On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

マウイへの旅

『自身の内的な成熟のためには「心の平衡を失うこと」を厭(いと)わずに「身を開いて」生きること』

 

 

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(旅行記と思うことあれこれの記録。10日間くらいかけて少しずつ書きためたので長文です。)

 

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2017.4.27

4:00am 江の島


薄暗い部屋の中で目がさめた。家の屋根を、壁を、雨粒がぱらぱらと鳴らし続けているのが聞こえる。日本に戻ってきていることを思い出す。
ぼんやりとした頭で寝起きの髪をかきあげると、マウイの海のきれいな薄黄色の砂が、きらきらとして指先についているのをみつけた。

9日間のマウイ島での時間は、一言で言うのなら夢のような。でも確かに現実だった。


美しい島のあちこちを圭吾さんと一緒に車で巡った。
マウイの温かく大きな風を感じながら、手をつないでたくさんの場所を歩いた。
たくさん話をして、笑って、カーステレオで好きな音楽を聴いて、カフェでもビーチでもどこででもギターを弾いて歌った。

マウイの自然やそこに暮らす人たちや口にする食べ物、カラフルな彩りの中そこかしこに「love」という文字が見られるような風景。
出会うものの全てが、そして隣にいる、どこまでも自由でかっこいい人が、わたしにとても健やかな影響を与えてくれていることを感じ取っていた。

そんな空気の中ではどこまでも自分が透明になっていくみたいだった。ありのままの自分が見えすぎて、自分が何に喜び胸が踊り、何に安らぎ、怒り悲しむのかを知りつづけた。揺らぐときにはどうしようもなく揺らぐところや、弱さも強さもきれいじゃないところも、たくさん目の当たりにした。

 

ああ、どこまでも私は、私だ。

それでいいんだ。

 

そう、強く感じる旅だった。

 

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2017.4.21  

5:55am  Haleakala national park 


まだ薄暗いハレアカラの山の頂上にいた
太陽が雲海の向こう側からゆっくりとその姿を見せ始めた時、すべての音が止んだ
すべての物の動きが止まった
雲も風も人も鳥も
張り詰めて澄み切った高山の空気の流れも
カメラのシャッター音も聞こえなくなった
呼吸を忘れた
時間までもが止まってしまったかのようだった
動いているのは、今まさに顔を出しはじめた太陽だけで
生きとし生けるものの全てがその圧倒的な存在のあらわれを見守っているかのようだった
山の上から見下ろすと山間に雲海の始まりをみる
だけど終わりがわからない
地平線までをも見下ろすような高さに私はいて
火星のクレーターのような赤茶色の山肌からはじまる雲海は、はるか彼方まで広大に続いて下界をすっかり覆って、ついには目に見える全ての地平線の役割を果たしている
真白な真綿のようなその雲海の表面は、太陽の光があたり始めるとあっという間に柔らかいオレンジ色に染まった
空の色は止めどなく永遠に色を変え続ける
無数の色合いが滲んでは揺らぎ流動する
水色、ももいろ、緋色、橙、金色…
あらゆるフィルターを取り払ったクリアな空気の中でそれらの色は彩度が強く、それでいて透明感が同在しているという地上では見たこともないような様相で
もしも天国にも「色」というものが存在するのなら、こんな様子なのかもしれない

 

「死んでもいいな」
ふとそんな言葉が浮かんだ。

そこに悲壮感はなくて、
なんだかすっかり満足してしまった。
あらゆる幸運に、この瞬間の美しさに、この命に。

それでもなお生きるのなら、また新しく始めるのだろうとおもう。

(下山後、高山病で2時間ほど寝込む。車であっさりと上ってしまったから気がつかなかったけど、よく考えたらハレアカラは3000m級の山だった。)

 

 

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2017.4.18

? am. Kahului Bay

 

マウイ島に来て2日目。ドライブの途中で偶然、なんとも素敵なモバイルコーヒーショップを見つける。
海風に揺れる大きな木の木陰に佇むそのお店は、まるでアメリカのロードムービーから抜け出してきたような可愛さ。

 

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お店の女性の表情も言葉もほんとうに底抜けに明るくて、こんな笑顔に対してこちらだって特級の笑顔で返さないわけがないじゃないですか…!というくらいの可愛いさがあった。
彼女はきっと、この土地の心地よい空気をちゃんと吸って、この土地からいいものをちゃんと受け取って人を愛して生きているんだろうな、と思った。

単純な私はすぐ、「この感じはすごくいい…!このあり方は私の理想形にかなり近い気がする…!」と思った。

でも、「日本でモバイルコーヒーショップをやるのはどうだろう?」と考えた時に、なぜか「重たさ」のようなものを感じてしまった。
同じ移動式のコーヒー屋さんでも、日本とマウイとでは空気感があまりに違う気がするのは一体なんなんだろうと思った。

土地が味方してくれているか否かの違いじゃないかなと圭吾さんは話す。なるほど確かにと思った。

 

モバイルコーヒーショップでもなんでも、どこでやるにせよ、どうせならロマンやストーリーを感じるようなものを作りたいなと思った。作った人の「思い」が垣間見られるような、そんな「血の通った、生きた創作物」を見たいし、作りたいし、触れていたい。そして絶対、おしゃれなのがいい。


このお店は私に素晴らしいインスピレーションを与えてくれた。わたし好みのひとつのアンサーを見たような、可能性の広がりを促してくれるようないい出会いだった。

 

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ちょっと余談だけど、コーヒーもパンケーキもハワイでいろいろ味わってみたけど、おいしいものにもたくさん出会ったけれど、最後に思ったことは「日本人の食に対する感性ってすごいな…!」ということでした。要するに、コーヒーもパンケーキも、本場と言われているハワイよりも、私の中では日本が圧勝!!


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旅の同行者、圭吾さんはとてもスピードが速い。
考える速度も歩く速度も何か作業するときの速度も、気持ち私の5倍位は速い感じ。

去年の夏頃から彼と一緒に行動することが増えて、以来スピード感のある彼といると常に「ある種の緊張状態」にあるからか否か、一緒に何日も過ごしているとなぜか私の身体のあちこちがいつもとは違う機能の仕方をするようになる。それがどんなものなのか具体的には語らないにしても、ほんとうにこの変化は不思議だなと感じる。
それらはときに苦しみや辛さをも生むのだけど、相対的に見ると悪くないと感じる。死んでまた生き返ってまた生きる。その繰り返しの速度が上がるってだけのこと。
彼のスピード感に影響を受けて、私の速度も若干速くなるってことなんだとおもう。


同時に、一緒にいて、かつて感じたことのないような深いところからの安心感が生まれたりもする。

根底からの肯定感、宇宙単位での安心感、とでも言うか。(それはわりと、徹くんやまゆさん、フォトグラファーのちーちゃんと一緒にいるときにも感じる。)


何か日常ではありえないようなトラブルが起きたり(圭吾さんと一緒にいると、トラブル起きる頻度がやばい)、困難に出会ってもあまり動じない。速攻で笑い飛ばしている自分がいる。


きたきたきたー!(笑)


みたいなかんじになってしまう。

 

今回の旅も色々あった。

レンタカーのタイヤが二日目の夜中にパンク。
「まあいっか、明日なんとかしよう」と、すでに閉店したカフェの駐車場に車を置いて、すっかり光を落とした住宅街の真っ暗闇を進む時、怖さはない。時間をかけてゆっくり歩いて宿まで戻る途中、星空が本当にきれいで、「パンクしなかったらこれ、見られなかったね」と笑い合った。

 

ハレアカラの頂上近くのキャンプ場でテントを張った日の夜は、テントの中に浸水するほど雨が降った。そんな、快適か否かで言ったら圧倒的に後者、退避してもよさそうな状況にもかかわらず、守られている感包まれている感があって(山や森の神々しいまでの力もあったと思う)テントの屋根を叩く雨音を聴きながら深く深く安眠した。

 

 

スーパーで、無謀にも「玉」で買ったハワイ産の巨大なパイナップル。ステージはたまたま車を停めた荒野。ナイフは無い。でも食べたい、という状況で。

 

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「無理だろ」と私は言う。
「いや行けるだろう」と彼は言う。
結局、あり合わせのものだけで分厚いパイナップルの皮を彼はかち割った。

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割れ目からスプーンとフォークでほじくりまくって、「ほらお食べ」とパイナップルのかけらを差し出される。まじですか…
そんなこんなで巨大なひと玉を二人で食べきった。甘くてジューシーで内側から元気が溢れ出して来る。お腹の中がパイナップルで埋まった。(酸が強すぎたのか食べてる途中から唇が血まみれになった笑笑)

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その後、パパイヤもココナッツも、皮をむいてナイフで切って食べるのではなく「半分にかち割ってスプーンでほじくって食べる」かデフォルトになった。笑

 

過去には海外で二人乗りしていたバイクが転倒したこともあった。だけど、奇跡的に骨折などはなく、膝から血がだらだら出てはいたけれど「ありゃまあ(でもまあ大丈夫か)」みたいな片付け方をした。

 

真夜中の高速で車が突然勝手に速度を落としはじめたこともあって、わーきゃー言いながら路肩に緊急停車。からの車の故障判明。レッカー車に車ごと自分ごと乗っけられて、なにこれまじ愉快!と笑いながら県境の長いトンネルを越えた。


わたしは自分のことを比較的柔軟性があって、サバイバル力あるほうで、トラブルにも動じないほうの人間だと思っていたんだけど。
思いあがりだったなと、彼を見ているとおもう。

 

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柔軟性もサバイバル力も自由度もはらの据わり具合も、圧倒的に敵わないような人間はいる。くぐり抜けてきたものが違いすぎる。

完敗に乾杯!(総長!)

 

 

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2017.4.23

18:00pm. Hana

 

マウイの島のなかでたくさんの場所を訪れたけれど、わたしは「ハナ」という街がとても気に入った。余分なものは何もない。美しい自然に包まれた静かな佇まいの街。

 

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ハナでは宿を取らず、誰もいないビーチの椅子に腰掛けて、潮風にあたりながらギターを好きなだけ弾いて、歌って、芝生の上で逆立ちしたり、果物やクッキーをかじったりして過ごした。夜は星空がほんとうにきれいで、幸運にも流れ星をひとすじみつけた。
海のすぐ目の前に車を停め、窓を開けて、波の音を間近に聴きながら眠った。火山の森の中で眠った時以上に深い深い安眠があった。
朝目覚めると、波の音に鳥の声が加わっていて、冷たく澄んだ新しい空気の中ゆっくりと朝陽が空をオレンジ色に染めていくのが見えた。

「ここで暮らせたら」

そんな想いがわいた。その矢先、ビーチで出会ったハナに暮らすというふたりの人からおもむろに、「あなたはここで暮らすといいよ。」と声をかけられた。
二人とも、とても澄んだ美しい目をした人たちだった。
そのうちの一人、銀色の長い髪をしたおばあさんは、私の目をまっすぐに見て、突然「You're so beautiful. Welcome to Hana.」と話してくれて、とてもどきりとした。

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陽が昇ってくると、美しいビーチには少しずつ人が集まり始めた。
波の音を背景に美しいギターを奏でる人や、思い思いの場所で食事をしたり、煙草を吸ったり、泳いだりする人たち。裸ん坊で波打ち際を駆け回る小さな子どもたち。
煙草をどうぞと一本すすめられる。手巻きのアメリカンスピリットは、花のような甘い香りがした。
誰の鎖にも繋がれない大きな黒い犬が自由に砂浜を走る。懐こくて可愛いくて、ぴったりと抱きついて顔にキスをした。

 

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マウイの人たちの、素直な愛が好きだと感じた。人と目が合えば、あまりに自然と微笑み合える空気感がそこにはあった。ずっと会いたかった人に会えた時のようなハグを、初めて会った人とすることもあった。
そしていつも海からの心地よい風が吹いていて、柔らかい陽が射していて、波はいつまでも穏やかで。

 

ああなんだか、ほんとうに天国みたいな場所だなと思った。足りないものは何一つない。

言葉を紡いだり音楽を奏でたり、絵を描いたりして暮らすのにはきっと、最高の土地だ。そう感じた。

 

 

最近、日本の「空気を読む文化」的なものに勝手にプレッシャーを感じて、少し疲れていたところもあった。
過剰に自分を表現していないと押しつぶされてしまいそうな圧迫感も勝手に感じてしまっていた。だからか余計に、自然な在り方、自然な優しさを感じるマウイの空気感に惹かれたのかもしれない。

 

 

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ハナをはじめ、マウイ島がとても好きだと感じる理由は他にもたくさんある。

すべてのものの色が明るい。
緑も空も建物も光も。
街並みも人の着る服さえも。だけどぎらぎらした人口色じゃない。華やかな自然色。
ちょっとした標識ですらお洒落でカラフルで、見ているだけで楽しくなるものが多い。

 

その土地のスーパーやマーケットに行くと、現地に暮らす人たちがどんな食生活の傾向を持っているのかが見えてくるなと思っていて。そしてマウイのそれは最高に私好みだと感じた。

 

 

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海からの風は温かくて大きくて、それでいてからりと心地よい。
雨が降るときの空までもが明るいこと。
雲の様相が常に神秘的で、なにか予感を孕んでいて美しいこと。
人の笑顔が底抜けに明るい。
見知らぬ人たちとあまりに気軽に挨拶を交わせるのが嬉しかった。街ですれ違う人も、カフェやスーパーの店員さんの表情にも余裕が感じられた。


言ってみれば辺境の地。だけど後進的なものや退廃的なものを感じない。
科学技術もアートも自然保護もスピリチュアリズムも生活文化も、無理なく(ここがすごく重要な気がする。「町おこし」的なムードがない。足りないものを埋めるのではなくて、いい土地にいいものが勝手に集まってきているという感じ。)先進的でいいなって思った。自然とともに前に進もうという力も感じる。

 

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ハナの街を離れる時は後ろ髪を引かれる思いだった。

結局は一度日本に帰ることを選んだけれど、地球上にハナという街があって、その街の空気を肌で感じて、そしてその空気が自分に馴染んでとても心地よかったことは、新しい安心感を私にもたらしてくれた。

 

私は、ハナで暮らしてみたい。
いま、そんな風に思っている。

帰国してまだ2日だというのに、マウイへの航空券を再び調べている私がいる。

 

 

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 そうしていつか 

    すべては優しさの中に消えていくんだね

 

 流れ星 静かに消える場所

 僕らは思いを凝らす

 

 目に見えるすべてが優しさと 

    はるかな君に伝えて

 

 

 

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旅に出ると新しい風が吹く。
初めての土地で、初めて触れる空気の中で、自分のセンサーが敏感に動き出す。

その上幸運にもその土地を好きだと感じることができると、センサーはどんどん開かれるみたいだ。自分のなかの感性の容量が自然と大きくなるみたいだ。

 

マウイでの時間は、あらゆるものが鮮明に見えた。

こんな空気も世界にはあるんだ。こんな色が世界にはあるんだ。こんな人たちが世界にはいるんだ。嬉しい。嬉しい。

ずっとここにいてくれてありがとう。出会ってくれてありがとう。

 

だけどセンサーが開かれる中では、いよいよ自分の心がごまかせなくなるのかもしれない。
私は私の本音を露わにもした。圭吾さんがずっとクリアでいてくれたおかげで、ただ一緒にいるだけでも私は私自身のことに余計に気が付きやすくなっていたと思う。

「自分でも知らなかった自分」にも出会った。そしてそれは、きれいなものばかりじゃなかった。
怒りや不安やずるさや、自分の中にある、人に対する妬みや不信感も目の当たりにした。
自分のかっこ悪さが露呈しすぎて、大切な人にも見せすぎて辛くなることがあった。

 

でもいいじゃん。それが私。
現時点での、まぎれもない等身大の私だ。

認めちゃえよ。

 

好きな人に嫌われたくない。

ずっと好きでいてほしい。

これも本心。 

だけど好きでいてもらうために私の在り方を殺したら、私は本当に死んでしまう。

 

私が私を生きること。

このことでしか始まらないことがある。

厳しい道だ。怖い道だ。

傷つきやすくなる。傷つくのはもう嫌だ。

これもまた、本音。

 

過去も痛みも、振り切ろうとして生きてきた。

いつも「自分はだめだ」と「自分はおっけー!」の追いかけっこ。最後にはいつも「自分はオッケー!」が勝つんだけど、時々、追い越されそうになる。

 

 

幸せになりたいというシンプルな願いを誰もが抱えてる。でもふと、まてよ、と思う。本当に「幸せ」になりたいの?そうじゃないんじゃないかな。「幸せのお手本」みたいなものに頭が汚染されてるんだと思う。喜怒哀楽の全部が生に彩りを与える。傷つくことでひとつ学び、正解がわからないことが、決まらないことが、世界を無限にしつづけてくれている。

もういいじゃないか、と思う。cleanupだ。

いまこの瞬間の自分の心地よさにただ耳をすませて。

ほんとうはもう、わかってるんだろう?

 

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人を自分を揺さぶって世界を広げてくれるのはきっと、清濁併せ持った人間の、きっと清濁ごと丸ごと、だ。


私は圭吾さんのことが好きだ。大切な人。
意地悪なところがあるのも知ってる。ずるいところも時々嘘つくのも知ってる。嫌いなところもある。がーーっ!て怒りたくなることよくある。時々怒る。(もっと怒ってもいい気がする)

でもほんとうに頭が上がらないのが、尊敬しているのが、そんな清濁併せ持った圭吾さんのことを、圭吾さん自身が肯定する、と肚のそこから決意していることだ。

だからこそどこまでも魅力的なんだ。

くそー!ずるいぜ!完敗に乾杯!って言いたくなる。私も追いつきたいって、思っちゃうよ。

 

 一緒にいてたくさんの感情が生まれる。

どんなに傷つけ合うことがあっても、深い深いところではきっとみんながやさしさでつながっている。そう思わせてくれる。

 

一緒に過ごした時間が幸せだった分、帰国して、羽田空港での別離が辛かった。一度さよならだ。道の途中、いつの日にかまたどこかで会えたらいいな。

 

これからも彼に、生き生きと生きていて欲しいと思う。

そして私自身にも。どこまでもどこまでも私自身に還りなさいな、ということを、いま強く思う。

 

 

時間をかけて少しずつ気づいていったことは、私は圭吾さんの速度に合わせて生きていくことはできないということ。

 

ものごとのひとつひとつをかみしめる私の速度を、反芻しながらじゃないとものごとを理解できない自分の愚鈍さを、私は愛していこうと思う。それが他の誰も持たない、私だけが持っている私だけの愛おしい速度じゃないかと思う。




圭吾さんに対しては、「私とマウイ島に一緒に行ったおかげですごくいい記事たくさん書けたでしょ?よかったね!」と思ってる。笑

 

 マウイ島の空気感そのままに、軽やかでカラフルな文章を世界に向けて圭吾さんが発信する姿を間近で見ているとき、私はとんでもないワクワクと興奮の渦中にいた。
圭吾さんをマウイ島に誘った自分、そしてマウイ島の中でいいなと思う場所へ「行こう!」と圭吾さんの手を引っ張って行きまくった自分、まじナイスジョブ、グッジョブ!と思った。笑

 

彼のブログを読むたくさんの人の元に彼の生きた言葉が届いて、元気と勇気と、世界の広がりに対する安心感をきっと与えてるんだろうなと思うと、「グッジョブ!!!!!!まじ、いい仕事してる!!!世界平和万歳!!!(?)」叫んで圭吾さんのほっぺに何回でもキスしたい気持ちだった。

 

 

 

でも。一筋縄にいかないところもあって。

(ここで女のぐちゃぐちゃ警報発令です!苦手な人はこの下の文章避けてー!!(;゜0゜))

 

いま圭吾さんは、「ごちゃまぜの家」という新しい試みに夢中になっている。プレッシャーを感じたりすることもあると思う。

だからか、あまり私は以前みたいには構ってもらえなかったというか、可愛がってもらえなかったというか。私が私に構っているとき(文章書いたりギターに夢中になっていたり一人で散歩したりラムピリカの新しいメニュー考えたりなどなど)は平気なんだけど、ふと、「構ってもらえない」ということにばかりフォーカスが向いちゃうときには、もう私のこと好きじゃないのかな?とか、どんどん不安になってしまって、幼稚な言動もたくさんしてしまった。

旅の間、たくさんたくさん優しくしてもらったのに、それはそれでうまく受け取れなくなってたり。

 

ごちゃまぜの家は私にとっても最高にエキサイティングな話だし、同じフィールドで圭吾さんや集まって来る人たちと一緒に遊びたい!という気持ちも強くある。

だけどそことはまた別で、どうしようもなくめんどくさい「女!」な部分の自分もいたりして。好きな人に可愛がってもらえないと悲しくなる。私だけ見ていてよ!好きっていっぱい言ってよー!みたいな気持ちになってしまう。

やー、めんどくさい…かっこ悪いなあって思う。一緒にいられるだけで、ほんとうはすごくすごく幸せだったのに、「陰気な質」みたいなものに時々、「突然振れて」しまう。圭吾さんは困った顔をしていたし、そんな千秋さんは嫌だとはっきり言われた。「うっせー!こんな気持ちにさせてんのは誰じゃい!」という感情的な反応と、「はい、世界はほんと、オールウェイズ私次第でございます…」という冷静との間でカオスってた。見事に自分を見失ってた。

 

まあ人間ですし!こんなときもありますので!よろしく!(*⁰▿⁰*)

ということで一つ手を打っていただきたいです。

 

いまは、圭吾さんが生き生きと生きていたらなんでもいっか!と思うし、あらゆる方法を使って私は私を潤わせよう!という気持ち。

 

がんばれわたし!頑張らないでがんばれ。

圭吾さん含め、世の中に素敵な人はわんさかいる。素敵な場所はわんさかある。

会いに行け。そして自分に還れ。

いつだって勝手に幸せになっちまえ。

 

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2017.4.25

14:00pm Honolulu airport


マウイ島にいる間、毎日のようにたくさんの果物を食べ、珈琲をあちこちでのみ、日本にいる時から憧れだったアサイーボールを連日食べ、コンブチャという発酵飲料をがぶ飲みし、毎日明るい太陽の下を歩き、海に入り、波に揉まれたりトロピカルフィッシュやウミガメのそばを泳いだり。
滞在していて、心身の状態がすこぶるよくなった。とにかく全体的に軽くなった。

 

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だが不思議なことが起こる。ホノルルでの7時間の乗り継ぎ待ち時間の間、マウイ島で食べてきたものとは真逆のものが猛烈に食べたくなった。肉!!肉を食わせろ!!!

 

空港で買った、洗面器みたいな大きさの「ザ・アメリカン!!」な巨大お弁当箱。
中身は、「どでかい牛リブ!どでかいローストチキン!大量のマッシュポテト!」
そこにたっぷりのグレービーソースをかけたものを圭吾さんと二人でがっついた。

肉だけでお腹の中が埋まった。
しかもその2時間ほど前には、ホノルル市街のパンケーキ屋でバターが練りこまれたパンケーキにメープルシロップをたっぷりかけて、コーヒーと一緒にお腹いっぱい食べていた。

 

一見、マウイ島でのヘルシーライフを一気にひっくり返すかのような素行。

でも決して自暴自棄になっていたわけでも、フードファイター的チャレンジがしたかったわけでもない。ただ無性に食べたくなったのだ。特に肉を。
そしてなぜか、そんな食べ方をしても体調がわるくならないという不思議があった。
日本だと、肉や油物を一度に食べ過ぎると明らかに身体的ダメージを受けることが多いのに。

しかも圭吾さんも全く同じ感覚だったというのだから面白かった。
なんでしょうね?!この土地に生きていると、果物!果物!肉!コーラー!コンブチャ

みたいな食生活の感じが身体に合うようになってくるのかね?!笑
そんな話をした。

 

 

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はー!長かったー!書いて書いて、これでもかなり削って、やーっと「もういっか!」ってとこまでいったー!

お腹ぱんぱんやー!

 

長い文章、ここまで奇跡的に読んでくれた人がいたら、ほんとうにありがとうございます!感想聞かせてくれたら嬉しいですが、「読みました」の一言だけでも嬉しいです!

 

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(自分で言うのもなんですが、好きな人と一緒に美味しいもの食べてるときの私の顔、ほんとうにいい顔してるな…一番好きな顔だな…と思う。笑

サンキューマウイ!サンキュー圭吾さん!)

 

 

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流れ星 探すことにしよう

もう子どもじゃないならね