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On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

健やかに怒れ

数日前の朝。

腰の強烈な痛みと身体の不自由さに対する辛さがかなり強く出ていた。
あまりに辛くて、強烈な痛みとやるせなさで全身にびっしょり汗をかきながらも絶望に飲み込まれる一歩手前で、望む未来の美しいイメージを頭のなかで膨らませていた。
物理的にはどうにもできなくても、必死の思いで掴んだ藁は「美しい未来を想像すること」

その情景は、とても眩しく鮮明だった。

心身共にぼろぼろでも、まだ私にはこんなに美しい未来を思い描く力があるのかと思うと、生きていくことに対して勇気が湧いた。

そしてそのあとに、私のなかで言葉が流れた。

「健やかに怒れ。自分を守るために、大切なものを守るために、怒れ。」

そんなメッセージだった。

 

 

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今朝、目覚めると全身にものすごい量の汗をかいていた。

 

夜の間中、患部に手を当ててヒーリングワークを続けていた。そのまま眠りに落ちて、次目覚めたら、おでこに手に腕に首に汗の水滴がびっしりとついていた。手のひらはふやけてしわしわ、パジャマの背中とシーツは汗でぐっしょりと濡れていた。

 

 

なにかにすがるみたいにヒーリングワークを続けている。いつも、何をするにも長続きしないのに、このワークだけは続けられている。

はっきりとした効果はよくわからなくても、とにかく自分で自分を癒そうとしつづけてる。

 

このワークをしていると体温が上がる。必ず37度以上、高いときだと38度近くまで熱が出る。そして大量の汗が出る。痛みは、膨らんだり和らいだりを繰り返しながら下半身を温かく緩め続ける。

不思議な体験がつづく。とても心地がいい。

 

 

 

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自分の命を投げてしまいたくなるときがある。どうしたら楽にいけるかなと考えることがある。動けないことを面白がれているときもあるし、最初に書いたように必死で何かを掴めるときもある。

だけど、ときには動けないことや痛みや、さみしさや心細さや、言いようのない虚無感に心が負けそうになるときがある。そんなとき、何もかもを投げたいという衝動が湧く。

 

でも今もこうして生きているのは、もちろん投げていないから。「投げたい」という気持ちが起きるときは多分「わたしについての誤認」が起きてるだけなんだと思う。

 

 

そのまま絶望感のなか身動きをとらないでいると、時間を経ていつの間にか勝手に浮上してくる。

もしくは、どれだけじっとしていても浮上できないときには、人に弱音を吐いてみる。

 

「ほんとうは、不安なんだ。」

一言口にするだけで。

 

「不安だよね」

一言返してもらうだけで。

 

小さな安心感がわたしの中で火を灯す。

その火は、暗い海の底から少しずつ、わたしを連れて浮上を始める。

  

 

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「千秋さんに必要なのは、安心感かもしれませんね」

 

リハビリ中に理学療法士さんがそう話したとき、深い意味はないだろうに、わたしは何故かとても腑に落ちた。

 

わたしは安心したいんだな。

ほんとそうだな。

安心して、笑っていたいんだな。遊んでいたいんだな。

 

わたしは弱い。怖がりだ。

欲深いし、気まぐれだし、根性なし。

いつも不確定で、不安定。

でもそれでいいんだ。そのままでいい。

弱いままでいこう。だめなままでいこう。

 

もう頑張らなくていいよ。

楽しいことだけしていたらいいよ。

心地よいことの中にいつもいたい。

それでいいよ。

 

たった一つのことだけを守っている。

自分の力で立ちたくて、自分の脚で歩きたくて必死だ。

それだけで、もう充分じゃないか。

 

 

誰に嫌われてももう全然いいよ。

わたしだけはわたしを手放さなければ、それでいい。

逆にこんなわたしだから、それでもいいよって好いてくれる人たちは、ほんとうにすごい人たちなんだと思う。わたしの方から好きにならないわけがない。

 

歩けるようになったら病院から飛び出して、美しい空間で、美しい景色のなかで、美しい音楽にあふれ、心地よい風と陽射しに触れながら笑っていたい。踊っていたい。遊んでいたい。

細胞の全部が喜ぶようなこと、わくわくするようなことに飛び込んでいきたい。

 

大好きな人たちと渾身のハグを。抱きしめ合いたい。温もりを確かめ合いたい。

生きていたい。