On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

自分の輪郭

退院して1週間が過ぎた。仙骨の調子がいい時には少しずつリハビリ。近所をゆっくり時間をかけて散歩している。右手に松葉杖、左手にはミニギター。

 

春らしいざわざわとした海風、春らしい湿り気の多い大気のなかで、眩しすぎる黄色の陽射しが霞む。ソメイヨシノの蕾が開き始めているのを今日川沿いに見つけた。まだ開いていない蕾もみんな、今にも一斉にはち切れんというほどに膨らんでいる。

 

散歩の途中、人気のない陽当たりのいいベンチを見つけたりすると、休憩がてらそこでギターを弾く。カフェを見つけるとお茶する。そうやって少しずつ進む。

 

 

 

自分の内にこもるのが得意なひと、好きなひと。苦手なひと、嫌いなひと。

いろんな人がいて、でも性質は常に細やかに流動的だったり、短時間でがらりと変わるようなひともいたり、不動の人なんて存在しないんだろなと思う。

 

内にこもるのが得意なひと、好きなひとは、ざっくりすぎるまとめ方すると所謂「ネクラ気質」というやつなのかなと思う。ひとり静かに内にこもって、自分を確認して、言葉なりなんなりに表す時間がどうしても必要たったり。もしくは単純に好きだったり。

 

内にこもらなくたって、自分の内側からほとばしってくるものを瞬時に感知して外に表し続けるのが得意なひとは、「ネアカ気質」?なのかしら。

ネクラとネアカにすっぱり分けられるようなものでもないだろうし、どちらが優とか劣とかなくて、しかもそれらの性質は多分永遠に流動的で。

 

ごにょごにょ書いた。

 

 

 

私には、自分の形をすこしでも知りたい、わかっていたいという願望が子どもの頃からある。

「完璧にわかる」なんてことは永遠にこないのだろうけど、でも自分が自分に生まれた以上、少しでも自分の輪郭を確かめておきたいと感じる瞬間がたくさんある。

 

「ネクラ」も「ネアカ」も持ち合わせてると思う。そして時々、どうしようもなく「ネクラ時間」が必要になる。人との距離を取りたくなることがある。内にこもって、自分のためだけに文章を書き続けたりギターを弾き続けたり歌ったり。そうやってはじめて、自分を保てるようなところがある。そうやってはじめて、世界に飛び出したいと思える瞬間が訪れる。

 

  

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昨晩、飲みに行こうと友人と約束していたのにドタキャンをしてしまった。

 友人に理由を聞かれて、仙骨の調子が今日は悪いからとか、今人混みに行きたくないとか、約束したときは会いたかったんだけど今は誰にも会いたくないとか正直に話しつつ。

でも、もう100個くらい理由はあるなと思いながらもどうにもまとまらなかったので、最終的には

「でもやっぱりわからない」

と伝えた。

「いや、わかるでしょうよ」

と友人は言う。

「まとめたいけどまとまらない。君が納得できるように言わないとだめかな」

と問うと、

「そうやって君は、だめな自分でも丸ごと愛してねって言いたがる」

と指摘されて、うっ、、、、となった。

わたしは、

「ごめんなさい。でも、君は責めてるつもりはないのかもしれないけど、そういうこと言われると責められてるような気持ちになる」

と言うと、

「それは君の問題だよね、だって僕は責めてない」

と返されて、そうだよわかってるよと返した。

もっともだ。もっともなんだけど。

 

とにかく、今、わたしinカオス。

この会話から逃げ出したくなってきたと伝えると、友人は、

「あのね、責めてるつもりは全然ないんだよ。ただ、そういう態度取られると、結構こっちは食らうんだよ」

 

そうだよね。わたしは今、結構ひどいことしてる。でもごめんなさい。どうしたらいいのかほんとうにわからない。無理矢理にでも会いに行けたらいいのだろうけど、兎に角いまはそれができない。仙骨はほんとうに痛いし、でもそれ以上に私はいま、なぜかやたらと一人になりたい。

 

それを話すと、

 

「そういう時は言葉に書き出してみるといいよ。僕はそういうときには、言葉を書き続ける。」

 

そうすることでわかることがあるかもしれない、と。

そして私たちは電話をきった。 

 

この友人とは6年くらいの付き合いになるのかな。

自分の弱さをとことんまで知り抜いた人間は強い。多分最強だ。そして果てしなく優しい。それが彼だ。

相変わらずすごいな、もっともなことしか言わないなと思った。

 

実際、混乱してるなって思うことは最近多くて。仙骨の損傷で一度派手に失った自分のバランスを、今も尚新しく作り直してる際中なんだろうなと思う。こもりたい。言うならば変態が進んでいる繭の中。

 

退院してからも相も変わらず私は一人で文章を書き続けたりギターを弾いて歌ったりしている。それがとても心地よくて、そのなかで混乱が落ち着いていったり気づくことがあったりというのはよくある。

 

 

仙骨って、人体の要らしく、言ってみれば高速回転する駒の主軸。少しでも損傷があっただけで人体は容易にバランスを取れなくなって、身体のコントロールが効かなくなるらしい。

仙骨や、骨盤の中にある仙腸関節(私が今回思いっきり痛めてしまった箇所)について詳しく知りたいかたは、先日わたしの本音を見事に引き出してくださったカイロプラクティック師、まる先生のブログがすごく面白かったので、ご参照あれ。

http://marusan.club/仙腸関節の役割を考えてみた/

 

 

最近の自分を見ていて、思春期の頃のカオスを少しだけ思い出してきた。もうすぐみずきが思春期にはいるから、この感じをいま私がフレッシュに体験できているのはいいことだろうな。思い悩んだり混乱してるみずきをこの先目の当たりにしても、「ほっといてあげる」「信頼して一人にさせておく」ことの大切さを容易に思い出せる気がする。

 

 

どんなときの自分も、多少みっともなくても何でも、なんらかの形で表し続けていくことが大事なのかなって思ってる。 言葉でも、歌でも、絵でもなんでも。

 

内にこもっているときは基本ひとりきりでこもっていればいいのだろうけど、そして今までは人に迷惑かけたくないからと本当に一人きりでこもり続けてきたのだけど。

最近は、内にこもっている自分をも解放するという技術?を身につけることができてきた気がしていて、だから人に呆れられながらも迷惑かけまくりながらも開かせてもらってる。

 

そして「解放する技術」とか書いたけど、単純にこれは、わたしのなかで育ちつつある「信頼感」なんだと思う。

「弱さも含めた自分」への信頼感。友人への信頼感。世界への信頼感。 

自己開示するばするほど、怒られるかな…と一瞬恐れもするのだけど、結果的にはいつも「世界は優しい場所」だと知らされるばかりだ。

 

 

わたしのブログを読んでくれている人から、最近嬉しい言葉をもらった。

わたしの文章の魅力は、「人間の温度を感じる」ことだという。

どうしようもない人間くささの開けっぴろげで、なんだか読んでいてほっとすると。

あと「わりと上品な感じの文章が続くのに、時々突然やんちゃな感じが飛び出してくるから、読んでいてドキッとする笑」

らしい。笑笑

 

なんかこれって最高に嬉しい褒め言葉!と思った。鵜呑みの丸呑みにして、これからも好きなように書こうと思った。

 

退院するときに、お世話になった理学療法士さんにも恐る恐るこのブログをシェアしてみた。病院に対する悪口とか、薬こっそり捨ててたこととか書いてたので、どきどきしつつ、ほんとうに感謝してるってことを伝えたくて、伝わるといいなと思って、シェアした。

結果的には、入院中の日記全部読んでくれて、「読んでいて、すごくじーんときました。」「考えさせられました。これからも患者さんと、ちゃんと向き合っていこうと思いました!」と話してくれた。

 

ものすごく、嬉しかった。

 

でも、今回の友人からの一言、

「そうやって君は、だめな自分でも丸ごと愛してねって言いたがる」

 

これも、しっかり自覚しとこうと思う。

私は人に甘えてる。だめなときなはどうにも頑張れない。だめなままいさせてもらってる。

でも、だからこそ私には出来ることがあると思ってる。人がだめなとき、きっとそれを容易に受け止めることができる。だめなときはだめ、それでいいよって心の底から言ってあげることができる。

根底には人間に対する信頼がある。散々飽きるまで「だめ」を通り越したら、その後にはきっと、どうせね、素晴らしい躍動が待ってるんだ。

 

 

なにひとつ間違いはない。弱さも強さも、美しさも濁りも。全部オッケー。

自分の輪郭を、そのままの輪郭を見たいという願いは捨てたくないし、たとえ盲目だったとしても、感じとったことをそのまま表していきたい。これからも。

 

 

長くなりました。

読んでくれてありがとう!╰(*´︶`*)╯♡

 

 

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