す。自分から溢れ出して止まらない、愛する誰かへの思いを語ること。影の部分にフォーカスを当てるのではなくて、それをどうやって光へと変えていくのか、そのことに自分のもつクリエイティヴィティを働かせる。そんな時間を多くと過ごしていると、いまある命に感謝したくなるような、そんな瞬間が時々訪れる。泣きたくなるような、嬉しさで震えるような、あの瞬間。

 

パイプになりたいと願う。美しいパイプに。
愛が、光が、豊かさが、笑顔が、私を通って世界に流れていったらいい。詰まりのない、淀みのない、美しいパイプ。

 

 

2017.8.14.

飛騨高山 千光寺

 

 

 

---

 

一昨日はじめて出逢った人に、

「言葉は実体」

という言葉をいただいた。

「言葉はその人を動かす実体そのもの。
だから言葉を大切に使うこと。
命から出たまことの言葉を話すこと。」

 

言葉は私になる。

 

すごいことだなと思った。

そしてほんとうにその通りなんだろうなとも。

 

言葉を大切に扱うということは、自分を大切に扱うということなんだと思う。

 

 

人間の「初期設定」は変えられるという話も聞いた。それは言葉が変えていくということ、自分の言葉が新しい初期設定を作り出していくということ。

 

私が時々闇に留まろうとすることがあるのも、どうやら世界には闇に引き留めようとする力があるらしいということも、なんとなく感じる。

 

でもフォーカスは容易に変えられる。

言葉が私になる。

言葉が世界になる。

 

誰もが世界を照らす力を持っている。

私もきっと例外じゃない。

 

私の一番奥深くから出てくる言葉を、私の命にプレゼントしつづけよう。

何度立ち止まってもいいし何度汚れてもいい。

何度でも洗い流して、何度でも笑えるほうにいこう。いつか命が終わる瞬間まで。