On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

新しい愛、新しい光

描いて、消して、新しく描いてまた消して。

生まれては消え、また生まれては消える。そんな毎瞬間の連続で人生は続いていく。

 

 

紡いで、織って、また紡いで織って、重ねて、続けて。

そんな、想いを込めた丁寧な作業の連続で、目に見えないはずのものがかたちになる。育っていく。

 

 

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喫茶ラムピリカが開業して以来、変わらないことが二つだけあることに最近気がついた。

 

それは

 

・メニューにオールドビーンズ珈琲があること

・開店のたびに黒板絵を店の前に出すこと

 

 

 

 

黒板絵を描き始めたきっかけは、もう忘れてしまったけれど、最初はメニューに出ているカレーや珈琲ポットの絵や、その日の珈琲銘柄、開店時間なんかを一枚の黒板に載せていた。

 

 

 

 

開店から一年以上過ぎたある日、ふと思い立って、近所に住む友人に黒板絵を依頼してみた。

小さなお子さんがいる身で制作の時間を捻出してくれた彼女は、一晩じっくり黒板と向き合い、なんとも芸術的な一枚を仕上げてくれた。

 

この一枚をきっかけに、私は黒板とチョークを、舐めていたことに気づいた。

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シンプルな美しさにもとても惹かれた。

あれこれ情報を載せ過ぎないのもいい。

この1枚で、「絵だけで、ラムピリカが大事にしていることが、伝わる人に伝わればいい」そう思った。

 

そこからは、「たくさんの人に伝えたい情報を伝えるための黒板」ではなく、「私が描きたい絵」に重点を置いて描くようになった。

 

 

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なんだか描いても描いても気に入らなくて、そのまま開店時間が来てしまって、閉店後に描き足したり引いたりと苦戦するときもあった。

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好きな人とデートした次の日、腕がするすると気持ちよく動いて、ほんの15分ほどであっという間に大納得の一枚が描けた日もある。

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深夜に急に描きたくなって、明け方まで描き続けるのをやめられなかった夜もあれば。 

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巨匠の絵を模写し始めたら、見る以上に模すことでその完成度の高さ、クオリティとセンスのすごさが実感されすぎてしまって

「うっわーーーー!」

「なんじゃこりゃうっわーーー!!!!」

「やっ、、ばい!!!」

夜中中変な声を上げながらチョークを走らせたこともあった。

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時々友達に描いてもらう新鮮さも楽しんだ。

まさか一緒にプロジェクトをやるようになるだなんて思ってもみなかった頃のカヤノさんによる一枚。(希少)

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プレゼントにいただいた花と真夏の明るい陽射しが着火点で、溢れるみたいに咲いた向日葵。

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開店のたびに描き直す訳でもなく、ただ描きたいと思ったときに描いてきた。

 

 

 

他人の目も、そりゃ気になるけれど。

誰がなんて言おうと自分だけは大好きだと言えるような一枚をと願いながら黒板に向かい続けた。

 

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どんなに気に入った作品が出来上がっても、数日後には潔く黒板消しを動かして、きれいさっぱり消してしまう。それが、黒板絵のいいところだ。残るものがあったとしたら、『黒板に向かって来た日々』だけだ。

 

正直、気に入った作品ができると、ちょっと惜しいなと思う。

だけどそれでも、黒板が再びツルッツルのピカピカ、真っ黒の無垢な状態に戻った時の清々しさ。湧き出してくる「さあ、また始めるか!」感。

 

この強烈な爽快感に毎度、心身が潤い、胸はひどく踊る。

 

 

 

私は、ラムピリカの開店からずっと、ほとんどの時間を片瀬に暮らしてきた。

 

少しだけ片瀬を離れて、鎌倉で新しい家族と暮らしたこともあった。だけど当時の家族とはどうしても、「一番大切にしたいもの」が共有できなくて別れを選んだ。

 

喧嘩の末に、手早くまとめた少ない荷物を持って住み慣れた家の玄関に立った時、子どもたちが叫んだ。

 

「新しい未来へ、しゅっぱーーーつ!!!」

 

なんてすごい人たちなんだろうと、笑った。(笑)

 

 

 

そして2018年。

来月、片瀬以外の場所に再び新しい住まいを持つことになった。

 

私の好きな人が、この春湘南に引っ越してくるのに併せて「一緒に住むのは面白そうだね」と提案してくれたことがきっかけだった。

 

そうだね、と二つ返事で応えたのは、「ひとり」を大切にできる、その上でひとを大切にできる今の私とその人なら、一緒に暮らせそうだなと思えたから。

 

 

『お互いが、お互いのままでいられることを尊重しあう。』

 

とてもシンプルで、ときにひどく難しく思えてしまうこのテーマのようなものを、今の私はどんなふうに大切にしていけるのかな。

 

あとは住まいをもう一つもつことで、ラムピリカの流れや動きはこれまで以上に活性化する予感がある。新しいラムピリカが始まる予感がある。

 

 

 

人生の実験はつづく。

ひとを愛すること、自分を愛することの模索は続く。

 

 

『何度でも新しく始められる。』

そんな大前提を抱えたうえで、いつだって「自分を丁寧に生きること」「一緒にいたいと思える人たちとの時間」を紡いで、織っていけたら。

 

そんなことをいま想っている。

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表現者は何らかの形で人を揺さぶり解放へ向かわせる

表現者はいつも何らかの形で人を揺さぶり解放へ向かわせる

 

逆に揺さぶることができないのなら、解放に向かわせることができないのなら、表現者はまだ「表現をできていない」ということなのかもしれない

 

誰かを揺さぶりたいと願う前に、誰かを解放したいと願う前に、まずは自分を解放すること、自分の真ん中に到達しようとすること、そして今自分のいる場所を信頼すること、自分のレイヤーから素直な言葉を発することなんだと思う

 

 

 

表現者はいつも何らかの形で人を揺さぶり解放へ向かわせる

 

誰かの表現を見て怒りを覚えたり、悲しみが湧き出してきたりするのは、解放に向かいたがっている魂と、解放されてはいけないと囁く思考との間の葛藤が生まれているからなのかもしれない

 

 

表現者はいつも何らかの形で人を揺さぶり解放へ向かわせる

 

幼い子供の無垢な鼻歌に、誰かが叫んだ溢れ出るような感情表現に、時に意思の届かないところで涙がこぼれるのは、それらを目の当たりにする人たちの真ん中までいとも簡単に届いてしまうからなのかもしれない

 

 


表現者が自分の真ん中に届いているか
技巧以上に能力以上に

命の真ん中、魂の叫び、もしくは限りなく透明
そんなものにひとはいとも簡単に揺さぶられるのかもしれない

そんなものがいとも簡単に、ひとを解放に向かわせるのかもしれない

 

 

『陰を摂る』『鬱を迎え入れる』ーー世界のバランスのはなし

明るい世界に生きているなと思う。ここ最近。

 

陽のせかい。非がない。ほとんど影がないかのような。いい感じだ。心地よい。迷いも少ない。


だけど思うことがある。
人間は、どんなに明るい世界に生きていても、希望をみると決めていても、光の方へ進むと決めていても。
ときどきバランスをとるために「陰」とされるようなものを身体に摂り入れる必要があるのかな、と。
もしくは、無意識のうちに摂り入れているのかもな、と。

 

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全粒粉や玄米の食事が大好きだしナッツが主食だし我が家に白砂糖はないけれど、わたしには時々、コンビニで大量のジャンクフードを買い込んで1日中食べるような日がある。

 


オーガニックカフェに暮らす我が家の子どもたちは、風邪もひかないし東南アジアでお腹も壊さない。アトピーもなく至極健やか。そして二人の共通の好物はコカ・コーラとカップラーメンだ。

 


時々思う。なぜ「完璧なヴィーガン」的生活や、「完璧なエコ」的生活をしている人に、不健康そうでイライラしてるように見える人が多いのだろう。

 

 

時々思う。「子どもの笑顔のために」と言いすぎる人の笑顔はなぜあまり晴れやかじゃないことが多いのだろう。

 


最近喫茶店を訪れる人たちは、これまで様々な体験や辛い思いもしてきて、だけど暗い場所に留まるのをやめると決めてきた人たちが多い。
「前を見る」と、「希望を持って生きる」と決めてきた、もしくは決めようと勇気を出している、そんな素敵な人たちが多い。

そんなわけで、ラムピリカにくる人たちに対して殆どストレスがない。かと思っていたら、珍しくなぜか「ポジティブなことしか言ってないのに不快感ばかり感じられるような人」が喫茶店に通い始めたりもする。

 


ものごとのいい面を最終的にはみるという覚悟が私にはあるけれど、結構頻繁に「クソだな」とか「ファッ◯」とか口をついて出る。健やかに、毒があることを表現してるーーとか言うと聞こえはいいな。笑

 


7年前に鬱病の診断をもらった私は、今でも時々、ひとりで鬱々とした気持ちに捕まってしまうときがある。

だけどその時間は最近、あっさりすぎるほどに短くなっていて、最終的には前向きにしかなれない。


最近では「ああ、きたきた、いらっしゃいましたよ鬱ゾーン」と。自然現象としてすんなり受け入れている。だからなのか抜けるのがほんとうに早い。

過去に、「突然やってくるその状態」に抗ったり「鬱」に否を見出していた時代は、なかなかそのゾーンから抜け出せなかったし、体力を奪われるばかりだったけれど。

今でも時々訪れる「そのゾーン」は、なにかわたしの中のバランスーー陽に傾きすぎたものを中立にするために訪れているような気がする。

 

 


ここに挙げたようなあらゆる出来事は、みんな、「いいとか悪いとか」そういう話ではなくて、すべてなにかのバランスをとるために起きているのかもしれない。

もしくは、バランスが悪いがために起きていることなのかもしれない。

 

陰や陽といったようなものを、日々の中で起こる一つ一つに見出していくのは案外面白い。

 

でももう一つ思うことは、陰と陽に別れているものを、この先限りなく無くすーーー統合に近づけるようなことができる。そんなことももしかしたら可能なのかもしれない。そんな予感をいま、少しだけ感じている。

 

 

 

 

心身のバランスをとるのがだいぶ上手くなってきた気がするけれど、まだまだ危なっかしいと親しい人からは言われる。

多分永遠に「途上」なんだろう。そのことを楽しもう。どんな状態の自分も肯定していようと思う。

 

だけどそのうえで、

 

「もっともっとよくなる自分を、もっともっとよくなる世界を、容易に想像していい」

 

このメッセージに従おうと思う。陰も陽も愛し、楽しみながら。

 

 

自分の心の動きに、身体の声に、魂の叫びに敏感でいたい。
敏感でいるためには、どうしようもなく静けさが必要になる。一人きりの、無色透明の時間が必要になる。

 

そんな時間をたんまり堪能して、限りなく無色透明な私に近づいたら、何度でも大好きな人達に会いに行きたいと思う。そういう優しさが、どうやら私は好きみたいだから。

 

 

 

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余談。はじめて藍染をしてみた。

普段使いのタオルやワンピースやシーツや枕カバーを片端から染めて新しい色に。

強くて、静かで、清々しくも深い。そんな美しさを持つ藍の色がとても好き。

 

これから私は、どんな私になっていくんだろう。とても楽しみ。

少しの狂気が世界に新しい色を足す

世界平和への最短距離は、全人類が、「自分はアーティストだ」って思い出すことなんじゃないのかな、なんて思うことがある。

  

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2018年1月31日。喫茶ラムピリカ、3歳になる。

言葉に表し難い、強くてあたたかい想いが、静かに湧き上がって来る。

 

「1月31日になにかお祝いのイベントをやる」ということだけは決めていたけれど、どんなイベントにするかを決めたのは開催3日前の朝風呂の中だった。しっくりくるアイデアが降りてきた。

 

「みんなアーティストスト祭…これだ!」

 

 

 

去年の夏頃から強くなってきた、「ラムピリカはみんなのもの」という感覚。

それ以前までは、「私の城」だったのだけど。

 

OL、教員と勤めてきて心身のバランスを一度壊して以来、「ふつうに生きる」ことができなくなった。そんな私でも、子どもたちと暮らしながら、自由に幸せに生きていく方法はあるだろうか。そんな模索から生まれたのが喫茶ラムピリカ。

 

最近ほんとうにたくさんの人に「ラムピリカを作ってくれてありがとう」と言われる。

ここでは誰もが心から自由でいられる。と。

 

こちらこそ、という言葉の後に、いつも伝えたくなるのは、

 

「ラムピリカを見つけてくれてありがとう」

 

言ってみれば私の我儘を貫くための模索だった。その在り方にYESを伝えてくれる人たちの言葉が、最上級の勇気を日々与えてくれていることは言うまでもない。「お先に勝手にはじめてる、静かで楽しい革命」は今日も続いているんだと思う。ここに集う人たち、自由の感性を大切にする人たちの力が加わって、さらなる加速が進んでいるんだと思う。

 

 

 

 

一昨日のイベント。

 

私的には、イベント告知文を書いた時点でゴールした感があった。

以下、まるっと転載。

 

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\ 祝・喫茶ラムピリカ 3周年! / /

『みんなアーティスト祭!』開催します!!!

 

1月31日(水)、喫茶ラムピリカが3歳になります。

 

今日まで歩いてこられたのも、喫茶店に集い、場を楽しんでくださったみなさまのおかげです。 心からの感謝の気持ちを伝えたいです。 ほんとうに、ありがとうございます…!

 

31日は喫茶店を15時から21時まで開放します。

この間ご来店いただいた皆様には各々自由にのんびり過ごしていただきつつ、プチイベントをどんどん挟んでいこうと思います!

 

 

『みんなアーティスト祭!』 とはなにか?と言うと…

 

「人間はみんな生まれついてのアーティスト = 表現者」だと店主は考えます。

アーティストは、何か特別な才能を持った人だけが当てはまるものではなく、本当は全人類総アーティスト! 本能的に「表現したい」という欲を、きっと誰もが持っている。

 

そこで… あなたが大好きなこと、喜びを感じることをぜひ、31日のラムピリカで表現してください!

 

音楽でも、一発芸でも、ダンスでも、演技でも、朗読でも、手品でも、柔道の受け身でも、漫才でも、普段言えないことの暴露でも、何も決まってないけどとにかくなんかやりたいなどなど… なんでも!!!

 

うまくやろうだなんてしなくてもいい、ちらりとでも『やってみたい』が生まれてしまったら、もうそれだけで参加資格は十分です!!

 

何もしなければ、何も起こらない。

だけど… 『何かを起こす』のは誰…!??

✨ それは Yes, it’s YOU!!!\(^o^)/✨

 

ラムピリカが舞台を用意しています!

 

下記のイベントタイムスケジュールをご覧になっていただき、イベントが入っていない時間はあなたがステージに立つチャンス。

 

我こそはと思う方の飛び込みお待ちしています!

 

 

ご質問や御飛び込みはlampilica@gmail.com 宛 またはコメント欄にお願いします。

もちろん、何も披露しなくても、あなた様が遊びに来てくださるだけで店主は喜びます☺️

 

イベント中も、イベントのない時間帯も、喫茶店内や外の縁側、公園などでまったりゆっくりお過ごしください。

 

ーー

 

結果、14組もの人たちがステージに飛び込んできてくれた。

 

ほとんどの人が、普段はステージに立つようなことがない人たちだった。

そのことがなにより嬉しかった。

 

最初の一歩が一番怖い。

だけど最初の一歩がなければ始まらないんだ。どう足掻いたって。

 

安心して飛び込んで、自由に表現して、安心して失敗して、安心して黒歴史作って(笑)、全部全部ネタになるから大丈夫。100回打席に立って99回空振りでもいいから、1回は全宇宙が震えるくらいの大ホームランをかまそう。

 

おらっ、行ってこい!

 

ばしん!と背中を叩いて送り出せる場所でありたい。

 

…なんて言いつつ、31日のステージに立った人たちの表現は、どれもほんとうに素晴らしいものだった。「失敗だった」なんて思った人は一人もいなかったと思う。みんなが、想い想いのものをステージに持ち込んで、自由を叫ぶ姿は美しかった。

 

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最後に。

 

 

「少しの狂気が世界に新しい色を足す」

 

とタイトルに書いた。

これは数日前にみた「LA LA LAND」という映画で、女優を目指す主人公の女性がストーリーの中で歌っていた、「Audition」という歌の歌詞の一部。

 

歌の歌詞を抜粋しながらうろ覚えで書いてみると…

 

 

 

少しの狂気が世界に新しい色を足す

 

夢追い人に祝杯を

画家に、詩人に、演者に 祝杯を

 

夢追い人に祝杯を

気が触れたみたいに見えるかもしれないけど

 

打ちひしがれた心に

私たちがしでかすめちゃくちゃなことに祝杯を

 

少しの狂気が世界に新しい色を足す

 

 

 

 

この歌を聴きながら、膨大な量の涙が両の眼から流れ落ちてしまった。

 

 

自由に表現しよう。

めちゃくちゃかもしれないけど、「上手くやれ」という声が聞こえてくるかもしれないけど、自由に表現しよう。何かを巻き起こした後に生まれてくる感情や感覚をつかって、この世界に新しい色を足そう。

 

 

そして、自由に表現する人の姿は、それを目撃した人に安心のバトンを渡す。

「あなたも、表現していいんだよ」

そう無言で伝える力を持つ。そのエネルギーは、どんな説得の言葉よりも強力に、きっとあっという間に広がっていく。

 

「ありのままを表現する」ーー そんな、小さな革命は今すぐに、あなたのいる場所から、あなたからからはじめられる。

 

  

誰の承認も必要としないまま、自分を表現しよう。誰に褒められなくても、自分だけが「素敵だ」「心地よい」「気持ちいい」と思える表現をしよう。新しい体験を、新しい感覚を世界に増やそう。

 

 

「誰かのため」「誰かに認められるため」に表現するのじゃなくて、「自分ための表現で手一杯!」くらいがきっとちょうどいい。

 

誰もが自分だけの魂の欲求ーーこの世界で表現したいことを表現するーーーに従えていれば、他人を責めたり妬んだりする余地もなくなる。争いようがなくなる。

 

世界平和への最短距離は、全人類が、「自分はアーティストだ」って思い出すことなんじゃないのかな、なんて思うことがある。

ステージに上がろう。話はそれからだ。

「本当の自分」なんてものはきっとどこにもない。

「本当にやりたいこと」なんてものもきっとどこにもない。


ただ「ある」のは選択すること。行動すること。
失敗と呼べるようなものをたくさん経験すること。
成功と呼べるようなものもたくさん経験すること。
その積み重ねの先に新しい自分がいる。

もっと研ぎ澄まされた自分がいる。

 

そのことだけが「ある」んだろうな。

 

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友人主催の1/26のライブにダンサーとして緊急出演させてもらうことになった。

ルキノといばやの冠婚葬祭

 

 

ことの経緯はすっ飛ばすとして、本番2週間前に出演を決めたことは私にとってかなり「飛び込んだな!」感がある。

 

 




参加することへの不安要素とかざわざわ要素なんて数え始めたら際限なくありそうだ。


それでも「やろう」と決めたのは、なんかワクワクしてきちゃったから。これだけだ。

大好きな曲で踊る。思いっきり踊る。大好きな人たちと踊る。

 

「やりたいかどうか、それしかないから」

 

出演を決めたときに、私の口からこぼれた言葉だった。

 

そう、「本当にやりたいこと」なんて探ってるうちに日は暮れる。
一瞬でも「やりたい」が産まれちゃったらもう、それは「やろう!」の合図なんだと思う。行動しなければ、何も起こらない。行動すれば、起こることが、起こる。

 

 


出演を決めてから一週間、毎日のようにスタジオに入り練習、練習、練習の日々。

今回踊る曲は2曲。2曲とも無限ループで聴いていられるくらい大好きな曲。

聴いているだけで、勝手に肩が裏拍取り始めちゃうくらいご機嫌な曲。

 

 

…と練習を続けていたところに3日前、友人の誕生会に合わせて、私も親愛を寄せる整体師さんの喫茶店来訪があり、ついでにということで身体を診てもらうことになった。

 

施術を受けて全身を一度緩めてもらったら、なんと。施術直後から、去年の冬に傷めた仙骨がずんずんと痛み出した。
どうやら変な力を入れて筋肉を強張らせて、仙骨を痛みから守っていたみたい、ということがわかった。


わーー…なんてこったーーーい😢

わたしはまたいつのまにか、自分の体に負荷をかけちゃってたんだなあ…

 

気づいてすこし、呆然とする。


無理せず力まずと気をつけてはいたけど、まだまだ自分の身体のこと、全然わかってないんだなあ…

 

 


だけど次にやることだけは、わかってる。

昔のわたしだったら、痛みを我慢しておっかなびっくり練習を重ねただろうけど、今のわたしはそれを選ばない。

 

わたしに優しくすることだけを選ぶ。

よく眠る。動かない。温める。緩める。休ませる。眠る。眠る…。


それだけを繰り返して数日を過ごしている。

ほぼ面会謝絶状態。パソコンでやれる仕事はしているものの、ずっと布団の中、もしくは風呂の中。

こういうとき、喫茶店を不定期開店にしておいてほんとうによかった…と思う。

 

この状況を知ってか知らずか、近所の友人たちが順番に喫茶店を訪れては、野菜やお菓子やパンや珈琲豆なんかを置いていってくれるものだから。なんだろう、神様が見てくれているのかな、なんて気持ちになる。

 

 

本番は明後日。ほんとうならダンスは、最後の追い込みとばかりにやったほうがいいところなのかもしれないけど、このまま休んだまま本番を迎えようと思ってる。

 

 

多分わたしに今必要なのは、技術を向上させるための練習じゃないんだろなあ。

 

黙々と一人で身体が動くがままに、気持ちよさだけを頼りに踊ってきたここ数ヶ月を信頼すること。

このまんまの自分、等身大の自分を舞台に上げる許可をわたしがわたしに出すということ。

かっこよくやろうとだなんてしなくていい。私が思いっきり楽しんでいれば、なんかそれがいい感じに伝わっちゃって、観てるみんなも楽しくなっちゃうから大丈夫!ってどんと構えていること。

 


って、わーーーー。

言ってはみたものの!

こんなに勇気のいることってないよ…!


避けてきた難関、大本番、ついに来たぞ!って感じだ(笑)

さあいよいよ肚を決めよう。

 

 

 

正直、いまもつきつきと痛む仙骨をときどき感じて、不安な気持ちが追いかけてきてんなあと思うことがある。


歩くことはおろか、起き上がることすら全くできなくなってしまった去年の記憶。

もう随分前のことのようにも思えるけど、多分一生忘れないとおもう。


だけど、それでも。
ワクワクも恐れも丸ごと抱えたまま、舞台に飛び込もう。

かっこ悪くてもいい。全身全霊で本番を楽しもう。

どんな結果になったとしても飛び込んだことに後悔なんて一つも出来なそうだし。

 

時々おっかなびっくりしながらも休むと決めて休んでる私に、親愛なるちーちゃんがかけてくれた言葉に、気付いたらぼろぼろと泣いていた。

 

『よーーくわかってるね、流石だね、
自分のこと気づいてあげられて大事にしてあげられるようになったね、嬉しいよ』

 

『千秋さんがステージに立つこと自体が本当に素晴らしいことだから、完璧に、かっこよく、みんなに魅せなきゃ、じゃないみたい!
自分自身の等身大を、届けるとみんなが泣いちゃうくらい素敵なものになるんだと思うよ♡!』

 

勇気と元気をもらった。

これでいいんだよ、って、自分で自分に言い聞かせるけど、やっぱり誰かにも言ってもらえるとほっとする。

 

私、本当に、よく生きてるなあ。。。

 

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そういえば、先日徹くんと話していたとき踊りについてとてもいいことを言っていたので、メモ書きとして残しておきたい。

彼も26日のライブで踊るけど、「率先して」全然練習しないという。

 

『踊りは意気込み、と言いますか…

テクニックよりも、「自分が気持ちよく踊る」こと。
そのために心を開放すると言いますか、なりきる!と言いますか、、、!!!』


彼の言うことが私の腑に落ちるのはいつも早くて、なんなんだろなと思う。

ちーちゃんが以前、「千秋さんは前世が犬で、徹くんは前世が狼だから、話が通じ合いやすいというか、先輩感があるんだと思う」と言ってて「ありそー!」って笑った。

 

 

私は練習が楽しくて仕方なかった。

音に合わせて身体の躍動に合わせて、心が跳ねてどんどん元気が湧き上がってきて、気づいたら一人でめちゃくちゃ笑ってる。

 

練習のときのまんまの私を舞台に乗せればいいんだな。それならきっと、仙骨も「ストップ!」かけてこないだろう!狼のようなかっこよさには追いつけないかもしれないけど、やれるだけやってみるよ先輩(?)!

 

 

 

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私が今回ルキノさんのバックダンサーさせてもらう曲は、夏に初めてくり氏にデモ音源を聴かせてもらって以来、感動して大好きになりすぎた『地獄DEマンボ☆』

 

るーちゃんがPVを作るためにクラウドファンディングを立ち上げた曲でもある。

https://camp-fire.jp/projects/view/54381

(24日現在145%突破!おめでとう…!!!)

 

ポップでキュートで、それでいて底知れぬ破壊力というかエネルギーというか、とにかく聴いているうちに肚の底から噴火気味に元気が出てきてしまう不思議な唄。我が家の小学生にも大人気。

 

この歌の歌詞で、もう長いこと気になって気になって仕方なかった歌詞がある。

 

それは、

 

『上がってこいよ ここがステージ!』

 

 

この台詞ひとつがずっと気にかかっていた。

 

いつまで傍観者でいるの?

自分の人生のステージに上がろう。

いいこともそうじゃないことも、溢れ出る感情の全部も、全部全部自分で引き受けていく、この壮大なドラマは、他の誰のものでもない、自分だけのステージで繰り広げられる。

 

さっさとステージに上がろう。

話はそれからだ。

 

 

 (余談。「今年は私(俺)イベンターになります!」といってあれこれ企画立てる人たちが最近、周りにちらほらいらっしゃる。盛り上がってきていてすごく、いい感じ。飛び込め飛び込め!失敗しよう!成功もしよう!なんとも言えない気持ちも味わおう!!もう一回言うけどステージに上がろう!話はそれからだ…!😆)

 

「きらい」について原稿用紙一枚以内

「きらい」の内側には「好き」があるっていうけど、『その人のことがきらいかどうか』というよりは『「あなたがきらいです」「あなたのこういうところがきらいです」って正直に言えない自分に対するNO(きらい)』なのかなってさっきふとした時に思った。

 

いい人ぶってると一番に自分をきらいになる仕組み。多分、この世界の理。

 

「あなた自由だから、何してもいいでしょ」って体で近づいてくる無礼者が私は超きらいなんだが、そういう人に「近づいてくんな」って正直に言えないでなあなあにしているうちに、気づいたら自分の範囲を浸食されてた、なんてときにめちゃくちゃ怒りが湧く。

それは他でもない自分に対する怒りだ。自分で自分を守らなかったことに対する怒りなんだと思う。

 

と、ここまで書いて少し清々してきたのでもうすこし深く考えると、興味の湧かない人(きらいな人)に対してしてそこまで愛をぶつける(きらいってちゃんと教えてあげる)べきだとかって私どんだけ暇なんだ?と思った。

 

するっとスルーして、もしくは心の中でファッ◯って一回言ったらはい、今日も自分の世界を濃くすることに集中。自分の『好き』にもっと集中!

 

「きらい」が出るくらいのときは、私はどうやら暇してる、ってことだな。

 

(ちくしょう原稿用紙はみ出た。)

 

旅日記番外編 〜幸せになる覚悟はあるか?

昨日。自分的に本当に良いブログが書けたなと思った。

 

旅日記番外編 〜『先にはじめてる人』

http://naimachiaki.hatenadiary.jp/entry/2018/01/06/154750

 

書き終えて、幸せな気持ちのままバイク旅に出発した。

 

快晴。美しいヴァンビエンの山々に田園風景。陸橋をいくつも越える。偶然出会った牛の群れ。気持ちのよいせせらぎ。

 

途中で撮った写真を、休憩で立ち寄ったカフェのWi-Fi使ってブログに追記して。


わーーーもー大満足も満足!帰るかな!

そう思って宿へと向かう。

 

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本日のバイク走行距離、約25㎞ほど。

舗装されていない道路の凹凸道に、何度バイクごとジャンピングホッピングしたかわからない。それでも1度も転倒しなかった。

 

 


…のに!

 

 

なんと宿まで残すところ200m切ったというところ。突然、道路右端の民家から鶏が意味不明の猛ダッシュで飛び出してきた。

 

 

!!!!!(´⊙ω⊙`)

 

 

避けようと、ハンドルを右に素早く切る。

前輪が砂利道のでこぼこに捕まる。見事にこける。バイクと一緒に3m位スライディングした。

 

 

最後の最後で…
なんなんでしょうこれは…?GOD?

 

 

こけた状態のまま微動だにせず、ただ呆然とする。

 

ワーワー言いながら集まってくるラオスの人たち。上からのぞき込まれる。バイクを起こしてくれる。ペットボトルの水を持ってきて怪我をした箇所を流しなさいとジェスチャーする。優しい。

 

これは自分で後から思い出して笑ってしまったのだけど、転倒してから私が1番に、咄嗟にチェックしていたこと。それは、自分が怪我をしたかどうかよりも、その時着ていたうさとの服上下…先日のラムピリカでの展示会で頂いた大切な洋服が破れていないかどうかということだった。

 

こんなに大事にしたいと思える洋服にこれまで出会ったこと、あっただろうか?肘とか膝とか、破れていないかを確認する。

 

そこで驚愕する。肘も膝もしっかり傷が出来て血が出ていたのに、なんとうさとの服は少しも破れていなかった!!

 

何このプロテクション力。すっごい!!!(´⊙ω⊙`)

 

からしっかり手作りで丁寧に作られているのも知っているので、さすがだなぁと思った。土まみれの傷だらけのぼろぼろなのに、一人ふるふる感動した。

うさとの服を着てなかったら、もしかしたらもっとひどい怪我になっていたかもしれない。

作ってくれたうさぶろうさん、ラオスとタイの人たち、そしてこの服を運んできてくれた豊田さん。ほんとにありがとう…守られちょるばい😭

痛さよりも感動が勝る。その場では。

 

集まってきたラオスの人たちに、大丈夫大丈夫とジェスチャーして、起こしてもらったバイクに再びまたがり最後の200mをゆっくり走る。

 

宿につくとまっすぐバスルームに向かって、汚れた衣服と血の出ている箇所を洗い流した。

ふう、いろんなことが起こるなぁ…


そんなことを思いながらシャワーを浴びていると、急激に。ほんとにこの旅で初めてって言っていい位、強烈な不安が湧き出してきた。急に弱気になった。

 

事故とは全然関係ないのに、

「私のやってることは間違ってるんだろうか」

とか

「今日はずっと、あんなにしあわせな気持ちだったのに、もしかしたら、私はまだ自分がしあわせになることに抵抗とか罪悪感があるのかなあ」

「だから事故が起きたのかなあ」

 

って、極端なネガティブモードに急速に突入してしまい、心細くなってしまい。

 最終的にはめちゃくちゃ泣いた。

 

みずきと鈴が今私と離れたところでどうしているのか分からなくて、そのことも急に怖くなった。

 

あんなブログ書いたあとにいきなりこれですか、ってもう情けないのだけど。

 

「信頼するって決めるのはやっぱり怖い。」

 

って、ちゃんと出てきた。


この感情が出てきてしまった以上、誤魔化したり無理やりポジティブ方面に奮い立たせてもきっといいことない。
あるものは、ある。いいとか悪いとかない。

 

よし泣け泣けと自分に言わんばかりに、泣いた。

 

怖いよー!わー!うわー!😭

 

出てきた感情は、出し切る必要があるから出てきているんだと思う。一番大事なことは多分、出てきた感情を無視しないこと、あとはその一時の感情で「次のことを決めない」ってことだと思う。

何が起きても、本当に望む方はどっちなのか、って、改めて目線を行きたい方に合わせることだと思う。

 

何か神様みたいなものがいるのだとしたら、何度でも試されてるみたいだなぁ、という気になってくる。

 

「お前には、ほんとうに幸せになる覚悟はあるのか?」

 「美しい世界をクリエイトしていく覚悟はあるのか?」

 

手厳しいぜやれやれ…。

 

 


泣くだけ泣いて、涙を出し切って、
「はーっ、すっきりしたあ!」
「よし、出し切ったからもうだいじょうぶ!」

 

500% 肚決めろってことだな、もう振り返らなくていいよ!!

 

そう強く思って、肚の底から「うおっしゃーー!!」って叫んでガッツポーズとったりしてたら、絶妙なタイミングで部屋の扉がノックされる。宿のラオス人スタッフさん達がどやどやと部屋に入ってくる。手には応急処置セット。

 

スタッフの超元気な女の子のうち1人が、なぜか片言の日本語がしゃべれるひとで、

 

「ドシタノー!」
「コロンダー!イッタイネー!」
「ハイコレ、スル!!」


有無を言わさず赤チンを傷に塗りたくられる。

 

ギャー!!!いってえええ🙀
悲鳴をあげる。赤チンって全然日本で見なくなったなー!
ガーゼをばしっと貼ってくれる。

 

「ハイコレ、ノム!!1日三回デス!」

痛み止めと抗生剤を渡される。
飲みたくない、薬嫌いと言うと

「ノマナイトー!ダメデショー?!!」

叱られる笑笑


ついでになぜか、プラスチックカップに入ったビールも渡される。

ハイ、夕御飯、一緒タベルヨー!カムカム!今日ハー、ミンナデ、タベル!!

 

外のテラスに連れ出されると、そこではスタッフ5人くらいと宿泊客7人くらいで、何種類ものラオス料理と何本ものビール瓶を囲んで宴会が繰り広げられていた。

この突撃力高めの親切な人たちに、急に力が抜けてしまって、ブッハ!!!😂って最終的には大爆笑してしまった。

 

やー、いろいろあるけど、結局世界は愉快痛快でありますな!😂さんきゅー世界!!

またしても7カ国位、国籍バラバラの言語もバラバラの人たちで深夜まで飲み食べ喋り笑った。

ふと見上げた夜空には、誰が放ったのだろう、ランタンがいくつか飛んでいた。ビールを一口ずつのみながら、いい心地で眺めた。

 

短いひとり冒険の時間も終わり。今日はみずすずさんの待つビレッジに帰る。

 

 

“Humor is Future.”