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On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

自分の輪郭

退院して1週間が過ぎた。仙骨の調子がいい時には少しずつリハビリ。近所をゆっくり時間をかけて散歩している。右手に松葉杖、左手にはミニギター。

 

春らしいざわざわとした海風、春らしい湿り気の多い大気のなかで、眩しすぎる黄色の陽射しが霞む。ソメイヨシノの蕾が開き始めているのを今日川沿いに見つけた。まだ開いていない蕾もみんな、今にも一斉にはち切れんというほどに膨らんでいる。

 

散歩の途中、人気のない陽当たりのいいベンチを見つけたりすると、休憩がてらそこでギターを弾く。カフェを見つけるとお茶する。そうやって少しずつ進む。

 

 

 

自分の内にこもるのが得意なひと、好きなひと。苦手なひと、嫌いなひと。

いろんな人がいて、でも性質は常に細やかに流動的だったり、短時間でがらりと変わるようなひともいたり、不動の人なんて存在しないんだろなと思う。

 

内にこもるのが得意なひと、好きなひとは、ざっくりすぎるまとめ方すると所謂「ネクラ気質」というやつなのかなと思う。ひとり静かに内にこもって、自分を確認して、言葉なりなんなりに表す時間がどうしても必要たったり。もしくは単純に好きだったり。

 

内にこもらなくたって、自分の内側からほとばしってくるものを瞬時に感知して外に表し続けるのが得意なひとは、「ネアカ気質」?なのかしら。

ネクラとネアカにすっぱり分けられるようなものでもないだろうし、どちらが優とか劣とかなくて、しかもそれらの性質は多分永遠に流動的で。

 

ごにょごにょ書いた。

 

 

 

私には、自分の形をすこしでも知りたい、わかっていたいという願望が子どもの頃からある。

「完璧にわかる」なんてことは永遠にこないのだろうけど、でも自分が自分に生まれた以上、少しでも自分の輪郭を確かめておきたいと感じる瞬間がたくさんある。

 

「ネクラ」も「ネアカ」も持ち合わせてると思う。そして時々、どうしようもなく「ネクラ時間」が必要になる。人との距離を取りたくなることがある。内にこもって、自分のためだけに文章を書き続けたりギターを弾き続けたり歌ったり。そうやってはじめて、自分を保てるようなところがある。そうやってはじめて、世界に飛び出したいと思える瞬間が訪れる。

 

  

-------

 

昨晩、飲みに行こうと友人と約束していたのにドタキャンをしてしまった。

 友人に理由を聞かれて、仙骨の調子が今日は悪いからとか、今人混みに行きたくないとか、約束したときは会いたかったんだけど今は誰にも会いたくないとか正直に話しつつ。

でも、もう100個くらい理由はあるなと思いながらもどうにもまとまらなかったので、最終的には

「でもやっぱりわからない」

と伝えた。

「いや、わかるでしょうよ」

と友人は言う。

「まとめたいけどまとまらない。君が納得できるように言わないとだめかな」

と問うと、

「そうやって君は、だめな自分でも丸ごと愛してねって言いたがる」

と指摘されて、うっ、、、、となった。

わたしは、

「ごめんなさい。でも、君は責めてるつもりはないのかもしれないけど、そういうこと言われると責められてるような気持ちになる」

と言うと、

「それは君の問題だよね、だって僕は責めてない」

と返されて、そうだよわかってるよと返した。

もっともだ。もっともなんだけど。

 

とにかく、今、わたしinカオス。

この会話から逃げ出したくなってきたと伝えると、友人は、

「あのね、責めてるつもりは全然ないんだよ。ただ、そういう態度取られると、結構こっちは食らうんだよ」

 

そうだよね。わたしは今、結構ひどいことしてる。でもごめんなさい。どうしたらいいのかほんとうにわからない。無理矢理にでも会いに行けたらいいのだろうけど、兎に角いまはそれができない。仙骨はほんとうに痛いし、でもそれ以上に私はいま、なぜかやたらと一人になりたい。

 

それを話すと、

 

「そういう時は言葉に書き出してみるといいよ。僕はそういうときには、言葉を書き続ける。」

 

そうすることでわかることがあるかもしれない、と。

そして私たちは電話をきった。 

 

この友人とは6年くらいの付き合いになるのかな。

自分の弱さをとことんまで知り抜いた人間は強い。多分最強だ。そして果てしなく優しい。それが彼だ。

相変わらずすごいな、もっともなことしか言わないなと思った。

 

実際、混乱してるなって思うことは最近多くて。仙骨の損傷で一度派手に失った自分のバランスを、今も尚新しく作り直してる際中なんだろうなと思う。こもりたい。言うならば変態が進んでいる繭の中。

 

退院してからも相も変わらず私は一人で文章を書き続けたりギターを弾いて歌ったりしている。それがとても心地よくて、そのなかで混乱が落ち着いていったり気づくことがあったりというのはよくある。

 

 

仙骨って、人体の要らしく、言ってみれば高速回転する駒の主軸。少しでも損傷があっただけで人体は容易にバランスを取れなくなって、身体のコントロールが効かなくなるらしい。

仙骨や、骨盤の中にある仙腸関節(私が今回思いっきり痛めてしまった箇所)について詳しく知りたいかたは、先日わたしの本音を見事に引き出してくださったカイロプラクティック師、まる先生のブログがすごく面白かったので、ご参照あれ。

http://marusan.club/仙腸関節の役割を考えてみた/

 

 

最近の自分を見ていて、思春期の頃のカオスを少しだけ思い出してきた。もうすぐみずきが思春期にはいるから、この感じをいま私がフレッシュに体験できているのはいいことだろうな。思い悩んだり混乱してるみずきをこの先目の当たりにしても、「ほっといてあげる」「信頼して一人にさせておく」ことの大切さを容易に思い出せる気がする。

 

 

どんなときの自分も、多少みっともなくても何でも、なんらかの形で表し続けていくことが大事なのかなって思ってる。 言葉でも、歌でも、絵でもなんでも。

 

内にこもっているときは基本ひとりきりでこもっていればいいのだろうけど、そして今までは人に迷惑かけたくないからと本当に一人きりでこもり続けてきたのだけど。

最近は、内にこもっている自分をも解放するという技術?を身につけることができてきた気がしていて、だから人に呆れられながらも迷惑かけまくりながらも開かせてもらってる。

 

そして「解放する技術」とか書いたけど、単純にこれは、わたしのなかで育ちつつある「信頼感」なんだと思う。

「弱さも含めた自分」への信頼感。友人への信頼感。世界への信頼感。 

自己開示するばするほど、怒られるかな…と一瞬恐れもするのだけど、結果的にはいつも「世界は優しい場所」だと知らされるばかりだ。

 

 

わたしのブログを読んでくれている人から、最近嬉しい言葉をもらった。

わたしの文章の魅力は、「人間の温度を感じる」ことだという。

どうしようもない人間くささの開けっぴろげで、なんだか読んでいてほっとすると。

あと「わりと上品な感じの文章が続くのに、時々突然やんちゃな感じが飛び出してくるから、読んでいてドキッとする笑」

らしい。笑笑

 

なんかこれって最高に嬉しい褒め言葉!と思った。鵜呑みの丸呑みにして、これからも好きなように書こうと思った。

 

退院するときに、お世話になった理学療法士さんにも恐る恐るこのブログをシェアしてみた。病院に対する悪口とか、薬こっそり捨ててたこととか書いてたので、どきどきしつつ、ほんとうに感謝してるってことを伝えたくて、伝わるといいなと思って、シェアした。

結果的には、入院中の日記全部読んでくれて、「読んでいて、すごくじーんときました。」「考えさせられました。これからも患者さんと、ちゃんと向き合っていこうと思いました!」と話してくれた。

 

ものすごく、嬉しかった。

 

でも、今回の友人からの一言、

「そうやって君は、だめな自分でも丸ごと愛してねって言いたがる」

 

これも、しっかり自覚しとこうと思う。

私は人に甘えてる。だめなときなはどうにも頑張れない。だめなままいさせてもらってる。

でも、だからこそ私には出来ることがあると思ってる。人がだめなとき、きっとそれを容易に受け止めることができる。だめなときはだめ、それでいいよって心の底から言ってあげることができる。

根底には人間に対する信頼がある。散々飽きるまで「だめ」を通り越したら、その後にはきっと、どうせね、素晴らしい躍動が待ってるんだ。

 

 

なにひとつ間違いはない。弱さも強さも、美しさも濁りも。全部オッケー。

自分の輪郭を、そのままの輪郭を見たいという願いは捨てたくないし、たとえ盲目だったとしても、感じとったことをそのまま表していきたい。これからも。

 

 

長くなりました。

読んでくれてありがとう!╰(*´︶`*)╯♡

 

 

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New Balance

歩けるようになったお祝いにニューバランスのスニーカーを買った

紫がかった藍色

深みがあるのに眩しい、そんな美しさを醸し出していてとても気に入ってる

足の形にしなやかに沿う履き心地も

どんな気分のときでも、出かけるため靴の中に足を収めようとするたび嬉しさが湧いてくる

これまでも思ってきたことだけど、こういう出会いがあるとほんとうに好きな靴だけ履いていたいなと思う

靴に限らない、服も、肌着も、自分に触れるなにもかも

 

 

退院から4日すぎて、入院前と今とで世界の見え方が変わったことに少し戸惑ってる

 

ラムピリカは、なぜか私が作った場所とは思えない、私以外の人が作ったものに見える

親近感があるのにすこし遠い

 

久しぶりに色んな人とコミュニケーションを密に取るようになって気づいたのは
愛想笑いができなくなった、適当な相槌も無理

 

聞いていて面白くないなと思った話には、相手がどんなに楽しそうに話していても一緒には笑えない
笑おうとすると自分に嘘つくのがわかりすぎてしまって辛くなるから、ちょっとその場を離れる
「それ面白くないよ」って今にも言いそう

性格悪くなったかも  でも悪くない

「プレーンな感じ」の自分が心地よい

心が死んでるわけでもないと思う

ちょっとでも可笑しいことがあるとすぐ吹き出してしまうから

 

 

なぜかここ数日、孤立感のようなものが強くなってきてる
分離感ともちがう

さみしさは感じていないのだけど、それほど人と話していたくないというか

話したい、会いたいという衝動が湧く人には連絡をとってみたりもするのだけど、その気持ちも相手の返事を待たずして不思議と霧散する

生存が確認できたら満足してしまう


矢印がひとに向かない
自分自身の体感覚や欲求や、自然物や空間に向きつづけている

その矢印が、私の望まないほうに向くように強いてくる人がたまにいると(悪意はもちろんないのだろうけど)ストレスに感じてしまう

 


病院にいたときのひととの距離感がちょうどよくなったのかな
カーテンの仕切りのなかで常に自分の時空間を守れる、だけど常に誰かそばに居てくれる安心感もあった

時々気まぐれにかわす気さくなやりとりが嬉しかった

 

新しいバランス感がいまここにある

自分とひととの距離感、自分と世界との距離感

なんだか前と違う、新しくて、ちょっと戸惑ったりもするんだけど

 

言葉のやりとりはひどく速度が遅いように感じてる

いま好きなひとたちとやりたいことがあるとしたら、ただ抱きしめ合うこととか、肌と肌を合わせて呼吸や体温を感じたり、そういうことかなと思う

言葉はなんだか、遅い

 

仙骨周辺にまだほんのりと痛みがあるので、できるだけ動かさないようにして過ごしてる
身体を動かしたくなる時には松葉杖で散歩
江ノ島周辺は春の観光客で賑やかすぎたので
静かな境川沿いをゆっくり
海と反対方向に進む
ゆっくりゆっくり、休み休み
少しずつ 身体を頼りに進む

 

川の流れる音

鴨が水面に波紋を作りながら進む

踏みしめるたび鳴る砂利道

やわらかな春の太陽の粒子

ほのかに香る潮風

前を歩く子どものはちゃめちゃで軽やかな足取り

  

 

深く息をすいこんで、ゆっくりと吐き出す

世界が透明で眩しいとき
愛おしさと、なにか懐かしむみたいにほんの少しのもの哀しさ

 

蕾の中でじっと待ちつづけて膨らみはじめた

退院した日の夜。100年ぶりの熟睡が待っていた。

12時間以上眠ったのかな。

起き上がる時は、小学校に行った鈴がただいまと返ってくる時だった。

 

昨日の退院時はすっかり軽くなっていた私の左脚は、

なぜか今日目覚めるとすこし重くなっていて、仙骨周辺には鈍い痛み。

そうか。ゆっくり行こう。

 

松葉杖でゆっくりゆっくり、鈴、くりちゃんと、

近所の珈琲屋さんへワッフルとコーヒーをいただくために出掛ける。

 

川沿いの道を歩く

陽の光のやわらかさが、川沿いを歩く鴨が、静かな川の流れが

完全に春だ

 

テラス席で、こんなに美味しいコーヒーはいつぶりだろう

しんみりして震えていたら

ペコさん、ちえこさん、のんちゃん、しょうちゃん

いつものメンバーがやっほー、どうもーって合流する

 

ぺこさんは相変わらず音楽のことで楽しいことがたくさんあるらしくて可愛い

ちえこさんは、あらこの人恋でもしたのかしら?ってくらいきれいになっていた

子どもたちはもうただ居るだけでそれだけで宝石のような輝き方

なんだか嬉しくて幸せで

ふふふとたくさん笑ってしまった

 

湘南海岸公園駅前の、ほとんど毎日開いてる珈琲屋さん

ちゃんと話すのは初めてなのに、「ラムピリカさん?」

私のこと知っててくれて驚いたし嬉しかった

怪我して休業中ってことまで知ってた

 

ラムピリカ再開したら、開店日にお店閉めて遊びに行きます!って。

嬉しいな。ぜひ!って返す。

真面目な珈琲屋さんと、うちはなんだ?気まぐれな珈琲屋さん?w

正反対なのに、仲よくなれそうな空気感

 

退院して

まあ全快ではないからそんなに派手に動けないけど

でも嬉しいのは会いたい人には会いに行けるし

自分の好きな時に散歩に行けること

検温の時間ですよ!って看護師さんに叩き起こされないこと

 

歩けるようになったお祝いに 新しいスニーカーを買った

さっきラムピリカに届いた

すこし紫がかった綺麗な蒼のニューバランス

意味、考えたことなかったけど

「新しい均衡」か いいね

 

喫茶店に差し込んでいるやさしい春の光が嬉しい

外から「なーぁ」ってか細い猫の鳴き声

窓を開けると、ブロック塀の上

こっちを静かな眼でじっと見つめるふくよかな茶トラ

私の入院中、ラムピリカには近所の猫氏が毎日通うようになったらしい

子どもたちから話は聞いていたけど、私がご対面するのは初めて

挨拶に来てくれたのかな

しばらく静かに佇んだらブロック塀の上をゆっくり歩いて去って行った

 

 

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宇宙元年

約5週間に及んだ入院生活を今日終える

退院します

 

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1カ月でプチ・アトリエのようになった病室

病院スタッフさんたちからは「充実してんな!w」とか

よく笑われた

今日でさよなら

 

 

今朝起きて、入院記を最初からざっと読んでみた

5週間前の私は、いまだかつて経験したことがないくらい、本当に、全くもって動けない人だった

ブログに使われる画像、前半は連日「寝たきり状態のベッドから見える窓」

 

動けないことを、静かに、何もしないで味わい続けるってこともできたのかもしれないけど

振り返ると私は本当に、それをやり続けようとはしなかったなと思う

とにかく言葉を綴った、綴り続けた

 

 

野生動物は怪我をすると、その怪我が治って再び動けるようになる(天敵から逃げることができるようになる)まで微動だにしないという話もあるけど

野生的な本能は多少残しつつもやっぱり私は人間なんだなと思った

 

こんなにも動けない身体を、動かないままにしておくのは辛かった

動作の選択肢が極限まで減った世界では、動くのは頭ばかりでたくさん考えてしまった

溢れ出てくる言葉をアウトプットせずにはいられなかった

 

アウトプットの全てをホールドしておくこともできた

でもリリースしたいときには、したいがままにしてみた

それに対して「いいね」も「ないわ」も「助けになりたい」も

リアクションを起こしてくれる人がいたこと

それらのことが私をわかりやすく支えてくれていた

やっぱり動物じゃないな、人間だなと思った

自分の脚で立つことは大切なことだけど、

それでも人は人に助けられて 人は人に生かされる

 

この入院期間中に助けてくれた人たち、励ましてくれた人たち

新しく生まれた関係性、新しく出会い直した関係性

数え切れないほどあった

 

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人間であるからこそ、ひとからのアクションに影響を受けないわけはないけれど

それでも全然「アクションを得るためのアウトプット」はできないんだなと思った

みっともなさはみっともないまま

楽しいことは楽しいまま

悲しいことは悲しいまま

そのままにしか表現できない

かっこ悪くても何でもそのままに表現することでやっと、

私は私を生かすことができた

 

 

溢れるがままにアウトプットし続ける日々の中

いいなと感じる新しい変化もあった

矛盾してるみたいだけど 日に日に言葉が失われていく感覚があること

日に何度か、言葉も思考もぽかんと身体から抜け出して

ただ目の前のものを見るともなく見てるというか

身を包む空気の温度を感じてる(温度の中にいるという方が近い)

音を聴くともなく聴いている(音の中にいるという方が近い)

それらをやろうとしてやるんじゃなくて

「そうなってる」

そんな時間が訪れるようになった

 

 

 昨日3月20日は春分の日

妹に退院の報告をしたら、

春分の日の今日は、実は宇宙元年と言われてるんだよ。いい日に再スタート切るんだね。」

そんな素敵なメッセージをもらう

 

これからまた世界を歩いていく中で

この身体で生きて行く中で

何度もまた汚れたり また洗い流したり

繰り返していくんだろう

 

どこに向かうの?

自分の真ん中に向かうの

そしてそうやって初めて、世界にもう一度出会いにいきたいんだ

愛おしい人たちに 何度でも何度でも新しく出会いにいきたいんだ

 

いつも道の途中

I'm on the way always

 

 

 

 

 

 

 

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おまけ:

ひそやかに 梅佳代ブーム 再来中(575)

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最高。

 

最近のあれこれをつらつら

確定申告をするために病院に持ち帰ったPC。

確定申告には一切手をつけぬまま3日が過ぎ。

(すでに提出期限過ぎてるというのにやりたくなさすぎて出来ない!誰か助けてください…!)

かわりに着々と、ずっとずっと作り直したかったラムピリカの新しいHPが出来上がりつつある。楽しすぎてやめられない。

 

思いっきり作り途中だけどリリース!

http://www.lampilica.com

 

ドメイン取得しちゃった!アガるぜ!きゃー!

(動画のページもあるのでできればパソコンで見てもらいたいです!)

 

ーーー

 

17日、みずきの卒業式に参列してきた。

病院から外出許可をもらい、車椅子に乗っての参列。

 

 

卒業証書を受け取るとき、卒業生全員一言ずつ、マイクで話す。

卒業生は140人以上もいたけど、140人以上分、結構聞き入ってしまった。

 

「サッカー選手になりたい」

国会議員になりたいです」

システムエンジニアになりたいです」

「調香師になりたいです」

「獣医師になりたいです」(これはみずき)

イラストレーターになりたいです」

 

夢というか「つきたい職業」を話す子は半分くらい。

 

「中学に入ったら英語を頑張りたいです」

東京オリンピックでボランティアしたいです」

と近未来の話をする子もいれば

 

「クラスのみんなが大好きです。」

「友達や家族や先生のおかげで楽しい小学校生活が送れました、ありがとう。」

愛や感謝を語る子もいれば

 

「日本の食料自給率は先進国でも最低です。自給率を上げるために農家になります。」

大人よりも真剣に日本の未来を考えている人もいた。(「子」じゃねえ!)

 

そんな中、

「これからも様々なことを色々に頑張っていきたいです」

と言った子が私の中でMVP、審査員特別賞でした。

何か言わなきゃいけないけど言いたいことないから、開き直って「徹底して適当に言ったった!感」がすごくて、彼の勇気に乾杯。 

 

卒業の日のみずきは、とても美しかった。

12年前、私の両の手にすっぽりと収まるほどに小さかった彼女は、この日自分で選んだ袴に身を包んで、凛とした佇まい。高いところできりりと結った髪に、はいからな赤いリボン。

百人一首とか強そー!w」って茶化したけど、でも本当は見惚れてしまってた。

何だかすっかり完成してる彼女に感動した。

 

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この入院生活の1ヶ月、離れて暮らしている間にも、彼女の顔も体もまた一段と大人びた。

かと思ったら昨日は5時間かけてダンボール工作をしたよというメッセージが届いて、そして作ったものが本当に色んな意味ですごすぎて笑った。

 

 

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謎のギミック工作物…

 

人としてとっくに完成してるのに、それでいて日々ものすごい勢いで成長もしてるんだから、子どもって若いってほんとに素晴らしすぎる。エネルギー循環の塊。見てるだけで元気をもらえること、よくある。

それは何もみずきや鈴に対してだけ感じることじゃなく、子どもたちみんなに感じられることだ。

 

「卒業式」という行事それ自体に対しては、「大人が子どもたちに半強制的に与える、あまり面白くないフォーマット」的なひねくれた見方をしてしまって、多少の嫌悪感があるのだけど、でもそのフォーマットの上でも全然かき消されないほどの子どもたちの輝き、はじけっぷり、一粒一粒、つぶの立ったお米のつやつや感。

 

みずきが小学校在学中は、保護者会という保護者会、全欠席を貫いた(というか嫌すぎて行けなかった)ほど未だに学校は苦手だけど、子どもたちの姿は眺めているだけで嬉しくなるものがある。

こどもたちを見るためだけに学校に出向くのは割と好きなんだ。

 

ーーー

 

ここ最近はくるりをよく聴いている。

大学生の頃に好きでよく聴いていたけど、ここ最近は通らなかった。

でも久しぶりに聴いてるとやっぱり好きだなって。

くるりのいい曲って、初めて聴いたその瞬間から曲が始まった瞬間から「いいな」って思ってそれがずっと続く曲が多い。不思議と。

 

沈丁花。奇跡。ワンダーフォーゲル。ロックンロール。男の子と女の子。ハイウェイ。

 

ああ。いいな。歩き出したくなる。心が静かに震動する。

 

ーーー

 

退院日が決まった。

まだ全快はしていないけど、ある程度動けるからいいでしょ!

と先生に頼んだら、いいよって。

 

松葉杖を使った歩行練習、松葉杖を使わない歩行練習、毎日続けてる。

歩ける距離は次第に長くなり、速度は次第にスムーズになってきてる。

 

歩いていると左の脚の付け根あたりで、森で小枝を踏んだときほどの小さな小さな音で「ぽきぽき」って謎の音がし続ける。

なんかよくわからないけど、おNEWの左脚が私とのリンクをどんどん深めていってる感じですごく面白い。いいぞ。

 

退院したら少しでも早くマウイ島に飛ぼうと思ってる。理由はよくわからない。

ただ、私の好きな場所のはずの江ノ島にも熱海にもタイにも、なぜか今は帰りたいと感じてない。

「行ける場所」はたくさんあるけれど、会いたい人もたくさんいるけれど。

「帰る場所」がないなとなぜか今、感じていて。なんなんだろう。

マウイ島に行かなきゃってこと。これだけがある。

 

お金がいま恐ろしくないことと、万が一身体がまた向こうで動かなくなったらどうするの?ってとこでちょっと尻込みしてる。誰か一緒に行ってくれたら(航空券も買ってくれたりしたら)ものすごい助かるのにな、なんてことを思ったりしてしまいます。

(ほんとにすみません…。)

 

 

ーーー

 

最近、ふとした時に思うこと。

つい昔からの癖で、私には男の人と張り合ってしまうようなところがある気がするんだけど、(育った家庭の中でお父さん的役割をこなすことがとても多かったのが影響してそう)

でも本当は全然敵わないことだらけだなって思う。

 

文章を書いたって、身体を使ってみたって、モノを作ろうと思ったって。

全然敵わない。最近私の周りにいる男の人たちは特に、圧倒的だ。

逆に心地よさとか美しさとか癒しとか、そういうのは私たち女に任せておいてね。

って思う。

なんにもしないことが苦手だったけど、なんにもしないでも幸せって時間が最近急速に増えてきていて、ああもう強い男の人に守ってもらいたいな、養ってもらいたいな。そして男の人が疲れたらただ癒してあげたいな。そうやって一緒に生きていけたらな。

なんてことを考えたりします。

 

以上、今日の徒然つらつら、終わり。

わがままの功績

同じ病室内に、超絶わがままなおばあさんがいる

 

 

「ご飯?食べたくなーい!」

「流動食?まずー!」

「えっ代わりに豆乳ドリンクくれるの?おいしーい!」

「いろんな味があるの?やったー!」

「車椅子の移動?あの看護師さん(背が高くて優しいメン)がいいー!」

「ベッド動かすの?やだあああ」

 

どこか骨折してるらしく、一日中寝たきりなんだけど、痛みを感じるたび突然に

「いたああああああああい!!」

絶叫

それも1時間に3回は叫ぶ

 

体を拭いてくれる看護師さんに

「あっはははははははくすぐったあああいあははは

 (突然声トーン変わり)いったああああい!!!!!!!」

 

隣でテレビ見てる別のおばあさんに向かって突然

「うっさいよお!」

いやいやあなたの方が圧勝でうるさいw

 

 

《ナースコール名言集》

プルルルル…プルルル…(ガチャッ)

看護師さん「はい」

 

おばあさま

「(自販機で)コーヒー買ってきて!」

「こっち来て!来たら(要件)教えてあげる!」(私超絶吹いた)

「蚊が飛んでるー!」

「トイレ」

「ごちそうさまでした!」(食事終了の報告)

「痛いよー!」(現状報告w)

「ねえねえなにしてんの?」(暇らしい)

「落としたー!拾って!」(何を?!というツッコミをしつつ吹いた)

 

入れ替わり立ち替りでいろんな患者さんが同じ病室に滞在するのだけど

これまでも超絶わがままなおばあさんは何人かいた

こんなお年寄りには絶対なりたくないなーと思うような人

こじらせてんなーみたいな人、結構いた

 

でも今いるわがままばあさんが不思議と全然嫌な感じがしなくて

それは、ここに書いた全部がネチネチした声色じゃなくて

カラッとしててなんか甘えん坊な声で話されていて

可愛いというか、憎めないというか、聞いていて笑っちゃうというか

 

 

動けないなら動けないなりにやりたいことは湧くもので

先日、看護師さんに必死の直訴でミニギターを病室で弾く許可をもらった

 

病室内の皆さんにも許可をもらって、日中ときどきぽろぽろと弾いている

その時、わがままばあさんだけ、知ってる歌があると一緒に歌ってくれる

私は少しだけ調子に乗って 自分の弾きたい曲の合間に

昭和の懐メロとか弾いたりする

だって一緒に歌ってくれる人がいると嬉しくなる

 

看護師さんには「静かに弾いてね」と釘を刺されていたけど ふと気づくと音量気にせずに弾いてる

 

なんてったって我が病室には無敵のばあさん

わがまま特攻隊長がいるおかげで

ちょっとだけ安心して私もわがままできる

 

なんだかんだでほかのおばあさんたちも楽しいらしく

わがままばあさんの挙動に吹き出す声がよく聴こえるし、ギターはもっと弾いてとリクエストがくるし、なんだかこの病室には自由な空気がある

わがままばあさんのわがままに対応する看護師さんたちも、「もー!」とか言いつつ笑っちゃってる

 

 

ありがとばあさん

笑いをありがとう

素直さをありがとう

結構うるさいけどw

おかげかどうだかこの病室は平和です

 

なんのためらいもなく

「われがまま」のあなたが好きよ♡

 

 

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「身体が神」とぽかん力(ぽかんりょく)

自分の本音、「動きたくない」を見つけてあげられてから、すっかりぽかんとしてしまってる。

すっかりぽっかり力が抜けてしまって、以前はすきあらば「うおー!いまだ!」みたいに書いていたブログも更新したい気がそれほど起こらなくなった。

 

前回のブログを公開してからというものの、わたしの身体はほんとうに、笑ってしまうような速度の回復を見せている。

 

 

全身の筋肉のこわばりからくる痛みはすっかり霧散してしまい、いまは「あーここに仙腸関節があるんだな」と体感できるくらい、患部にしか痛みが残ってない。

その痛みもとてもソフトなもので、「わたし、ここにいますよ」と仙腸関節がささやいて時々存在を知らせにくる程度のもの。

 

先週は、松葉杖を使ったリハビリ、眉間に皺の理学療法士さんたちに見守られながら、わたし自身は地獄みたいな痛みに半泣きになりながら、3mくらいしか進めなかった。

いまはすっかり軽くなってしまった腰まわりをうまくつかって、ゆっくりではあるけど苦もなくどこまでも歩けてしまうものだから、心配症の理学療法士さんにストップをかけられるくらい。

 

左脚にはまだ若干の重みが残っていて、でもこれが全く嫌な感じがしない。

こうなにか、古い左脚が死んでしまって、かわりに今は新しい左脚が取り付けられたばかりで、わたし自身や仙骨とのリンクをいま少しずつ確かめながら繋いでいっている。そんな感覚。なんともいえない「好い感じ」がある。

 

 

痛みが減ったおかげで直立していられる時間も長くなって、それでとても面白い体験をしている。車椅子とベッドの視点の生活が1ヶ月も続いたせいもあってか、直立していると、「頭と地面って、なんて遠く離れてるんだ…」と、なんか途方もない気持ちになったりする。

「たっち」ができるようになったばかりの赤ちゃんが感じるのって、こんな感じなのかもしれない。

 

 

そのまま歩けるかな、と、手すりにも何にもつかまらずに一歩踏み出そうとしてみると、仙腸関節がぴりりと鳴って知らせてくれる。

「まだですよー」 

おっけおっけ、ゆっくりいくよ。

 

でも予感はある。

もうそう遠くないうちに、わたしは再び両の脚で歩けるようになる。

想像するだけで、ちょっと泣きそうなくらいな喜びが湧いてくる。

春がくる。新しくて眩しい春。

 

 

病院から外出許可をもらって、車椅子と松葉杖を携えて、明後日は1ヶ月ぶりに藤沢に行く。

17日の、みずきの卒業式に参列するために。

参列できるかどうかさんざ気を揉んだけど、こういうかたちにおさまってきてほんとうによかった。

 

 

この1ヶ月の日々を振り返ると、散々ひとさまに心配と迷惑をかけてきたのに不謹慎かもしれないけど、でもほんと、なんかもう笑っちゃうなとおもう。「特技は?」って聞かれたら「波瀾万丈です」って答えてもそろそろいいのでは。なんだこの人生。

 

目の前で起こる信じられないような出来事の数々に、ただただ「ぽかん」とする力、笑っちゃうしかないなもう!と開き直る力がついてきてしまった。

でも、わりと深刻癖のあった(今もある)わたしが、ここまで「ぽかん力」を身につけられたのも、いばや界隈のひとたちの影響が大きいんだろなあと思う。

どこまでも身勝手に優しく、どこまでも勝手にひとを身軽にするひとたち。

 

 去年の8月に、「いばや」が一体なんなのか、どんな団体なのか、なんだか全然わかっていないままいばやに入らせてもらったとき、開口一番徹くんに「殺す!!!」と言われたのをよく覚えてる。笑

 

誰に殺されたとも思ってないけど、まあとにかく、圭吾さんをはじめいばやの人たちの近くで過ごして来られたこの半年のおかげかどうだか、どうやらかなり毒が出たな、古いわたしは死んだのかもなと、いま思う。

 

あと、ここ数日の急速回復の原因についてはもはやはかりかねるのだけど、ざっくりいうなら

 

「本音を見つけられたこと  × フルボ酸 」

 

の相乗効果かもしれないなと感じている。

 

フルボ酸?どゆこと?かと言うと。

 

デトックストレーナー」というお仕事をしている友人が先日、オーガニック素材で作られているという超高級サプリドリンク(1本5000円近くもする)を3本も病院に送ってきてくれた。それには「フルボ酸」というものが大量にはいってるらしい。

 

フルボ酸の説明はこちら。

http://furubo.net/fulvic/

 

彼女はそのドリンクにあわせて、カルシウムのオーガニックサプリに、おすすめの本まで一緒に送ってきてくれた。こんな高価なものをたくさん、いいんですか?と問うと、「自分の生計も大事だけど、それ以上に大事なものを私はいつも探していて、自分がどんなにギリギリでもどんなに高価なものでも、『いい』とわかってるものはどんどん人に配っていこうと思ったんです。」と話してくれて、大げさかもしれないけど人類の進化を目の当たりにしたような貴い喜びがあった。両の手を合わせて彼女に向かって拝みたい気持ちになった。

 

「抗炎症作用もあるので、がぶがぶ飲むといいですよ!」と彼女が言ってくれるがままに、彼女の心意気を存分に全身に流し込むが如く、贅沢にも4日ほどで3本全部を豪快に飲み干してしまった。

これが功を奏したのか、身体方面からのアプローチはばっちり。「動きたくないの!」って本音も見つけてもらったわたしの身体氏はもう、「至れり尽くせり」で大変ご満悦、ご満足されたのではないかな。だからこんなに急速に快くなってきた?のかな??

 

魂、心、脳、思考、肉体、精神、etc....

人間を構成していると思われるものの名称は様々あるけど、この中でいまわたしが圧倒的に感謝して圧倒的に大事にしよう、神のように崇めよう!と思ってるのは、「身体」!

 

身体が全部の答えを知ってる気がした。

楽しいことも、不快なことも、気持ちのいいことも、行きたい場所も、やりたいことも、行っちゃいけない危険な場所も、なんでも。

頭はなんだかエラーを起こしてばっかりだなと思う。身体も心もしんどいのに「がんばれ!」とか自分に言ってみたりするし。

心も大事なんだけど、わかりやすい形のないこのひとは、頭にも身体の状態にもどうやら引っ張られやすい。

 

身体感覚を研ぎ澄ませていこう。

身体の巡りをいつもよくしておいてあげよう。

身体に一番に聞こう。

身体で感じよう。

身体をいつも一番くつろがせておいてあげよう。

身体をめいっぱい、細胞のひとつひとつ余すことなくうんと愛でよう。。。

 

 

こんなあたりが、「歩けない」「動けない」という1ヶ月の日々を越えようとしているいま、わたしが強烈に感じていること。

 

です!

わっしょい! (๑˃̵ᴗ˂̵)✨