On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

まずは自分を救おう

ほんのつい先ほど。今朝起こったばかりの出来事。

 

 

一昨日、知人が長野県で丁寧に育てた無農薬の美味しい白米が届いた。

それを今朝ほかほかに炊き上げて、熟成黒味噌で作ったお味噌汁。具は豆腐ともやしと麻の実。

おかずは明太子、キュウリの漬物、鰹節と醤油だしで煮込んで味の染み込んだ大根。

それにバナナ、キウィ、みかん、カカオパウダー、麻の実ナッツ、ヨーグルト、メープルシロップ、湖塩を混ぜて作ったスムージー。

 

この朝ごはんを、学校に行く支度をしている娘たち二人に用意している間私は思った。

「なんて美味しそうな朝ごはんなんだ…✨パーフェクトだ!」

「こんな美味しい朝ごはんを二人に用意できる。幸せ…!」

 

そう思いながらホクホクの笑顔になりながらテーブルにサーブする。

 

朝ごはんできたよ〜😄

あったかいうちに食べなさ〜い😄😄

 

娘たち 「はーい💖💖」

 

 

幸せな光景だった。

多分娘たちも美味しそうだと思ったのだろう。

いつもはサーブしてもしばらく放置されてる朝ごはんなのに、今朝はすぐに「いただきまーす!」食事が始まった。

 

 

だがその2分後、事態は一変する。

私の中でだけ急変する。

なぜかイライラする。イライラがだんだんエスカレートする。止まらなくなる。

口調がきつくなり、娘たちがやり忘れた朝の支度を指摘したくなる。娘たちの食事マナーにうるさくなる。

 

うわなんか今すごい嫌な感じだな私。

どうした私、何この突然のイライラ。

さっきまでの幸せふわふわモード一瞬で消え去ったけど…?

 

なんだろ。なんだろ。

 

探っていたらですね。

ハッとした。自分の本音をあっさり見つけた。イライラの原因がすぐにわかった。

 

ほんと、これ言っちゃうとか恥ずかしすぎて躊躇われすぎるんですが、、、

 

でもあえて言うなら!

ああああ!

 

 

 

 

 

「私もその美味しそうな朝ごはん食べたかった!✨🍚✨」

 

 

 

 

 

 

でした。

 

 

ああああああ

 

 

馬鹿すぎるううう

 

 

 

はい。

だって、ヘルシーとおいしーとほかほかと喉ごしよしの冷え冷え(スムージー)とが見事なバランスで用意できたわけですよ。

それを二人分作ったわけですよ。(私は普段朝ごはん食べないから)

それで大満足。なわけがなかったんですよ。

だって超理想的で、美味しそうな朝ごはん…✨

私も食べてみたい!😭

普段は食べない朝ごはんも、これなら食べたい!

というか身体がもう欲してるよね!完全に!さっきから娘たちのご飯凝視してるし!(恥)

 

 

ということで。やっと「どうやら私も食べたいらしい」ということに気づけたので、そこからは娘たちの一挙手一投足にケチつけるダサくてうざい暇人はやめにしまして。

すぐ台所に向かい、自分のためだけに粛々と炊きたてご飯を盛り、熱々の味噌汁を腕に盛り、スムージを一人分追加で作り、テーブルに丁寧に並べて、朝日の当たる窓辺で静かにいただきました。

 

 

嗚呼…✨

 

至福。

 

 

 

 

「お母さんは今朝はなぜだか機嫌が悪い。」

 

と判断した(であろう)娘たち、行ってきま〜す…  と静かに玄関から出て行く。

美味しい朝ごはんにありつけて再びほくほくになった私

 

「いってらっしゃ〜い💖😄💖」

 

 「?!」

 

 

---

 

生き方について幸せについて書かれた本からでも、日常の些細な出来事からでも、自分の幼稚さからでもなんでも、何度でも思い知る。

誰かの幸せを望む。このこと自体は素晴らしい。

だけどそれよりも、その前にやることあったじゃろ!

溺れてる人を助けるには、まずは自分の安全を確保してから!

誰かのグラスを満たせるのは自分のグラスが満たされてる人だけ!

自分に優しくできない人が他人に優しくできるわけねーだろ!

 

 

 

「まずは、

     

     自分を、

 

         救えし…!!!!!」

 

 

(今世通算5億回目)

 

 

\(^o^)/

 

 

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"Humor is future."

 

 

 

お父さんバンク 初級編ー よってたかって誕生会のこと。

先日。9月11日。

みずきさん13歳の誕生日。

 

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この日は朝から作りかけのサプライズプレゼントの作業に勤しんでいた。HUNTER×HUNTERが大好きすぎる彼女になにかキャラクターグッズをと思ったのだけど、なかなかこれだと思うものが見つからない。

それならばと無地のリュックサックを買ってきて、HUNTER×HUNTERのかっこいいイラストをアイロンプリントしまくることにした。

 

黙々作業しながら、ふと頭に浮かんだキーワードがあった。

 

 

「お父さんバンク…」

 

 

先月からカヤノさんと取り組んでいる新しいプロジェクトのことだ。

 

 

---

 

お父さんバンクとはーー

簡単に説明するのなら、世の中には自分の得意技や時間やお金を持て余してる独身の大人がきっとたくさんいて、その人たちとシングルマザー(仕事&育児&家事などなど殆ど一人でやってるのでもしかしたら労働量が人類最多?!)を結びつけてしまおうという仕組みづくり。

 

プロジェクトの入り口として「シングルマザー」にフォーカスを当てつつも、既婚者も離婚者も独身者も何もほんとうは関係なくて、主なテーマとしては

 

・家族の境界線をポップに楽しく解いてしまおう。

・誰かの得意技もドラマてんこもりな子育ても、なんでもかんでもみんなでシェアしちゃおう。

・人類みな家族?!!

 

的な。そんな試み。

 

 

先月、システムやWEBサイトなどなど何も確立していないうちからコンセプトだけを早々にリリース。

にもかかわらずかなり多くの方から反響をいただいた。

 

 

主催の私たちも、自分たちのやりたいこと、得意なことを見据えつつ活動を始めてみて、

 

「一体どんな現象が生まれるんだろう?」

「どんなアクション起こしていくのがいいんだろう?」

 

ゆっくり観察&考察&実践中なのが現在地。

 

 

—-

 

 

アイロンがじゅうじゅうと湯気をあげる中、

 

「《よってたかって》ってキーワードいいよね!」

 

という話がカヤノさんとの打ち合わせ中に出たことを思い出す。

  

「家族以外の人も、よってたかって一人の子どもの運動会に応援に行っちゃう」

 とか、

 

「よってたかって授業参観に行っちゃう」

とか、

 

「よってたかって合唱コンクール観覧しちゃう」 

とか。そういうの。

 

 

 

普段子どもとは縁のない生活をしている人からみたら、大人になってからの視点で参加する子どもの行事ごとはきっと新鮮で楽しいんじゃないかと予想する。

 

逆にシングルマザーの皆さんにとっては「子どもの行事ごとは自分一人でするのが当たり前」になっているところが割とあるので(これ結構寂しいのよ)、一緒に参加して楽しんでくれる大人が自分以外に一人でもいるだけで嬉しいと思う。

 

そしてなにより。

「わけのわからない大人の集団がよってたかって自分ひとりのために集まってる!」

なんて状況、子どもにとって最高に嬉しいのではないかなと思う。「恥ずかしいからやめて!」とか1回は言うかもしれないけど(我が子はそうだった)なんだかんだ、嬉しくなっちゃうんじゃないかなと思うんだよね(我が子はそうだった!笑)

 

 

と、説明が長くなってしまいましたが、アイロンプリントをせっせとしながら思い浮かんだのは、

 

「よってたかって、誕生会…。」

「目出度いことも、シェアリング…。」

 

ワクワクと胸のざわつきは半々ってところだろうか。

やるか?やるのか??

ついにお父さんバンク、自ら稼働させるのか?本番きたか???

 

 

発起人のくせに、いざ公の場で「娘のお誕生日をよってたかって一緒に祝ってください!」なんて言ってみようかとか考え出すと、予想だにしなかった恐ろしさが湧いて出た。

発起人のくせに!笑

 

 

 

「一緒に祝ってくださいだなんて図々しいかな…」

「呼びかけて、誰もきてくれなかったらどうしよう…」

「全然知らない人来てトラブルになったらどうしよう…」

 

 

そんな不安が生まれてきた。

私でもこうなんだから、もしかしたら「お父さんバンクいいな」と思ってくれている他のお母さんたちからしたら、もっともっと心理的に利用しづらいというか、利用したくても一体何から始めたらいいのかもよくわからない感じかもしれない。。

 

 

呼びかけやすい仕組みというか、「お願い!」って言うハードル下げる工夫というか、なんか色々、やったほうがいいやつだ!

痛感した。自分でやってみようとして初めてわかったことだった。

 

 

ざわざわしつつも、

「でも自分がフォーカスしたいのはそっちじゃない。楽しさとか、何が起こるかわからないワクワク感とか。そっちのほうだろう!ってか、私が先陣切ってやらずに、誰がやるんじゃい!!!💨」

そう思い直してからの行動は早かった。

 

一気に告知文を書きリリースした。

自分のFacebookページとお父さんバンクのページに「えいやっ」と投稿したのがこちら。

 

https://www.facebook.com/cakyshr/posts/1573467592732931

 

 

 

ドキドキしながら発してみたら、結果的にはけっこうな反響をいただいた。

 

「よってたかってって、超いいじゃん!」

「おめでとう!一緒に祝いたい!!」

「今日は行けないけど魂だけ行きます!」

 

などなど。

 

みんなめっちゃ優しい…!😭

もうすでにでっかい家族感あるやん…!😭

 

 

そして、実際に喫茶店まで赴いて《よってたかって》してくれた人がいたかどうかと言いますと…。

 

 

 

 

 

いたああ!!!😭✨うおおお!

 

 

 

私たちは3人家族なのに、何だかんだ総勢13人くらいでみずきの誕生日を祝うことになった。

 

 

超凝った作りの可愛いバースデーケーキをもって来てくれたまさねえのおかげで、私が用意したものと合わせてバースデーケーキ2個でお祝いするという豪華さになった。

 

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投稿に「みずきはガリガリ君が好き」と書いておいたのを見てくれた高山親子がガリガリ君(梨味!レア!)を袋いっぱいと、花束をプレゼントしてくれた。

 

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絵描きのあずきちゃんは自分のスケッチブックにクオリティ高すぎなHUNTER×HUNTERのイラストを描いてくれた。その後近所のお祭りに子どもたちを連れて遊びに行って美味しいものを山ほどゲットしてきてくれた。

 

お隣ぺこさんは誕生会直前に人生初のアニメイトに行ってHUNTER×HUNTERグッズを探してくれたらしい。アニメイト(アニメオタク御用達?)、最近やたらと子どもたちから単語が出るものの、私もまだ行ったことないというのに…!(生憎HUNTER×HUNTERグッズは品切れで、代わりに中学校に履いていけるEastBoyの可愛い靴下をプレゼントしてくれた)

 

ちえこさん親子は、4歳の娘こちゃんが工作してくれた手作りの花束と、これまた娘こちゃんがセレクトした花で束ねたとても上品な花束と合わせて二つの花束をプレゼントしてくれた。

 

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くり氏は、前日に初プロデュースのイベントで大成功して得たお金で、パーティーの卓に並べるためのピザやお好み焼きやフルーツなどなどたくさん買って来てくれた。

 

遠方在住で会には参加できないけど、みずきのほしがってるデッサン人形を贈りたいという神様も現れた。それも、アニメキャラクターを描くのに最適な、高価なアクションフィギュアを調べて送ってくださった。

 

 

 

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結果的には、たった一人の女の子のお誕生日を一体何人で《よってたかって》お祝いしたのかもはやわからないという現象になった。

 

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『わー!まじかー!』

の、みずきさん。

 

 

 

 

何だかもう、

 

「人類すっごい!優しい!!万歳…!!!😭😭😭✨」

 

感動してしまった。

 

みんなみんな、愛に溢れてるな…。

愛を発露するきっかけさえあれば、こういうことが起こり得るんだ…。

 

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すずさん作。HUNTER×HUNTERでみずきの好きなキャラを全員描いてプリントTシャツに。

 

 

皆でバースデーソングを歌って、美味しいものを食べて、各々好きに話したり本読んだりお茶を淹れたり。喫茶店の時間は流れていった。

 

 

---

 

誕生会の途中で、みずき氏は初めて、なぜ今日こんなにたくさんの人が集まっているのか理由を知る。

 

Facebookの私の投稿を見せると、

 

「何やってんの恥ずかしい~!!!😱」

 と叫ぶ。

 

でもさ、どうだった?実際、嬉しくなかったかい?

 尋ねてみると。

 

「うん。。。まあね。(にま)」

と。笑

 

 

 

よってたかって。悪くないじゃない。

子ども側からもお墨をもらえたのかな?笑、ということで、これからもあれこれ実験してみようと思う。子どもたちに怒られたりしつつも。笑

 

それはもうきっと、いろんなことが起こると思うけど、嬉しい時には嬉しいと、楽しい時には楽しいと、嫌なことは嫌だと、頭にきたらガツンと怒ったり、どこまでも素直でいればきっと大丈夫だろう!だって結局は「人間関係」だから!という漠然とした思いがある。

漠然としていてごめんなさい!

 

でも、家族のことはずっとずっと、どうしたらいいのか、どうやって付き合っていったらいいのか、これでも散々考えてきた。

で、どうやら、楽しいのがよさそうだぞ、と。

大勢でわいわいするのがよさそうだ、と。

風通しの良いのがよさそうだぞ、と。

そんなことを感じて、結果、いま「お父さんバンク」というフィールドで新しい体験を増やして、実験を続けていこうとしてるんだと思う。

 

信頼で人と繋がりたい。

光も闇も自分の中にあって、それでもなお、光の方へと進んでみたい。わたしはそっちに希望のにおいを感じるのだ。

 

 

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最後に余談(でも大事な話。)

みずきのプレゼントを誕生会の直前まで手作りしていた鈴が、プレゼントの出来が想い通りにいかなくて、会の開始前に酷く荒れるというハプニングがあった。そのときに、私は「よくできてるよ、これで充分じゃん」と、あまりにも浅はかな考えで言ってしまった。その言動にさらに腹をたてる鈴。作ることを投げ出して、風呂に篭ってしまった。

するとそれをみていた絵描きのあずきちゃんが、あずきちゃんの視点からみた微細なこだわりがすずにはある、ということに気づいて、私に教えてくれた。

そうだったのか…と愕然とした私はすずに謝った。

そのおかげで、鈴はなんとか気持ちが収まったのか、誕生会のスタートまでにプレゼントを完成させることができた。

 

子どもたちがいろんな大人と触れ合うことの良さを、こういう時に痛感する。私一人でなんとかしてやろうだなんて、導いてやろうとか本当に傲慢な話で、人間の数だけ視点があって、世界があって、理解してくれない大人もいれば、理解してくれる大人もいる。それを体感していってくれたらいいなと思ってる。

 

あの日ネット上でも、喫茶店でも、娘の誕生日を祝ってくれた全ての人に、心からの感謝を伝えさせてください。みんなみんな、温かかった。ほんとう、ありがとう。

 

 

おまけ。

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娘のバースデー(ケーキ二個!)にあやかる親の図。笑笑

(本当にありがとうございました!!!)

 

 

"Humor is future."

アートを生きる

哲学とか宗教とか自己啓発とかスピリチュアルとか◯◯式健康法とか心理学とか、とか、とか、、、

 

たくさんの「生きる指針」のようなものが世界にはあって、どれも面白い要素を多分に含んでいて、覗き見るのが楽しい。自分のかけらを見つけるきっかけになったりすることもある。

 

だけど、これまでたくさんのメソッド?のようなものを通ってきたけど、どこにも「留まる」ということは私はできなかったなと、振り返ると思う。
でもそんななかで、唯一、好んで続けているものがあるとしたら、それは「アート」なのかもしれない。「アート」は学問でもなんでもない。派閥もない。所謂「括り」が全く存在しない。言ってみれば人の生き様そのものがアートになり得る。ような気がしてる。

自分の人生を振り返ってみると、絵でも文章でも料理でも喫茶店経営でも人間関係でも、「これが答えだ」というものを持たないまま続けている。

 

わからないことを、いつまでもやってる。
答えのないことを、いつまでもやってる。
問いばかりを、いつまでもやってる。

 

おかげで楽しい目にたくさん逢えているなとも感じるし、楽しいことばかりじゃない、答えがないというのは時に厳しいことかもなと思うときもある。だけど、総合してみたときには人生の面白味とか醍醐味みたいなものは存分に味わえてるんじゃないかなと思う。比較したってしょうがないけど、「答えを持つことを選んだ人たち」のほうがどうやら時に大変そうだぞと、息苦しそうだぞと思うこともある。

 

結局、どこにいても、誰といても、何もしていても、何を信じていても、「自分はこれでいいんだ」と腑に落ちて思えた人から「悟った」みたいな瞬間が訪れる続けるのかもしれない。

悟ったり、迷ったり、濁ったり、洗い流したり、また悟ったり、迷ったり…を延々と繰り返して、毎瞬間の積み重ねをただ生きる。
それが人生なのかな、と。


答えがないということを不安に思ったりすることもある。だけど答えを持たないことが私の強みであり好みなんだとも思う。答えがないということは、限りなく「いま」を生きることに近い道を歩いているのではないかと感じるから。体感。これ以上の生命のリアルを私はまだ見つけられていない。

 

子どもたちがお手本かなと感じるのは、彼らは「答え」に染まっていない。だけどどうだろう、大人の写し鏡にされがちな立場なんかすっとばして、結局のところ毎瞬間、無垢な愛に溢れて「いま」を生きている。

 

娘と昨日、夜道を散歩しながらふと、「日々は幸せかい?」と問うてみた。
うーん、と考えたあとで、
「学校で先生がウザい時と、友達と遊びたいのに遊べない時以外は、いつも大体幸せかなあ。嫌なことが全然ないからなあ。」
と返事が帰ってきて、私は嬉しくなってふふと笑った。


ここまで、藤沢駅行きのバスの中で一気に書いた。若干酔った。笑

友人のお誘いを受けてこれから「サシ飲み」

きっと、恋愛相談かなと予想する。

 

言いたいことをうまいこと伝わるように書けただなんて少しも思えないんだけど、なんだか今日はお腹いっぱいなのでこの辺でお開き。

お付き合いくださいました方がいらっしゃいましたら、心からのありがとうを。

うたたねカフェのこと。

きっと生きているうちは動き続けることが人間の宿命だから。
ときに意識的にそれを限りなく全オフにしてあげること。止めてあげること。

それはもしかしたら、「自分にとても優しくする方法のひとつ」、とも言えるのかもしれない。


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9月13日。うたたねカフェ。 はじめての開店日。

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「自分の声は眠くなる声らしいから、それを活かして読み聞かせをしたりして、お昼寝ができるカフェをラムピリカで開いてみたい」

 

そんな提案をやよいさんからもらったのは8月のまだ暑い季節。

 

持って生まれた特性を活かしてみたいというやよいさんの動機もとてもいいなと思ったし、なにより「やったことないからやってみよう」「あらゆる知恵を絞って、どこまでも『リラックス』を追求してみたら一体どこまでいけるんだろう」わたしの中でそんな、至極シンプルな興味がうまれた。

 


打合せではスタッフのみんなからあらゆるアイデアが発せられた。

電磁波ゼロをめざそうとか、ブレーカー落としてみようとか、室内に木を置いてみようとか、お香やアロマを焚こうとか、音はほとんど無しにしてみてたまにチベットシンバルやシンギングボールを鳴らす程度にしてみようとか、小腹が空いたらすぐお菓子や軽食をつまめたらいいよねとか、私たちが率先して誰よりもくつろごう、漫画や本を好きなだけごろごろしながら読みたいよね、とかとか。

 

なんでもやってみようと思った。「よさそう」と感じたことはまずやってみて、どうなるのか見てみよう。安心して失敗しようと思った。

 

スタッフは「サービスする側」に徹するのではなくて、何よりも自分たちがくつろいでいることを優先させてみようということになった。

多分、「サービスを受ける側」と「サービスする側」に分かれている間はそこに「隔り」や「緊張感」のようなものが生まれやすくなる。

それよりも、スタッフのリラックス具合に「つられて」お客さんもゆるんじゃう。これこそ最高のリラクゼーションじゃないのかなと、わたしはどこかで信じているところがある。


でもこれ結構難しいことのような気もする。お客さんがお金を払う以上どうしても「対価に見合ったサービスを」というようなことを相互に考えてしまうものだから。

だけど難しいことのようでいて、肚さえ決めてしまえば(たとえ何かを間違えてしまっても、お客さんから怒られてしまうようなことが起こったりしても、最終的には全部全部大丈夫!と決めてしまえば)案外簡単なことなのかもしれない。


スタッフメンバーのみんなが、そんな、「言ってみたら常識はずれ」な考え方を共有してくれた。そのおかげもあってか、オープン当日はラムピリカ始まって以来最高、これ以上なかったのではと思えるほどのくつろぎ時空間が作り出されてしまった。もうとにかく、至福が過ぎてしまった。「このカフェ最高だ。。。一緒に開いてくれたみんなまじでまじでありがとう・・・」開店中に何度思ったか(実際口に出してつぶやいたか)わからない。

 

まずブレーカーを落とすことのインパクトがすごかった。すべての電気経路を断ち切ってみると、どんなに静かな深夜でも聞こえる冷蔵庫の冷却音すら聞こえない。なにかがほんとうに空間から「落ちた」「抜けた」感があった。静けさの質が変わった。
かわりに聞こえるようになったのは、風の音。近くに虫の声。遠くに鳥の声。喫茶店の前を歩く人たちの足音。下校中の中学生たちの笑い声。空間を共有している人たちの寝息、衣摺れの音…そんなものが耳に時折届くようになった。

 

 

カフェの入り口では、スタッフのものも含め全ての携帯電話を籠の中に回収した。


「今日はネット断食する!」などと決意しても、一人で過ごしているとふとしたときについつい携帯電話を手にとってしまうものだけど。
一切電子機器を使えない状態を、みんなと協力して一緒に作り出すことは無理のない自然な抑止力を生んでくれていた。

携帯が使えないということは、極端に選択肢が減ることだということを知った。

わからないことがあるとすぐにgoogle開きたくなるし、ちょっと暇だなとおもうとSNSを開きたくなるし、いい写真撮れそうだなとおもうとInstagramを開くのがわたしの日常だけど。

それが一切できないとなると、もう情報は強制的にシャットアウト。目は、脳は、休まることを余儀なくされる。この体験は、ほんとうに素晴らしかった。

 

開店前に作って、みんなの手の届きやすい位置に置いたハーブティーヴィーガンチョコレートトリュフや、みんなで握ったたくさんのおにぎりもとてもいい働きをしてくれていた。

日常であれば、お腹が空いたときにはまず台所に行って、食材切って、調理して、お皿に盛って、、、などなど手間がかかるものだけど。

事前の準備のおかげで、小腹がすいたら都度手を伸ばすだけで簡単に空腹を満たすことができる。

 

ほんのりお香の香りや、ホワイトセージの爽やかな煙も、ほどよく眠気を誘ってくれた。

 

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やよいさんの読み聞かせは期待通りだった。読み慣れた大好きな絵本が、いつも以上のやわらかさ、ゆったりさで言葉を運んでくれる。目をつむったまま静かに聞いた。

 

ゆいぴょすのハンドマッサージは、ただ気持ちよいだけじゃない、人をいたわる気持ち、それでいてまっすぐに強くて優しい気質のようなものが伝わってきて。

 

カフェには実は、「率先して眠る眠り姫」なる立ち位置のスタッフもいて、その役割を見事にこなしてくれたのは「丘の上のお嬢様」ことまゆみちゃん。普段から物腰が柔らかくて上品な彼女が、ソファの上でうたた寝したり寛いでいるだけで、美しさにため息が出た。

 

こどもみたいに両腕ばんざいして眠っちゃってるお客さんもいれば、次から次へと漫画を読んでは静かに感動したり寝落ちしたりを幸せそうに繰り返すお客さんもいれば、素敵なネグリジェで優雅にくつろぐお客さんも。

 

 

各々自由にリラックスして、好きに過ごしてくれているみんなのおかげで安心感は一層強くなって、心はすっかりほどけてしまった。

 

私はリラックスしすぎて、ありがたすぎて。カフェ前々日にすごく嫌な気持ちになる報せを聞いてハートブレイク気味だったのもあってか、ちょっと泣きそうになってしまった。(私の涙軽いな!もうちょっと我慢しような!)

 

深くてやさしくて、安心感に満ち溢れたまどろみがそこにはあった。気づくと何度も眠りに落ちていた。

そして日中たくさん眠ったのに、不思議とその日の夜もぐっすりと眠れた。深い深い安眠だった。昼間のリラックス感が続いていたんじゃないかとおもう。

 

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開店中は写真が撮れなかったので、こちらは閉店後のもの。閉店後でもこの雰囲気。

 

 

参加費が5000円以上の自由料金ということで、スタッフのみんなと話し合うなかで若干高めかなという心配も浮かんできたりしたのだけど。

 お客さんのうちのひとりとなってくれたちーちゃんは、「全然高くないとおもう。安くしてお客さんがたくさんきすぎてしまってもこのカフェの質が落ちてしまうとおもうし、これだけの内容だったら1万円でもいいとおもう」
そんな、最高に嬉しい言葉をもらった。

 

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次回開催日は早々に決まった。10月25日。いまから楽しみで仕方がない。

 

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一緒にこの感じ、体感してみたいなってひとがいたら、お仕事休んでぜひふらっと遊びにきてね(*´꒳`*)

 

 

最後におまけ。カフェのロゴ原案。

ある日の明け方4時頃。急に目覚めたと思ったら浮かんだイメージを大急ぎで、寝起きのぼやっとした頭で一気に描きだした。
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猫耳つけたらかわいいかも!」とやよいさん。そこから発展しての、

 

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色も少しつけて、スタバで完成したこちらが公式?ロゴ。全制作時間2時間弱(笑)

 

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手間はかけてないけど、可愛くできたので気に入ってる。デザイン画描くとか、ラムピリカ開店のときのロゴ作成以来。楽しかった!

 

全然、プロじゃないけどさ。

思いついたらなんでもやったれ、といよいよ思う今日この頃です。

最近思うこと 起こることのあれこれ

手数こなして、人と会って、起きてくるたくさんの出来事に対峙し続けている日々。
情報量が多いのに案外混乱はしていなくて、ざわつくできことがあっても大体短い時間の間に過ぎ去っていく。


イベントがどんどこ立っていく感じいいね。チアキさんは人と会ってる方がいい感じだねなどなど親愛なる友人各位から最近よく言われる。

「そうなんだよね、不思議と。」

 

目の前に並べられたたくさんの出来事は、私に「何が好きで、何が嫌なのか」「何を望んで、何を望まないのか」を次々に知らせてくれる。
 
 
 
 
というわけで?ここらでちょっとまとめたい。私が最近思うことのあれこれ。
 


1)家が欲しい
一年前の突然の家ロストから今現在に至るまで、店舗兼住居として喫茶店を使っているのだけど、最近住居(自分だけの空間や、子どもたちだけの空間が確保出来る場所)が欲しいと感じている。そしてそれはできたら、喫茶店と限りなく近い方がいいなと思う。その理由は今喫茶店にある「訪れる人たちとつくる大きな家族感」がとても気に入ってるから。喫茶店と自宅を分離したくない。
 


2)人の行き交う感じがすごくいい
喫茶店にたくさんの人が遊びに来てくれる感じが今すごくいい。風通しがいいなあ!と思う。

イベントは直前告知だろうと事前告知だろうと、タイミングの合う人たちがその時の最も「好い塩梅」の人数で来てくれてるという感がある。人が多すぎて大変とか、少なすぎて寂しいとか、そういう違和感が不思議なくらいにない。この流れは、喫茶店と別に「住居」ができることできっともっと豊かになっていくんだろうと思う。

 

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9/10「世界でたらめ料理選手権」

発案者くりぼう

はじめて喫茶店の前面の窓をみんな取り払ってみた。

開放感が増した。風通りがよくて、参加者の盛り上がり、創作の熱なんかをうまく流してくれていたようにおもう。終始「すごくすごくいい感じ」だった。

イベント終了後の主催者。お腹いっぱいの笑顔。

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3)友達の持ってくるイベントが最高にいい。


「かなり当たる」と言われている適職診断を先日受けたところ、ほんとうに、あまりに当たってる!な結果が出て笑ってしまった。

 

それによると、私の特徴は、
・一人で何かを作り出すことよりも、人の協力を得ることで大きなうねりを作っていくことが得意(まさに!)
・人に自分の内面や内情や、何もかもを「開く」ことが得意なので人からの信頼や協力が得やすい。同時に本音を言うということは敵もつくりやすいので、本音を隠さないといけない系のお仕事(窓口とか?)は超絶向いてない。(まさに!!)

あと他にも色々あったけど忘れました。

 

この結果に大納得したのは、今ある「いい感じの流れ」がまさに「人の協力を得て」成り立っているなと痛感しているから。
誰かが「ラムピリカでこんなイベントやろうよ」とアイデアを持ちかけてくる。いいなと思ったら即一緒に作り始める。この時に「ちゃんとやろう」系の人とだとうまくいかないし、そもそも「やろう」という気にならない。
「安心して失敗しよう!」「自分たちが一番楽しんじゃおう!」を合言葉にできるメンバーだと一緒にできる。そして大体思いもよらぬ形で大成功する。これも、やっぱりポイントは「本音を言う」ってことなんだと思う。誰も無理しない。誰も隠さない。流れを止めない。速度を止めない。嘘って、遅いから。

 

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9/13 「うたたねカフェ」

発案者やよいさん。

「自分たちが誰よりもくつろいでいよう。」

そう決めて開いたカフェ。

三人ものお客さんが参加してくれて、一緒にどこまでもゆるゆる寛いでいった。

こんなにぐっすり寝たの久しぶりだーー!

と感想に嬉しさ極まる。


あとは、とっちらかりがちな私の思考やアイデアは、浮かぶと都度こまめにカヤノさんにシェアするようにしている。そうしておくことで、「どういう順番でやるといいかね」とか、「こんな風に発展させていったら面白いんじゃない?」とカヤノさんが手腕を振るってくれるのでとても助かってる。打ち合わせなりなんなりするたび、マジこの人のセンス最高だな。。。って思う。

ひとりじゃ大したことはできない。だけど人といることで膨らむものがある。私にできることが見えてくる。

私も、もっともっと研ぎ澄ませていこうと思える。それは「優秀な仕事人になりたい」とかじゃ全然なくて、むしろ今のまま、面白そうなことに飛びつく速度も、だめさも、歯に衣着せられなさもネジの外れっぷりも、そんなあたりを安心して尖らせていこうぜ、と思ってる。どんどんアホになろう。だからこそ、人と補い合っていける。
大好きな友達と、次々出会うみんなと、この地球上で生きている間もっともっと遊びたい。

 


4)それでいて一人でいたくなる

 

人とたくさん会って、なにか作り出したり活動をした後は、しっかりと自分だけの時間を作る。それが私の中で自然な流れになってきている。一昨日昨日は友人に喫茶店と子どもたちを任せて、二泊三日で宿をとって泊まった。一人きりで好きな本や漫画を読みながら過ごしていた。何も作らず、何も考えず、誰の目にも触れず、好きなだけ眠って、ただ好きなことを好きなだけ。

そうしていたら、今朝ぶるん!とエンジンがかかって、今こうして一気に文章を書いている私がいる。

 

 

5)最近モテる
すみません、言いたいだけかも。厨二病か!とか突っ込まれそうだけど正直に言うと最近モテる。私にとっては慣れないことなので、この現象に不思議さとともに嬉しさを感じている。それも、私が「結構素敵だな」と思うハートの持ち主たちに好意を寄せてもらえるものだから、若干調子に乗ってるかもしれない。

だけどさらに不思議な現象があって、そんな素敵な人が相手なのに、もう一歩深い関係をと相手に求められると私の中でスッと引く何かがある。これは相手に対して「無理!」とかじゃ全然なくて、むしろ「私だけがそのモードじゃない。まだひとりでいたい。でも愛には溢れてる。そして大好きな人は世界にたくさんいる。」というよくわからない状態。なんなんだろうこれは。こんな私とは初めて出会う。なにかブロックでもあるのかな。それともほんとうに望むことが別にあるのか。とんでもない博愛主義?よくわからないから、もう少し観察してみようと思う。

 

 
6)自分の人生の舵取りを手放していない人がすき


その人が「自分の人生の舵取りを手放していないかどうか」みたいなものを、最近わりと短時間で見抜けるようになった気がしている。
ときに他人に委ねてしまうこともある人間的弱さを自ら認めながらも、それでも起こることの全部を、「自分の人生の全部は自分次第、自分のものだ」と肚くくって生きている人の、優しさとも清々しさともとれる何かが、私はとても好きなんだと思う。


 
7)人は何とでも言うなと思う


たくさんの人が喫茶店を訪れる中で、たまに他人の話ばかりしてる人というのが現れる。愚痴とか、悪い噂とか。こういう人の話は話半分に聞いておこうと思う。人は自分の言いたいように、他人に見せたいように、何とでも話をする。それよりも自分の話をせいやと思うので、そういう人の話にざわざわさせられることがあっても「振り切れ!」と自分に言い聞かせてる。「こんなことが起きて、それで『私は』こう感じました」って話なら全然聞ける。


 
8)マズローの五大欲求。その上がある。


ってなことをこの前カヤノさんがツイートしていて、ハートの真ん中が「ああっ」って思った。笑
多分それだ、その感じだ、最近私が感じてるやつ!と思った。気になった人はググってね。五大欲求のその上の話。
自分のなかに確かにあって、だけど言葉にできないことを誰かが形にして、表に出してくれる瞬間に出会うと嬉しさで打ち震える。ほんとうに、みんなありがとう…。

 


9)「大好き」と、「苦手」とか「相容れない」は別物


先日のスナック・ラムピリカでトークのお題「I love you but 超苦手〜war is over〜」で話させてもらったのだけど、「大好きだけど超苦手」という人は世界に案外いるものだ。

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8/27 スナック・ラムピリカ

るーちゃんとお泊まり会するときに明け方まで延々話しこんでしまう感じが最高によくって、この感じをそのままイベントにしちゃおう!ということで開催。

 


父親がいい例で、私は父が大好きだけど、正直に言うとたまに存在を思い出すくらいが、自分の心身の健やかさを保つためにもちょうどいい。大好きだけど、彼の人に対する接し方とか家族の扱い方とか、不愉快極まりないことが多いから。
あとは「大好きだけど相容れない」も全然存在するもので、相容れない相手を一生懸命「相容れる」ように説得したり、わかってもらおうと言葉を尽くすことにエネルギーを使う気に今はあまりならない。(かつてはそうじゃなかった)

それをするくらいなら、私がいま形にしたいものを形にしていくことにエネルギーを注いでいるほうが結果的にみんな健やかになる気がする(形にしていくことを一緒に楽しんで遊んでくれる人が見つかるとラッキーすぎて喜びます)し、そんな願いとは別に「I love you 」はいつだって私の中に存在してくれている。

「大好き」はいつだって一方通行でいい。そう思ったら、もう私はあらゆる自分の「好き」とか「よい」とか「やりたい」にむかってひた走るだけ。人間関係のどうのこうのでぼやいたり悩んだりをいつまでも続けているときというのは、言ってみれば「その人が暇だから」という一言に尽きるのかもしれない。

 

10)漫画「かくかくしかじか」がよすぎた

 

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描くよ、先生。

 

 

11)トラウマ(古い自分の屍)を越えていけ

 

訳あって、子どもの頃から写真がすごく苦手。むしろ怖い位。カメラ向けられるとよく顔が強張る。でも自然な笑顔で写れるようになりたい。

先日、私の敬愛する秋田ゆりさんにそう話したら、「1,000回自撮りすればいいんだよ。そうすれば安心して撮れるようになるよ」

そんな言葉をもらった。

怖いものを「怖くない」と嘘つくことはできないけれど、「怖くなくなるまで行動を起こす」って選択はできるんだと思った。

 

こういうの、「初期設定を書き換える」って言うらしい。

 

 


幼い頃から大人になるまでの間に親からもらった「初期設定」は、何故か、「千秋はブス」というものだった。

 

まじあんたたち(親たち)どーゆーつもりやってん?!!!!こどもにそんなんいうとかありえんやろ?!!!!(´⊙ω⊙`)

 

とたまに叫びたくなります笑

今思えば、彼らにそれほど深い意味も悪意もなかったのだろうと思う。


何はともあれ人間の「初期設定」は何度でも書き換えられる。自分の行動で、書き換えることができる。

ほかの人から見たときに自分が可愛いかどうかなんて多分あまり関係なくて、たとえ多少あれだったとしても自分だけは自分に可愛いと言ってあげよう。だって可愛いほうがいいじゃん。可愛いほうが好きじゃん?

 

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注)すっぴん&加工なしで果敢に挑んでます。

 

可愛いって言えば言うほどに可愛くなるけど、ブスって言えば言うほど本当にブスになったりするからな、人間。

 

全然ひとから愛されたいし、可愛いって言ってもらいたいし、褒められたい。

 

だけどそれより先にやることがあったな!という感じ。勇気を出して。

 

言葉は救いでもあれば呪いでもあって、でも結局は「自分が採用する言葉」が「言霊」になって世界をつくっていくんだろう。

 

 

さあ今日も世界はつづいていくよ。

 

 

長文、ここまで読んでくれた人がいたらほんとうにありがとう!

 

テクノロジーのおかげでスピリチュアリズムとクリエイティビティで思う存分遊べる

今朝は8時頃に目が覚めた。
昨日の喫茶店開店時にお客さんが使った食器の山を食洗機におさめスイッチを入れる。
強力粉の在庫が余っているので豆乳と一緒にホームベーカリーに投入してスイッチを入れる。
昨日は開店で洗濯ができなかったので、2日分の洗濯物を洗濯機に入れてスイッチを入れる。
布団をあげた畳の部屋で今日の日の最初の掃除をするためにルンバのスイッチを入れる。
それらのスイッチを入れている間に湯船に貯めたお湯に、いま浸かっている。本を読んだりこうして文章を書いたりして2時間くらいは過ごすのが私の日常。

こうしていると、本当によい時代だなと思う。電気さまさま、テクノロジーさまさま、これらを作ってくれたみなみなさま、ほんとうにありがとう。感謝の念が湧く。私のエネルギーを注いでやるはずだったあらゆる作業を、こうして私が本を読んでいる間にテクノロジーさんたちがやってくれるなんて、なんてありがたいんだろう。

今読んでいる本は、リズ・ブルボーの「からだの声を聞きなさい」
好きな本で、久しぶりに再読している。とてもスピリチュアルな内容。「この身体の目には見えないけれど、見えないだけでどうやら確かに在るらしいもの」の話はとても好きだ。

 


最近、絵を描いているときに訪れるひとりきりの時間に何とも言えないよさを感じている。
わたしが描くのは主に喫茶店の看板やデザイン画なので、「人に見せる」ことを前提としてはいるのだけど、描いているときはオーディエンスの存在が私の世界から消えている。そんな時間は、言ってみたら私にとっての自浄の時間なのかもしれない。
描きながらも時々は、自分以外の人たちの存在を思い出すこともあるけれど、「オーディエンスが喜びそうな絵」を描くことよりも優先させたいことがいつもある。それは、ただ単純に「私が見たい画を描く」ということ。

嬉しいのは、最近出会うあらゆるものが、あらゆる人が、「それでいいんだよ」と言ってくれている気がすることだ。むしろ本当は、最初からそれでよかったのに、私だけがその大切なひとつの答えを受け入れるのに時間がかかってしまったのかもしれない。


余白があるというのはほんとうにいいことだ。絵を描くにせよ、音楽を奏でるにせよ、新しい概念を創造するにせよ、なんでもいい、自分の真ん中と語り合う静かな時間をもつ余地が生まれるということだから。「生産性があるかないか」なんて測り方はもはや過去の幻影になっていくんだろうと思う。それよりも「テクノロジー発展のおかげで生まれ得るこのたくさんの余白で、スピリチュアリズムやクリエイティビティを生かしていかに思う存分遊ぶか。」

そういう時代にどんどん移行が進んでいくんだと思う。どんどん移行していったら、今価値があるとされているものも、数字で表されているお金も、常識とされているようなものも、あらゆるものがひっくり返り得るのではないかと思う。
「心と身体が統合されたいのちそのもの」があらゆる物事の最優先事項になっていく時代。

テクノロジーの発展をになってきた人たちが、そんな状況を具体的に目指して発展させてきたわけではないだろうけど、でも発展の動機は至極純粋でクリエイティブなものが多かったのではないかと思う。「これがテクノロジーの力で具現化したら一体どうなるんだろう?」というワクワク感に沿って作られてきたものは、たとえいっとき環境を破壊したりするようなことがあったとしても、地球に、命に、必要なものとしてずっと残っていくんじゃないかと思う。もしくはさらなるよいものへの架け橋となっていくか。

 

司令塔だった頭の統制から離れて、身体や心、魂といった命そのものを一番大切にして生きるようになると、普通の常識から見ると一見『ちょい悪』で『エロ』に見えるようになるらしい。人間。でもそんな人間はきっと、すごくすごく魅力のある人間なんだと思う。ほんとうの意味で優しい人間なんだと思う。


「心と身体が統合されたいのちそのもの」があらゆる物事の最優先事項になっていく時代にきっと変わってきている。そう思うと、いまある問題も試行錯誤を繰り返しながらもいずれ解決されていく。もう人類も地球も大丈夫だなと、非常に楽観的に、いとも簡単に、思えてしまえるんだ。

 

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謝々!

やり直してもよいのです

今度はひとりぼっちでも

記号化されたこの部屋から

ついに旅立ってゆくのです

 

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最近とても面白い出会いがあった。
偶然が偶然を運んで、友人が喫茶店にその人を運んできた。

その後も、「なんだかよくわからないけど勘が、星が、その人に会えと言う」
そんな出会い。

 

誰も見ていなくても。誰の同意も得られなくても。たとえひとりきりでも。自分が「いい」と信じたものを信じ通す力のある人だった。信じ通してきた結果、その人のところには少しずつ人が集まり始めている。

 

正直、とてもお洒落でかっこいいのにモテないだろうなと思った。自分が「いい」と信じたものに対するストイックさがあまりに強烈で、異性は寄せ付けないだろうなと思った。でも私にとってはとても、かっこよい。誰も訪れない、ハウルの寝室みたいな部屋に住んでいて、その人だけの宇宙に時々招いてもらえることがとても光栄なことに思えた。

 


私はたくさんの知識を蓄えることがあまり得意ではない。いや、正しくは、何かに対して興味が湧いてもそれについて深く知ろうとする前に大まかなカタチがわかると満足する傾向が私にはある。言ってみれば早とちり、早合点傾向というか、探究心に欠けるのかもしれない。あまり頭がよくないんだろう。よく言えば感情や感覚優位なんだろう。

 

ただ、探究心の強い人が羨ましく思えることがある。知識をひけらかすことで自身を主張するような人は見ていて「くだらないな」と思ってしまうのだけど、純粋な探究心から作られた深い知識の層が幾重にも重なって、その人の人間力や感性に厚みや、その人だけの独特の輝きを生み出しているーーそんな風な人に時々出会うものだから、そんなときには畏敬の念が湧く。「羨ましい」「かっこいいな」そんな表現が至極しっくりくる。

どれだけその人がひとりきりで、湧き出る探究心をみたすため、自分自身をみたすため、その人自身のためだけの豊かな時間を作り上げて来たのだろうと想像する。想像を絶する。

そんなひとの在り方にわたしは大きなヒントをもらう。ひとりでも「好き」や「好い」は貫けるということ。貫いた先にはじめて育つ健やかな自己肯定力があるんじゃないかということ。


わたしはその人のことが好きだ。その人が、その人のままでい続けてくれたことに、天然記念物を発見したときのような喜びを感じる。世界に感謝したくなる。
そしてどこまでも知らされる。
ゴキゲンな世界は「誰かに作ってもらうもの」じゃなく、他でもない、自分自身の手で作り出すものなんだってこと。

だから、ありがとう。

出会いに、あなたに、世界にありがとう。

わたしはこれからも、わからないことだらけの世界を歩き続ける勇気をもらう。

わからなくても、それでも光の方向に進みたい自分自身を何度でも確認できる。


人、人、人。
人に出会って自分に出会う。
今日も世界は続いていく。
わたしは人に、会いにいく。

わたしはわたしに、会いにいく。