On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

本日もリハビリ

仙骨を痛めてから早二週間が経とうとしている。

 

ここ数年、ラムピリカを中心に浮世離れて暮らしてきたわたしにとっては、総合病院で過ごす日々は逆輸入版のカルチャーショックがある。

 

 

効率主義とか、成果主義とか、こんな場所にもしっかり根付いていて、「人の大事な生命を、身体を、心を扱う場所なのになぜ…!」と歯痒い気持ちになったり、病院の嫌な面もたくさん見てきたけれど、でもそんななかでも皆、自分ができる精一杯をやりながら生きているんだなと思う。そして何より、ところどころで疑問は感じながらも、私は今完全に病院に、医療技術に助けられている。トータルで、感謝しかない。

 

わたしが病院の嫌な面に染まらなければいいだけだし、狭い中でも選択肢はいつだって自分に残されてる。(消灯前に患者全員に否応無しに飲むように渡される睡眠薬は、飲むふりしてこっそり捨ててる。)

 

そんな中でも幸運に恵まれてもいて、とても優しい看護師さんと理学療法士さんが担当になってくれたおかげで、たくさんたくさん、助けられながら入院生活を送っている。

 

 

 今日もリハビリ。

今朝調子が良くて、長時間腰掛けていられるようになったと理学療法士さんに報告したら、よしじゃあ今日は歩いてみよう!ということになった。

 

歩行用のバーに手を置きながら、真っ直ぐに立ち、そこから片脚ずつ上げたり下げたり。

まだ完全にはつま先が床から離れない。両の脚は、まだ鉛のように重たい。

それでも少しずつ可動域は広がっていった。

そしてそのまま、脚を交互に前にずらして、少しずつ進む。多分、30cm/分速って感じ。笑

 

息は上がるし、痛みで顔が赤くなるのを感じた。

それでも、全く歩けなかったところから、歩けた。3mも歩いてないけど、それでも嬉しかった。

 

一言に歩くといっても、腰をしっかり使うことと、脚全体に力を入れて動かすというコツはだいぶ掴めた気がする。

 

歩行の練習の後は、はじめて車椅子の練習もした。これは、楽しかった。駆動が腕というだけで、感覚的には自動車のハンドリングだ!と思った。自分の行きたい方向へ、するすると進んでいける感覚は久しぶりで、ちょーー嬉しい!!(〃ω〃) 大興奮してしまった。

 

リハビリルームでの練習のみならず、自分の病室に帰るまでウキウキで車椅子を運転させてもらった。

 

長時間腰掛けていられるようになったおかげで、窓の外の景色やYouTubeをみながら食事をとったり、座って落ち着いて文章を書けるようになった。今まで、リクライニング30度くらいのベッドに横たわりながら過ごしていたわたしにとってはこれは大革命だった。

 

ほんとうに、いつもの生活から見ればささやかなことだけど、かたつむりの速度の進歩かもしれないけど。

 

今のわたしにとっては、震えるほど、(気持ち)飛び上りたくなるほど嬉しいことだ。

 

こういう小さなことを少しずつでも積み重ねて。でも焦らず。先のことを考えすぎず。

 

歩けるようになる日が楽しみで仕方ない。

 

 

追記: 今日、向かいのベッドのおばあさんの私を呼ぶ時の呼び方が、「よしひろさん」から「よしちゃん」に変わったw

 

悲しみを脱ぎ捨てて走れ

思い通りにならないこと、目を背けたくなるようなこと。理不尽なこと。

生きていると、起こるなあと思う。

目の当たりにしてしまったときは静かに泣いていいと思う。怒っていいと思う。苦しんでもいいと思う。

 

でも、いつまでもそこに浸ってるのは悪趣味だ。そこそこに味わったら、走れ。

悲しみを脱ぎ捨てて走れ。

 

明るい世界へ、美しい世界へ、笑いにあふれた世界へと走れ。

 

私は大丈夫。

もうひとりじゃないよ。

 

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(お隣のベッドのおばあちゃんにもらったいちごがりっぱ!おいしかった!)

7日目

2月20日(月)

6:00am

 

このブログがこんな形でほぼ毎日更新されるようになるなんて考えてもみなかったな。

 

日に日に処方される痛み止めの量が少なくなってきているからなのか、なぜか昨日から痛みがぶり返してきていて、ちょっと辛い。それに伴って、元気がしぼんでいくような感じがする。

 

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 9:30am

昨日は圭吾さんがお見舞いに来てくれた。風邪であからさまに体調が悪そうだった。

少し話をしたら、五分くらいで去ろうとするので、えっ、もういくの?と思わず聞いてしまった。

じゃ、もう少しだけ、、、と言って、もうしばらく居てくれたけど、始終辛そうだったので私はよくわからない気持ちになった。顔を見られるだけで嬉しい。のと同時に、なんだかとても悪いことをしているような気持ちになってしまった。私には思いやりが足りないのかな。

 厳しいことを話すときもあるけれど、圭吾さんは、いつも優しい。

 

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 11:30am

 

外は雨。風が強いのだろう、雲がものすごい速さで流れていく。

窓の上方には、雨雲の隙間から太陽が顔を出しているのが見える。眩しい。こんなときはきっと外では虹が出ている。きっとちょうど、この病院の真上あたりだ。

この目には見えなくても、きっとこれは、いい前兆。

 

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2:00pm

 

ほぼ寝たきり生活が始まってから一週間以上が過ぎた。身体のありとあらゆる筋肉が少なくなったんだろうなと思う。

でもこれもまたいい機会かなと思う。

元々、身体中のあちこちにどうやら力が入り過ぎていたみたいだから、一度派手に筋肉が削がれることで、いい意味で力が抜けるのではないかと思う。余計な筋肉が落ちたら、そのあとにはつけたい筋肉だけをつけていこう。要するに、もうやりたくないことは一切やらないよ、ってことだ。

とにかく、こんな経験初めてするものだから、一ヶ月後に自分の身体が一体どんな風に動くのか興味がある。ヨガのポーズとかできるのかな。柔軟性は?  歩く速度とかどうなってるんだろ。走れるのかな?服のサイズとか変わったかな。

これもまた、ちょっとした実験みたいなものだ。変化を実感する日がとても楽しみだ。

 

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6:30pm

 

今日はラムピリカの隣人ぺこさんがお見舞いに来てくれた。

病院に来る途中、強風でお気に入りの傘を折ってしまったぺこさんは、修理に出してみるよと明るく笑う。

天候が荒れてる関係で、帰りの東海道線が運行見合わせ。さくっと熱海の温泉宿を予約して、一泊旅行楽しんできまーす♡と、先ほどメッセージがきた。ほんとうに、前向きだな、タフだな、と思う。

 

ぺこさんとは、年齢も離れているし、価値観違うなーと思うこともよくある。でも、だからと言って嘆く必要もないなと思う。私は彼女の存在が好きだ。

そして面白いもので、どんなに考え方が違うなと思うときでも、自分が思ってることさえ包み隠さずに話していると、器の広いぺこさんはきちんと受け止めてくれる。その上でぺこさんの意見を伝えてくれる。私を「変えよう」となんてことはしない。私も、ぺこさんに変わってほしいとは思わない。だから続いていける関係性があるし、様々な面で助け合って生きているなと思う。

 

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7:45pm


昨日は大好きな友人くりちゃんや、母、そしてみずすずさんもお見舞いにきてくれた。

 

久しぶりに会うみずきが、私の見たことない服を着ていた。古着屋で自分で選んで買ったのだという。

 

私なら絶対に選ばないような、ヒョウ柄。

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「まさか、ピコ太郎…?」


問うのが先か後か、例のダンスを粛々と病室の隅で踊りはじめたので、

「ああ…!」

感嘆した。

だってそのチョイス、私には理解不能…!!!

 

いろんな意味で、最高にクールだなと思った。

親からどんどん離れて、これからも益々独自の世界を生きていったらいいなと思った。

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なんだかすこぶる元気をもらった。ありがとう♡( ˘ω˘ )

 

5日目

※昨日2/18に書いた日記です。

 

《赤ちゃんからやり直してる》

毎日のリハビリ時間中、どう頑張っても、どう理学療法士さんに補助してもらっても、マッサージしてもらっても、痛みに対する恐怖で筋肉が強張り、また足腰に思うように力が入れられず、腰からへなへなと崩れ落ちてしまって「ベッドに腰掛ける」ができなかったここ数日。

でも今日ふと、痛みが軽いなと思ったときに、ひとりでiPhoneで好きな歌を聴きながら「腰掛ける」にトライしてみた。ふんふんと鼻歌歌いながら。強張りそうな予兆がくるたびに、一旦動きを止めて、休んで、深呼吸して、ゆるめて。

そうしたら、3回目のトライで、なんなく座れた。やっぱりリラックスしてるって大事…!すごいすごい、やった…!

カーテンの仕切りの中でひとり嬉しさに打ち震えた。このまま立ち上がれたら、そしてもう三歩ほど前に進めたら。きっと、窓の向こうの海が見えるのでは。。。

 

理学療法士さんに座れたことを報告したら、腰掛けた状態からあともう少しだけ身体を前に傾けて脚を踏ん張れば、立てるかも…!と言われ、支えてもらいながらトライした。

 

「むおお、海が、見たい、です!!!」

と、立った。 

 

立った!!!立った…!!!!

やったやった!

嬉しい嬉しい!!おめでとう!!

理学療法士さんと喜び合った!

 (なんだこれは!赤ちゃんじゃないか!)

 

でも残念ながら、その先は脚が突っ張ってしまって、歩くことまでは叶わず。

今日は曇ってて海もよく見えないから、また次の時、晴れてるときに歩くことにトライしましょう!と理学療法士さん。

ありがとう…お仕事とはいえ、一緒に頑張ってくれて、励まして、一緒に喜んでくれて、ほんとうにありがとうございます…!。゚(゚´ω`゚)゚。

 

 

《いってきます》

向かいのベッドの中田さんというおばあさんは、一ヶ月ほど前、卓球をしているときに足を骨折をしてしまったのだという。歩行器を使って、ゆっくりゆっくり進む。

なぜかトイレに行くときに必ず、「じゃ、よしひろさん、行って来ますね!」と明るく上品な声で声をかけてくれる。

そして戻って来たときには、「よしひろさん、もどりましたよ」とか、「ただいま」など言ってくれる。

 

最初は、「お、おお?」と思っていたのだけど、いまでは毎度、精一杯の大声で「いってらっしゃい!」と送り出すことと「おかえりなさい!」と返すことが当たり前になってきた。

むしろ、この声かけのやりとりが、耳のよくない中田さんのために大きな声を出すことが、今の私にとって案外心の潤いになっている。

 

 

 

《美しい音楽》

リハビリか御手洗いか以外は、一日中ベッドで横になっているか、ベッドのリクライニングを起こして過ごしている。長い時間じっとしていることががあまり苦痛に感じないのは、案外暇してないからだと思う。文章を書いたり、音楽を聴いたり、本を読んだり、すぐ横の窓から空を眺めたり、眠気がくるに任せて眠ったり。

 

なかでも、音楽を聴く時間が素晴らしい。普段は音楽は、BGMとして流していることのほうが多い日常だけれど、イヤフォンでじっくりとただ聴くだけの時間が思いのほか幸せ感があって充実してる。聴き入りすぎると怪我の痛みを忘れてしまうこともあるくらい。

 

そして実は、入院病棟というのは案外静かな場所じゃない。患者さんの痛みに呻く声とか、ストレスのたまった入院患者さんの怒鳴り声とか、ぱたぱたキュッキュッと忙しい看護師さんのサンダルの音、ナースコールのブザー音、見舞客の世間話、医療器具を積んだワゴンが廊下でガシャンと鳴る音…

 

もちろんほとんどが耐え得る音だけど、耐え得ない音も中にはあって。

でも、イヤフォンを耳に差し込み、好きな音楽を流せば瞬時にすべてから解放される。

 

遠隔DJ新谷さんが最近作ってくれた音楽リスト「ラムピリカについて」が素晴らしすぎて早くもヘビーチューンなので、これは共有したい。

https://m.youtube.com/playlist?list=PLSezNH4TcOhOMZNQOs3aaLTKrRqxFeVVw

 

あとは、こんなのも聴いています。

一番近い表現は多分「癒される」なんだと思う。

 

 https://youtu.be/Qj5z4SbrH20

https://youtu.be/-NTckphBy00 https://youtu.be/Hl2uwHzuqOY

 

 

気持ちが落ち込んでくるようなときはこちら。

聴いていると気持ちが明るくなってくる。


https://youtu.be/2BFXzBNrHoc

https://youtu.be/bj5RSMOct2E

https://youtu.be/McaEBf-tAlk

 

 

(本当はもっと貼りたいけど、面倒臭くなってきてしまいました…)

素晴らしい音楽で世界はあふれていて、ほんとうによかった。

 

 

 

《こころで負けちゃダメよ》

タイミングの悪さがぱたぱたと重なる時というのは誰にでもあるのではないかとおもう。

今日の夕方のわたしは、まさにその「時」の只中にいた。何もかもが上手くいかない、悪い方へ方へと転がっていってしまうような感覚になってしまっていた。

夜になり、御手洗いから戻ったときに車椅子からベッドに移る動作を手伝ってくれたベテランの看護師さんが「歩けないの、動けないの、辛いよね。私もやったことあるからわかるよー。でも、若いんだから、心で負けちゃだめよ」って、すごくやさしくて明るい声で話しかけてくれた。

「心で負けちゃだめよ」

その言葉が瞬時に、落ち込んでいた心にすっと沁みすぎて、おやすみなさいと仕切りのカーテン引いた後で、ひとり泣いてしまった。
そうしていたら、次の瞬間好きなひとから「明日お見舞い行きます」とメッセージがきて、今度は笑ってしまった。

 

ーーー

 

療養中と言えども、静かに過ごしていても、ほんとうにどれも小さなものだけれど、ドラマはあるなあと思う。

 

保科さんが昨日プレゼントしてくれた百合の花。あえてちょっと蕾が傷んでしまってるものを選んだのだという。そんな蕾でもちゃんと咲くんですよ、ということを伝えたくて選んだのだという。流石です。

 

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何度傷ついても、何度死んでもいいから、

何度でも咲こうね。

 

 

4日目

今日は朝から雨。

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昨日は午後四時頃からお見舞いが続いた。

圭吾さん、保科さん、くりちゃんと母とみずきとが順番に訪れてくれた。

 

ほっしーからもらった百合の花は、つほみがどんどん膨らみを広げ、病室に甘い香りを放ってる。

 

くりちゃんはラムピリカでチーズケーキを焼いて持ってきてくれた。

食欲が全然なかったのだけど、これは嬉しくて美味しくて、噛み締めながらいただいた。

 

 

 

入院4日目。思うこと徒然。

 

 

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『思い切り笑いたい』

笑うと腹筋に力が入って患部に圧がかかるため、激痛が走る。

笑いたいのに笑えなくて、これは思いの外辛い。

昨日も来客があったとき、みんなが話してくれる可笑しい話や挙動に、何回も何回も笑いたかったんだけど、なんとか堪えて。

もしくは堪え切れなくて笑って。で、

「ゔああぅははは…!!!

   ⚡️😂 😱 😭 😂 😱 😭⚡️」

という地獄のような笑い方をすることになる。まあ痛くて。

みんなの面白さに笑って、それで痛いなら本望だわ!と叫びたいところだけど、いや、もー、ほんっとーに、痛い( ;  ; )ビリビリ痛い。なんなら笑った瞬間骨盤のあたりで毎度「ごりっ」って謎の音がするという情報もお伝えしておきたい。

好きなだけ、好きなように笑えていたことに、そんな当たり前すぎるようなことに対してすら、今となっては大変な有り難みを感じる。

 

『歩きたい』

歩くことがいまの私にはできなくて、普通に歩けていた日々のこと、すごいな、奇跡みたいだなって思ってしまう。なんなら歩いてるところから駆け出したり、スキップしたり、側転だってできた。

今はたったの一歩が出ない。どころか、座ることも。トイレに行くにも看護師さんと車椅子さんに毎度出動してきてもらう。車椅子に座るのだって10分近くかかってしまう。

 

私のベッドの前の大きな窓からは熱海の山々が見える。でも、もう少し窓に近づいて外を見ると、なんと海も見えるのだそうだ。

でもベッドから起き上がることすらままならないので、私はまだ、窓から海を見るという楽しみを残しているらしい。歩けるようになりたい。

 

余談だけど、四人部屋の同室の方たちは皆70〜90代と高齢の方が多く、皆骨折などの理由で歩行困難の患者さん。「早く歩けるようになりたいね、がんばろうね」と口を揃えて言っていて、こんなに歳が離れていても戦友感がある。

 

  

『優先事項』

病院は私にとっては久しぶりの、所謂「俗世」?普通の社会というのかな。で、ここでは様々なことが効率性やコスト的なことが優先して行われているんだな、と。その前提があった上で、個や心をどのくらい大切にするのかは各々の裁量に任されてる。

でもそりゃそうか、そっちのほうが世間では「普通」なんだよねと。福祉でもあるのと同時に「対価交換」の社会。自分が非常識すぎるんだということを今更ながら思い出す。ずいぶん我儘に、のんきに暮らさせてもらってるんだなと思う。

 

 

『生きたい』
生きたいって細胞の全部が叫び出すような生命力がほしい。
考えてしまう。迷ってしまう。痛いのを恐れて強張って、一歩が踏み出せないときがある。


考えるな。迷うな。動きたいんでしょ?歩きたいんでしょ?

私の身体、激痛をもって私に制止をかけるの、もうそろそろやめてもいいんじゃない…?

 

 

『筋肉の強張り』

今日、理学療法士さんとリハビリをしているときに、ひとつのわかりやすい特徴を発見した。とにかく私が、痛みに対する恐怖がとても強いということ。

脚を動かす時、動かしたい方向へスムーズに動かせる時もあるのに、なぜか急に骨盤内でビキンと音がして全くのコントロール不能、激痛が左大腿部と左臀部を襲って微動だにできなくなることがある。あまりの痛みに息が止まる。

そういうときは、私が左大腿部に極度に力を入れ過ぎてしまってるとき。痛みに対する恐怖から、痛みから身体を守ろうとして、無意識的に極端な力を入れてしまってるらしい。つったような状態になるほどに。

力の抜き方を教えてもらい、少しずつ練習している。力がうまく抜けると、激痛もすっと引いていくことが多い。

怖がらなくていいよ、大丈夫だよ、

何度も何度も自分に言いながら力を抜くと、痛みがすこしずつ遠ざかる。

身体と心は完全に繋がってるなとおもう。

 

強がって生きてきたけど、てんで空回りというか、全然わたしはびびりだし、弱いんだなと。

認めて、はい、また、スタートだね。

3日目

まさかお世話になることはないだろうと思っていた総合病院にお世話になりはじめてから3日目。思うことあれこれ。

 

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・痛みを知ってる人は、大きな痛みを経験したことのある人は、ひとに優しい

 

・病院と学校は、ひとが多分ほんとうは一番大切にしたいことを、大切にしにくいところなのかもしれない。でもそのなかでもひとは精一杯生きているんだなと思う。生命が輝く瞬間はたくさんあるんだなと思う。

 

・人間味のある看護師さんが多い。人間味の死にかけてる?お医者さんが多い。

 

・「筋肉に強張りが見られる。これまで痛い思いをしてきて、自分を守ろうとしてるからこその強張りなので、仕方のないことだけど。」と理学療法士さん。

ただとにかく、リラックスして、安心してください、と言われる。はい、そだね、と思う。

 

・リラックスしていないと強張りが起きて、血管が細くなり、怪我の治りが遅くなってしまう。極力リラックスしてくださいと、友人が紹介してくれた整体師さんにも言われる。

 

・遠隔DJ新谷さんに、DNA修復やトラウマの解放などに効果がある528Hzの周波数が入った音源と、

https://www.youtube.com/watch?v=V2Z1ULhN5wY&t=2464s

 

サイババマントラがカルマを消してくれるのでよいと教えてもらい、聴く。

 

「ガヤトリー・マントラhttps://www.youtube.com/watch?v=w8HtbFugrW8

 

マントラを聴き始めた途端に、患部がずうんと重みをもって痛み出したのは衝撃だった。

ああこれは、理由はわからないけど、よく聴いたほうがいいのかもと思い、528Hzのほうと交互に聴き続けた。

何度流しても、マントラのほうは聴き始めると途端に痛みが重くなる。

でも回数をこなすごとに、不思議と相対的に痛みは軽くなっていった。

祈りの力って、すごいな…。

 

そして私は、いよいよ変わるときに来てるんだな。古い痛みを捨てて。

 

・食欲がなくてろくにご飯を食べてないのだけど、それはそれでいいデトックスだなと思う。なにか食べたいものが思い浮かんだりすることが、ありそうなものなのに、ない。(好物を目の前にした途端に喜ぶのかもしれないけど)

でもそんななかでも、ふとしたときに唯一、ほしいなと思い出すものがある。

それは、珈琲。もう飲みすぎたし淹れすぎたし、このアンサーは私にとっては実は意外だつた。

 

じっくり丁寧に淹れられた珈琲がのめたら最高だなぁ、、なんてことを思う。

珈琲を淹れるときの香りや、音や、湯気の立ち方。美しい光景。鮮明に思い出せる。

ああやっぱり私は、ほんとうに珈琲が好きなんだなあと思う。

 

 

・日光浴がきもちよすぎて、幸せすぎて、陽の光を全身に浴びている間は不思議と痛みを忘れていた。ここのベッドから、どうか移動になりませんように…。もしくは自力で動けるようになってから移動になりますように…。

 

・また歩けるようになるときが楽しみでしかたない。

 

火が細るとき最後に残るのは

‪自分の場合、なのだけど。

 

心身共に弱り切ってしまっている時、いつも以上に人に優しくできる、というか、自然と人に対して穏やかに丁寧に接したくなっている自分がいるなと気づくことが多い。

 

失恋したときや、症状の辛い病気をしているとき、あとは、どうしようもない寂しさなどにやられてるときなんかが思い返される。

 

そして、じつは今も。かなり手痛い満身創痍をお食らいもうしております。なので(?)わたしは今、とても穏やかです。

 こんなにも動けなくなること、人生で初めて。そのため気づくことはとても多い。

 

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仙骨にヒビが入っていることがバレンタインデーにわかり、総合病院に入院が決まった。

ここ5日ほど、身体の痛みにより食欲が出なくて、殆ど食事がとれていない。さらに、自力歩行ができない。どんな動作も起こそうとするたび激痛が走り、必然的に布団の中で横になりつづけていて、寝返りすらままならない。

一昨日から昨日にかけては、痛みが悪化してきて目が醒める瞬間から眠る瞬間まで、ほんとうに、iPhoneを操る手以外は微動だにできなくて、辛かった。なのになぜか、何かを懐かしむかのように、静かな気持ちでいる自分がいた。

ああ、日が昇る。日が沈む。

家の外で動物の声がする。

動けない自分をどうにかしようなんて欲は湧かず、そんなことよりも五感で感じ取れるあらゆることを、静かに感じ取っていた。

 

 

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最初の話に戻る。

弱った自分をいたわってほしくて、ひとに優しくしている、という感覚はなくて(そんな器用なことする余裕なんて全然ないくらいのときの話をしてます) はてさてこの優しさというか、至極ゆったりと穏やかな気持ちはどこから生まれてくるんだろう。

 

そんなことを考えたとき、表現としては大袈裟かもしれないけど、酷く傷ついているときの自分は多少なりともどこかで「死を意識している」のかもしれないと思った。(もしくはある種の諦めか。単純に余力が残っていないだけかも?)

 

 

ひとが限りなく弱くなる時…命の火が細くなるとき。ドロっとした感情も噴き出してくるかもしれない。でも、行動の選択肢が極端に減り、速度が極限まで落とされて、処理できる情報も減り、そんなときに人間は最後には透明に近づくのかもしれない、なんてことを思った。

静かな悲しみの中で、命の理りのすべてを受け入れていくのかもしれない。(そうなったときには実際、悲しみは存在しないのかもしれない)

 

あらゆるものがひとから物理的に削ぎ落とされていく時、もしかしたら、最後に残るのは至極シンプルなもの、「善性」や「純粋な愛」のようなもの、なのかもしれない。‬

そうだといいな。そうじゃなくてもよいけど。

 

死を取り扱う映画にも色々あるけれど、あからさまな悲しみや死に対する重さを表現するものよりも、死に対する静かな清々しさのようなものや、愛を表現しようとしてるのかな、と感じる映画のほうが、私は好きだ。

 

死生観がいいなとおもう映画の

おすすめはこちら。

ハル・アシュビーハロルドとモード/少年は虹を渡る (字幕版)」
https://itun.es/jp/5SNAM

 

真っ青な空が見える病室のベッドの上で、ひとり考えてる。(特等席です)

 

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