On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

Heal myself

友人が送ってくれた、リチャード・ゴードン著「クォンタムタッチ」という本を昨日から読んでいる。

 

どんなにいい本だよとひとから勧められても、私は堪え性がないので読んでいて興味が尽きるとすぐに本を閉じてしまうほうなのだけど、この本に書いてあることはとても興味深く、一日中読んでいた。

手を使って行う、とてもシンプルなヒーリング方法についての本。

 

本に書いてあるヒーリングワークを自分の体に試してはまた読んで、読んではまた試してと実験を繰り返していた。

 

結果だけ話すなら、痛みがかなり改善した。

毎晩、夜中になると痛み止めの効果がきれるのか、患部がしくしくと痛んで目が覚めてしまっていたのだけど、昨晩はぐっすり朝まで眠れた。患部とその周辺の筋肉の強張りが引いて力が抜けて、完全なリラックス体となっている下半身を感じた。すごい。

 

本の内容をここに説明しようとしてみたけど、書けば書くほど胡散臭い感じになる感が否めなくて、やめてしまった。

この記事を読んでくれている人にはただ、「本を読んで実践してください。もしくは私を呼んでください。痛いところや不調のあるところに、私が直接施術します。」となら言える。

 

本に書いてあったことで印象的だったのが、「ヒーラー」という職業は、厳密には存在しないのだということ。

そして、さらに厳密に言うならば、患者本人が実はヒーラーなのだということ。

どういうことかというと、「自分にしか、自分自身の意思によってしか、自分のことは癒せない」のだという。

 

一般的に職業が「ヒーラー」と呼ばれている人たちは、患者本人が自分自身を癒すための環境を整えたり、癒すためのきっかけを与えたりすることが役割なのだという。

自分の意思、自分の身体の意思、細胞の意思、生命力の意思。そういったもののみが自分を癒すことができる。

 

要するに、極端な話だけど、細胞の全部が死にたいと思ってるような人がもしいたとしたら、どんなに素晴らしいセラピー環境が整っていても、その人は治りようがないのだという。

あとは、いつまでも入院が長引いたり、病気ばかりしているような人は、自ら望んでその状態になろうとしている可能性があるということ。

 

 

前述した通り、昨日から本に書いてあるヒーリングワークを私自身に試してるのだけど、その行為をしているということだけで「自愛」の行為ということなんだと思う。とても気分がいい。

 

いま私の体温は、風邪の症状やだるさなど何もない、むしろ全身がほどよく緩んでとても心地よいのに、謎に37.8度。いま、全身が一生懸命毒を出そうとしてるのかもしれない。

 

 

 

この本を送ってくれた本人も、最近なぞの病で入院するも、この本を読んで最短退院が叶ったそうだ。

 

目に見えないもの、でも確かに「在る」もの。

 

これ以上は、うまく言葉にできる気がしない。

ただ私はいま、ベッドの上で、喜びにも似たような静かな感情の中で、呆然としてる。

 

 

このまま安心して、病院で毒を出してこようと思う。 

 

余談だけど、今回の一件は、来るとこまで来たんだなと。溜め込んできたものが仙骨の骨折という形で表出しただけで、必然な出来事だったんだなと。そんなふうに感じている。

 

(仙骨は人体の要でもあるのと同時に、過去のトラウマやカルマを溜め込む場所でもあるらしい。)

 

そして、病院という環境でしっかり守られながら一回死ぬだなんて、実に私らしいなとも思う。

 

この一人きりで自分の体に向かい合う静かなベッドの上での時間を、私はとても気に入ってる。

 

友人や家族のお見舞いも嬉しいけど、それよりも退院後の私と会うのを楽しみにしててね、と思ってる。

 

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私はもっと、落ち着こうと思う。

 

落ち着いているときの私と、変に怯えて、酷く視界が狭くなっているときの私との間には、大きなギャップがあると感じている。

 

前者が多分、本来の私に近いところの私だと思う。私の動物占いは「どっしりとした猿」

 

で、後者になっているときは、自分を完全に「LOST」していると感じる。身体反応としての強張りがある。これは多分、過去のトラウマが関係して都度都度、突出する私なのかな、なんてことを今回の入院中に考えた。

痛みに対する怖さや身体反応が、理学療法士さんに言わせると、かなり強くて他の人の比じゃないらしい。

後者のときの私は、言いたくないようなことを言ったり、やりたくないようなことをやったり、変にはしゃいで見せたり、とにかく落ち着きがない。多分、自分の中で勝手に作り上げた脅威から、何かを必死で守ろうとしている。

 

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私は経済的に、とても恵まれた中で育って来たと思う。育った環境も、身を置いてきた社会や文化も、受けてきた教育も、素晴らしかったと思う。でもそれらが素晴らしければ素晴らしいほど、影にあるものはなかなかに濃くて、周りの人には話せないような出来事が、過去にたくさんあった。

 

子どもの頃、迫り来る暴力に怯えながら裸足で夜の道を走って投げるような体験や、逃げ場のないところで理不尽に、陰湿な言葉と暴力で責められ続けるような体験。思い返すと結構してきた。

 

「過去の出来事やトラウマのせいで今の私が◯◯◯」みたいな話は、するもんかと思っていた。他人や起きた出来事のせいにしていて、自分の人生が動くもんかと考えていたから。 

 

でも、今回入院してみて、思った。

私は自分の傷を、もう一度よく確認した方がいい。この傷を、「自分自身の手ですすんで」癒してあげたほうがいい。

 

自分や、自分の中で時々作り上げてしまう敵との闘いを、もういい加減、完全に終わりにしてしまいたい。

 

恐怖はクリエイティビティを殺す。

わたしは、恐怖を殺してクリエイティビティを生かしたい。

 

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退院したら一番にやろうと思っていることがある。それは、温泉に入ること。気持ち三時間は風呂に入ってブラシで身体中を擦ろうということ。それと、海に入ろうということ。 

自分にいくらでも、「最高に心地よい」をプレゼントしたい。


海に入る場所は、マウイ島を考えてる。
航空券をずっとチェックしているのだけど、退院の目安日との間で睨めっこを続けている。

 

マウイ島、実は以前から移住することも考えていて、情報を集めれば集めるほど、行ったひとから話を聞けば聞くほど、自分に合いそうだなと感じてきた。


今回とりあえず一人で行ってみて、いいなと感じたら、子どもたちを呼んでそのまま住みついてもいいかな、なんて考えてる。子どもたちが日本に残りたいと言ったら、勿論それでもいい。

 

ラムピリカも大好きだけど、多分、もう手を離す準備はすっかり整っているんだと思う。

 

北海道旅行から入院も合わせて、私は今回、一ヶ月はラムピリカに足を踏み入れなかったことになる。随分身軽になったものだ。

 


歩けばスピリットに当たるという噂のマウイ島マウイ島のことをベッドの上で考えていると最高にワクワクしてくる。元気が湧いてくる。

 

こんな発想、もしかしたら、いま動けないことがが辛くて、現実逃避してるだけなのかもしれない。退院したら、あっさり、考えなくなっているのかもしれない。

でもそれでもいいかなって思ってる。

いま、まだ見ぬ美しく神秘的な島に想いを馳せる。それだけで、すこしだけ身体が軽くなるような心地がするんだ。

 

 

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退院後に待っている世界は一体どんな世界だろう。

 

もっともっと、私は美しい世界をみたい。

もっともっと、透明な私になりたい。

きっともっと、美しく生きる私を見てみたい。