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On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

2017年

熱海で新しい年を迎えた。

大晦日の夜、除夜の鐘の音につられて家の外に出て、足の向くままに歩くと伊豆山神社にたどり着きそのまま初詣となる。

茅の輪を八の字にくぐって参拝。
二拝二拍手をして、考えのないまま目を瞑ったとき、自分から湧いてきた言葉はなぜかお願いごとではなくて、


『大好き、大好き、大好きです!
世界もみんなもわたしも、超大好きです!!!
全部がもっとよくなります!
ありがとうございます!!』


という「申告」と、御礼だった。笑

 

2017年。
今年はどんな年になるかな。

 

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2016年は、たくさんの思い込みや、これまでしがみ付いてきたあらゆる教えやしがらみから「一旦逃げるぞ!」と猛ダッシュで走り、新しい体験にとにかく飛び込んでいったような激動の年だった。とにかく走った。

過去を過去に、2016年内に、ちゃんと置いてこられたという感覚がある。

 

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一緒に走ってくれたひとたちがとにかくフットワークの軽い人たちばかりだったり、とても尊敬する、大好きな人が手を引いて一緒に走ってくれたような感覚がわたしの中にあって、とにかく速度は速いし話も早かった。

振り返ればただただドラマティック。ジェットコースターみたいな感覚。

絶望するようなこともたくさんあったはずなのに、いまは不思議とあまり思い出せない。

かわりに、容易に思い出されるのは眩しいほどに美しい瞬間の数々や、大切な人たちとたくさんたくさん笑ったこと。

 

目指し続けた場所はこれまでも、そしてこれからもきっと、「新しい場所」ではなくて、「新しい人間関係」や「新しい概念」などでもなくて。結局はどこまでも「自分」だった。そこからはじめて拡がっていく、ほんとうの意味での人との繋がり。


そんなことを、体感し続けたような一年でもあった。

 

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そして、いま。
新しい一年に対して浮かぶイメージは、今度は

 

「地に足をつける」

 

ということ。

 

「やりたいと思ったことを、やりたい時に、やりたいように」

これが去年までの数年で続けてきたこと。


でも新しい年は、「その時ほんとうにやりたいかどうかとか」などはあまり深く考えずに、自分の居場所で、自分の目の前にあることを日々坦々と行っていく。積み重ねていく。そんな予感がある。

 


具体的な行動として思い浮かぶのは、

 

喫茶店を開店する
珈琲を淹れる
料理をつくる
絵を描く
ギターを弾いて歌う
文章を書く
身体を動かす

 

などなど。

 

こうして並べてみると、今までとさほど変わらないのだけど、変わるのは多分、「姿勢」なのかな。


喫茶店も、自分の身体も心も、周りの大切な人たちも。

よく観て、丁寧に丁寧に触れ、関わって、でも軽やかさは忘れず美しく整えていきたい。

強い根を、わたしの中におろしていきたい。

 

きっと、地に足をつけ、わたしがわたしであり続けることにリラックスしていれば、喫茶店を訪れる人たちや家族や恋人や友人たちにもきっと、それはもうきっと勝手に、いい空気を送ることができる。

 

抽象的な言い方になってしまうけど、そんな予感がある。

 

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それと、もう一つ。

「親子の癒着」をいよいよ断ち切る年になるのかな、という気がしている。

こどもたちとのこと。

 

だからと言って、こどもたちを突き放すとか、他人になるとかそういうことでは全くなくて。

 

大切な家族であることにはこれからも変わりがないけれど、「こども 対 親」の付き合いから、より「人間 対 人間」の付き合いになっていく。 という感じかな。

 

「こども 対 親」の付き合いがよくないものだとか、そんなことは全く思ってない。ただ、自分にはあまり向いてないのかなと感じる。

 

わたしは極端な性格なのか、「親としての義務や責任」のようなものを考え始めた途端に、勝手にプレッシャーを感じすぎてこどもたちを背負いすぎてしまい、苦しくなる。
背負いすぎた結果、こどもたちに辛く当たってしまう、優しくできなくなるという負のループをこれまで繰り返してきた。

 

でも、「人間対人間」の感覚を大切にしていると、こどもたちを「守って導いてやらなきゃいけない対象」から「一個人の人間として完成した存在」として捉えやすくなって、より深く信頼することができる。

依存関係が薄まることで負のループから抜けて、こどもたちはこどもたちのやりたいことを、私は私のやりたいことを、より自由に選択していくようになる。

「大人に教えられた通りにやること」から、こどもたちはいよいよ抜け出して、本人たちだけの思いつきや衝動で新しいものを掴みにいったり、生み出したりするようになる。
私は私に、よりフォーカスしやすくなる。 

 

 そんなことをいま、感じていて、これが加速していったらいいかなと思う。

 

 

このことは、なにも子どもたちに対してだけ感じてることじゃない。

わたしも、こどもたちも、恋人も、友人も。きっときっと、みんな。

しがらみや癒着や役割から離れたところで、風通しの良い人間関係のなかで、よりクリエイティブで愛に満ちた日々が送れたらいいなと思ってる。

 

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なにが正しいかはいつまでたってもわからないし、多分わたしは「わかった」って、一生言いたくないのかもしれない。

 

だって、わかったって言っちゃったらそこで止まる。わかったって言わなければ、その先があるかもしれない。

 

「こっちがなんかよさそうだな」と思った先へ先へと進む。すると体験が生まれる。

その体験に意味付けするもしないも、学びを見るも見ないも、振り返るも留まるもまた進むも、笑うも怒るもみんなみんな、いつまでたってもどこまでいっても、最初から最後まできっと自由だ。

 

全部おっけー。ならば2017年もスキップしていこう。笑いながらいこう。

いつも、そんなことを思ってる。

 

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わー、さっくり短く書くつもりが、どっさり文章になってしまいました…。

もっともっと削いでいきたいな。

 

みなさま、千秋はこれからも生きます。

2017年も共にたくさん遊びましょう🌟

よろしくお願いいたします!