On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

信頼の層と不信の層

昨日友人がわたしに対してしてくれた指摘が、
至極腑に落ちたというか、
とても印象的なものとして残っているので、
ここに書き記しておきたいと思う。

わたしの内面の奥深く、一番ふかいところには、
おそらく大きな「信頼の層」のようなものがあるのだという。

それは、自分に対する信頼感。
ひとに対する信頼感。
世界に対する信頼感。

そんなふうなもので満ちている層。

もしも人の内面や意識に幾重にも層があるのだとしたら、わたし自身もそう感じる。
きっと友人の指摘の通りなのだと思う。
そこは、あたたかくて、やさしい光に満ちている。

どんなに心がゆらぐことがあっても、漠然とした「全体感のある信頼感」のようなものに、いつも戻っていく感があるから。

友人の指摘は続く。

どうやらその「信頼の層」の一段上あたりに、
また別の層があって、
名付けるのであれば「不信の層」

これが、「信頼の層」よりも比重は少ないにせよ、どうやらあるようだ、と。

そしてその層の内容物は、
「ひとや世界に対する不信感」というよりは、
「わたし自身に対する不信感」が大半を占めている。

わたしの言葉はいつもストレートで、核心をついてくるし、よいのだけど。

ただ、全く同じ言葉を発していても、どちらの層から言葉が発せられているかによって、まるで響き方が違うのだという。

前者の層の場合はすっと心までやさしく届く。
それに対して、後者の層の場合は、まるで尋問を受けているかのような緊迫感を伴うことがあるという。

真実を見極めたい願いが強いからこそ、自分自身に対してストイックだからこそ、後者の層が存在するわけであって、どちらの言葉がよいとか悪いとか、そういう話ではないのだけど。

ただ。

圧倒的な信頼をわたしに寄せようとしてくれている人に対して、後者の層からの言葉をわたしが発したときには、相手をひどくひどく悲しませていると思う。

そんな指摘だった。

わたしは、あまりにその指摘が腑に落ちすぎてしまって、納得がいきすぎてしまって、昨日はひどく落ち込んだ。でも、それ以上に、友人に対して敬意の念を覚えた。

「言語化してくれて、ほんとうにありがとう。」

心から御礼を言いたくなった。

このことを、覚えておきたいと思った。
この二つの層のことを、知っておきたいと思った。

もっともっとクリアになりたい。
もっともっと自分にもひとにも優しくありたい。

いつだってほんとうは、手放しで愛を放っていたいんだ。

 

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