On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

なくしたわけじゃなかった、ずっとここにあった

千葉県船橋市の実家にきている。

小学校2年生から6年生まで、あとは大学生時代に暮らしていた家だ。

 

久しぶりに来てゆっくりと過ごしていて、この家のあまりの居心地のよさに静かに体感の全部を任せている。

 

大きな窓がたくさんあるこの家。

家の前面は、とても背の高い竹がたくさん生い茂った小高く小さな山のようになっていて、そこを吹き抜けてきた風が開かれた窓からいつまでもいつまでも流れ込む。葉擦れの音、鳥の鳴く声、柔らかい陽射しが家の奥にまで届きつづけている。

 

壁の色、床の色、ドアの色、外壁や風呂のタイル、カーテンの色…どれも落ち着いた色合いで、主張はないながらも上品だ。小さな庭で、花と草と洗濯物が揺れる。

 

こんなに居心地のいい家で、私は育ったんだ。知らなかった。

 

この家に戻ってきてゆっくり過ごすなんてこと、もうほとんど、何年もしていなかったものだから。

 

子どもの頃、大学生の頃。天気のいい日に縁側に座って、膝の上に大好きだったわんこを乗せて、梳き櫛で金色銀色の美しい毛並みを漉いてやるのがほんとうに好きだった。わんこもきっとその時間が好きだったんだと思う。櫛を手に持ってわんこの顔を見てニッとするだけで、尻尾が落っこちそうなくらいに振って嬉しそうな顔を弾けさせる。私の顔と櫛とを見比べながら縁側に向かってまっすぐに走っていく。そんな日々を思い出す。

 

時々、父親が夜中にお酒を飲んで暴れることがあった。そんなときには母と姉妹と一緒に家の外に逃げた。車に乗って母の実家に行くこともあれば、なにかを持ち出す余裕もなくて裸足のまま星空の下を延々と歩いたこともあった。

そんな思い出なんかもあるものだから、どこかで、この家に張り付いているイメージを変えようとしてこなかった気がする。

悲しい想いをしていたのかもしれないけど、いまはその頃の気持ちはまるで何も思い出せなくて、ただ妹と手を繋いで夜空を見ていたら生まれて初めての流れ星を見て喜んだことを思い出す。

記憶を美化をするつもりも悲観的なものにするつもりもなくて、ただ大人になったいま思うことは、色んなことがあったけど、私はこの家の心地よさをちゃんと享受しながら育ったんだなということ。

 

そして単純に、こんなに素晴らしい家を残してくれた父に今では感謝の気持ちが湧いている。

お酒を飲んで暴れるにも、なにか理由があったんだろうと思う。大変な想いをして、ストレスやプレッシャーを抱えて、家族のためにと働いてきたのかもしれない。

 

母にも感謝の気持ちがやまない。こんなに居心地のいい家に整えてくれていたこと。父が殆ど不在、もしくは帰って来ても不安を生むような言動ばかりするなかで、この家で私たち姉妹を育ててくれていたこと。そして、今では私の友人にまで家を解放してくれていること。

 

 

 

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私は、私の過去がずっと嫌いだったんだなと思う。生い立ちも、失敗も、見誤ったことも、ひとを傷つけたことも、ひとの言動から傷ついたことも、全部全部合わせて、私の一部をつくった大事な時間だった。学びを与えてくれる日々だった。何一つ嫌わなくていい。何一つ間違いはなかったんだよ。いまはそう言いたい。

自分の過去も過ちも何もかもを含めて認められて、表面的な態度じゃなくて、ほんとうに受け入れた時からはじめて、私はもっと「今」を愛せるようになる。そんな気がした。