On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

第一回 ハンター(みずすず)超会議

最近、ふと思いついた。

「そうだ、毎週月曜日に、みずすずと会議をしよう。」

 

https://www.instagram.com/p/Bnd3FGIlR0U/

娘と一局。負けたヽ(;▽;)ノいいお天気です☀️

 

「会議」

前置きもなくいきなりの提案をすると

「ええ何それ(めんどくさそ)」と乗り気じゃない2人。

 

さあこっからはイベンター(?)千秋さんの腕にかかってます。

いかに面白そう、楽しそうと感じてもらえるか!

 

「君たちさ、学校行かないで、いま有り余る時間を手にしてるわけでしょ?

 毎日家で絵を描いたり音楽聴いたりするのもいいんだけど、

 それ以外のやりたいことも全部できるわけ。

 行きたいとこどこでも行けちゃうわけ。

 できるようになりたいこと何でもできるようになっちゃうわけ。

 その全部を、ノートに書いて書いて書きまくる会議。

 で、私はそれが実現するように応援する人。

 言ってみれば、君たちが、自分で学校作るようなもんだ。

 学校に行けば、学ぶことはみんな学校が用意してくれてる。

 だけど、自分で作る学校では、学ぶことをみんな自分で用意できるの。

 それを考える会議。どう?」

 

 

と、自分の中でもまとまらないまま話し出した割りには熱弁。

話しながらまとまっていく会議の概要。

 

それを聞いて、奇跡的に温度が上がり始めた2人。

ふーん?じゃあやってもいいけど…?

ってあくまでも上からなのは何故なんでしょう!😂笑

 

 

じゃまずは会議名考えようということで、私が突破口になろうと思ってまずは死ぬほど適当に

 

ち「毎週月曜みずすず感謝デー」

み&す(被せ気味に)「ダサい」

 

ここまでダサいの出されると、

「これは自分たちでなんとかせねば」

と流石に危機感が出るのだろう。二人とも、うーんと考え始める。

 

み「ニコニコ超会議みたいな、みずすず超会議は?

 うーんこれもダサいな…

 あっ、ハンター超会議は?!

 ハンターのように、未知の世界に切り込んでいく我ら!的な!」

ち「天才!!!」

 

大好きな漫画「HUNTER×HUNTER」にもじったら早かった。

 

HUNTER×HUNTERを知らない人のために、ここでこの漫画に出て来る「ハンター」について説明入れておきますね。親切。

 

【ハンターとは】

怪物・財宝・賞金首・美食・遺跡・幻獣など、稀少な事物を追求することに生涯をかける人々の総称(Wikipedia

 

まあ若干現実世界に照らし合わせると若干あれなんですが、

「テンションの上がる名前って大事!」

 

というわけで、「第一回ハンター超会議」が昨日、藤沢のコワーキングスペース「NEKTON」にて開催された。

 

会議専用のノートに、2人のやりたいことをバシバシ書いていく。

なんでもいいから思いつくもの書こうということで書いていく。

 

・乗馬したい

・プール行く

・動物園行きたい

Appleペン欲しい

・クレープ焼きたい

ボルダリングしたい

・ボーリング行きたい

・絵を描く道具がもっと欲しい

Gペンに手を出したい

・この前失敗したパンケーキをリベンジしたい

 

 

などなど。

初回にしてはいい調子。充分充分。

 

じゃあ次に、これを実現するにはどうしたらいっか?

どうやって実現するか?

 

ってとこまで話し合う。

 

すぐできるものもあれば、準備や計画が必要なものもある。

子どもだけで叶うものもあれば、大人が一緒にいないと叶わないものもある。

お金が結構かかるから、資金を調達する必要がある、なんてものまで。

 

「資金を調達するには…クラファンやればいいんだ!」

なんて意見は、子どもたちの方から出てきた。

 

そんな風にしてやりたいことを振り分けていった結果、

1週間のやることリストが出来上がった。

 

昨日は早速、会議後、絵を描く道具を買いに行った。

今日は朝から二人で市民プールにおにぎり持って出かけていった。

明日は二人は動物園に行く。見るだけじゃない、絵も描きたい二人は、スケッチブックも持っていく。

 

 

 

 

「子どもたち、今のままで充分」

心の底から、100兆%そう思ってる。

 

ではなぜ今、新しいものをあえて始めてみようと思ったのか?

 

一言で言うなら、「私の自己満のため」だろうと思う。笑

 

 

最近思うのは、私にはどうやら、子ども達に対して「正も誤も持たないまま、ただ一方的に与えたい何か」が、本当はあるということ。

それは今までうまく言語化できていなかったけど、

 

「子どもたちの世界が増えたり、広がったりするようなきっかけ」

「子どもたちがやりたいことや叶えたいことを、【言語化】するサポート」

「子どもたちのやりたいことが現実化するまでの体験に導くこと」

 

なのかな、と。

 

 

【押し付けがましい。そんなことやらなくても、子どもたちは、来る時が来たら勝手にできるようになるわい。】

 

と、そんなことも同時に思っている。

 

でもやっぱり、順番的にどうやっても私が子どもたちよりも先に死ぬわけで、そしてそれはいつなのか全くわからないわけで。

 

この世界で面白く楽しく生きていく術を。

自分の世界を探求していくことの大切さを。

【押し付けがましいから】なんて理由で子どもたちに意識的に手渡さないで死んでいったらさ。

私は後悔すんじゃないのかなと思った。

 

だから、私は一方的に押し付けてみることにした。

だってどう考えたって、どう転んだって、私にとって大切な二人なんだもん。

 

最後に余談だけど。

最近、素直にそんな風に(与えたいものは与えたい)って考えられるようになった理由。

 

それは、一言で言うなら、

「私が、私の中のお母さんと、仲直りできたから」

 

私は、私の中の「お母さんとしての、子ども達に対する愛情」を、

前よりもずっと信頼できるようになったんだろうね。

こうなるには、敬愛する人たちの存在が、その人達との真剣な関わり合いが、

そして自分とがっっっっっつりと向き合う時間が、欠かせなかった。

 

これだけ聞いても、「?」と思う人も多いかもしれないけど、このことについては長くなるから、別のブログで書きたいと思う。

 

 

 

まずは実験的にはじまった、毎週月曜ハンター会議。

若きハンター達はどんな体験するのかな。どんな感想を持つのだろうね。

どんな変化が生まれるのかな。楽しみでございます。

何より、みずすずと過ごす時間は楽しい☺️

最近忙しくて、なかなかじっくりとは一緒に居られなかったから、こういう時間が持つ、と決められてよかった。

(願わくば、今を面白く生きようとする大人が他にも、

 会議に参加してくれるようになったらなお最高🤩)

 

 

11年

昨日、鈴の眼科にいってきた。


一歳から斜視の治療で眼鏡をかけてきた彼女。

はじめて異変に気づいたのは、姉の旦那さんだった。

 

「鈴、時々右目が真ん中に寄ってる。すぐ眼科に連れて行った方がいい。」

 

たしかに何か焦点が合ってないような感じがするときがあったものの、眼科に行くほどのものとは思ってなかった私。

 

でも初めて訪れた小児眼科で言われたのは、

「斜視」強い遠視。

 

---

しゃし
【斜視】
目の筋肉の異常のため、一方の目がある目標を直視する時、他方の目がそれと別の方向に向かうもの。やぶにらみ。

---

 

近くのものがぼんやりとして殆ど見えていないのだと知った。

そのことに気づいてあげられていなかったこともショックだったし、1歳から眼鏡をかけるというのがどんなものになるのか想像もしたことがなかったので、かなり動揺した。

 

斜視を治すには、何年にもわたって、目の筋肉の矯正をするための眼鏡をかけることが必要だと知らされた。

 

こんなに小さいのにメガネになっちゃってかわいそうに、と、周りの人たちが言った。

その一文字も、鈴の耳に入らせたくなかったので、目に力を込めて訴えた。

かわりに私は、100万回「鈴の眼鏡、かわいいね」って言おうと心に決めた。実際、可愛かったので(笑) 

しつこいくらいに可愛いと言い続けた。  

 

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ささやかな努力の甲斐があったというよりは、本人の持ち前の太っ腹さ(笑)?で、眼鏡が好きな子どもに育った。

「いつか眼鏡がいらなくなることがあっても、度なしのメガネかけてようかなー」

なんて、本人の口から出てくるくらい。

 

たしかに、ほんとうに可愛くてよく似合ってるし、言ってみればトレードマーク。なにも問題ないな!と思ってたし、今も思ってる。

 

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けど。


昨日の診察で、突然の朗報。

 

お医者さんにはじめて言われた言葉があった。


「順調に遠視が治ってきています。左目に

至っては、もう眼鏡がなくてもいいくらいです。」

 

もう長いこと眼科に通って来たけど、「眼鏡がいらなくなる」なんて言われたのははじめてで。キラッキラの笑顔でこっちを見る鈴。

私も、言葉に表しようのない喜びがあふれすぎたまま鈴を見る。

 

「ありがとうございます…!」


診察室で、大興奮で喜びあった。

 

1歳から、ですよ。

鈴は眼鏡をかけないで過ごしたことがほとんどない今世なわけで。

 

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鈴4歳。みずき6歳。インドにて。

万が一向こうで眼鏡が壊れた時のためにスペア眼鏡持っていったなー。笑

 


鈴が眼鏡をかけていることは、もうずっと当たり前だった。

 

「もし治るなら、7歳くらいまでに治ります」とお医者さんに言われたことがあった。

だけど、7歳を通り過ぎても一向によくならない。トンネルで例えるならその出口は、何度眼科に通えどずっとずっと見えてなかった。

それが、はじめて、大きな転機を迎えた。

 

治るんだね。よかったね…!!

眼科からの帰り道に鈴と手を繋いで話す。

鈴は、「やーーー嬉しいですなーー!でも伊達眼鏡かけるかも笑笑」とやっぱり眼鏡好き😂

 

かーちゃんばっかりハラハラしてて、ほんと、子どもたちは私よりいつも肚がすわってるよ笑

 

 

 

帰宅後。

一人になって、ほっと一息ついて、ベッドに仰向けになった。

 

ら。


唐突に、思いもよらぬところで、噴出するみたいにある感情がこみあげた。


気づいたら。一人でわあわあ泣いていた。

 

えっなんで泣いてんだ私?!

何がなんだかわからなかった。


けど、この感情に名前をつけるのなら。


「安堵」


どこかで張り詰めていたものがほどけたみたいだった。自分でもびっくりした。

大丈夫って言ってたくせに、呑気に振舞ってたくせに、案外ちゃんと心配してたらしい(笑)

 

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なにがあっても、一生眼鏡をかけていたとしても、それでも大丈夫。


そう思っていても、それでも、鈴と手を繋いで眼科に通い続けた11年。

最初の9年は、電車で2時間かけて、日本で一番治療技術の進んでいる病院に通い続けたりもした。

呑気にはしてたけど、同時に祈りつづけた11年でもあった。

 

 

そりゃ、こみ上げるものもあるよね…

 

と、「大泣き」っていう自分の反応に驚いて、自分で自分の頭をよしよししたくなった。

本当に。長いことがんばった!

私も鈴もえらい!よかった、よかった!

 

 

 

泣いてる私の横に豊田さんがきて、クラニオセイクラルを鈴に施してくれると言った。(彼は副職?がクラニオセイクラル師)


人を本来のかたちに戻す手伝いをする。

それが、クラニオセイクラルだから。


偶然にも、豊田さんにクラニオを教えてくれた人も、お子さんの斜視を治したくてクラニオを学び始めた人だったそうな。


その人の想いにまで共鳴されてしまったのか、余計に泣いた。


喜びでこんなに泣いたのは久しぶりだった。

 

もう、ほんとーーーに。

子どもたち、相変わらず、いろんな気持ちにさせてくれるよね…笑

 

こんな気持ちにさせてくれる人たちに、今世すでにたくさん出会えてるから、私の人生、きっとすごくいいもんだ☺️

 

神さまありがとう。

引き続き、前を見て生きます☺️

 

 

世の不条理をやり過ごす力

このブログのタイトルを考えたときに、「世の不条理をやり過ごす力」と自分から出てきた。

記憶の引き出し力があまり強くない私は、こうやって自分からふわと出てくる言葉の元がどんな本やどんな体験からなのか、大体思い出すことができない。

 

そういえば「不条理」って厳密にはどういう意味だっけ?と思ったので調べてみた。
 
 不条理:良識や理性の法則に反することで,非論理的,矛盾的と同義。この世の無意味,非合理と,この世を明晰に理解しようとする人間のやむなき欲求との対立関係から生れるとされる。(コトバンクから)
 

 

我が家の子どもたちが「不登校」であることに対して、

「残念なこと」
「あるまじきこと」
「(子どもにとって)可哀想なこと」
「学校とは行くべきもの」
 
という前提をがっしりと握りしめたまま接してくる人と、いまでも時々出会う。
心配してくれる気持ちはありがたいのだけど、あまりに一方的に「可哀想に」みたいな対応をされると、
 
「ああ、こうやって差別って生まれるんだな…」
 
と思えてしまう時があって。
ほんの一瞬、悲しくなる時がある。
 
私ができることは、これからも堂々としてることだなあと思う。
「わかられないこと」に嘆かないことだなと思う。
 
二人とも、学校には、「行きたいのに行けなくなった」んじゃなくて、
 
「家にいる方がやりたいことができて楽しいから、学校には行かない。」
 
子ども達の前向きで自主的な選択を、全面的に信頼し続けることだと思う。
自分の意見を話せる二人を。自分の感覚で、「自分が居たい場所」を選ぶことができる二人を。
生き生きと日々過ごしている彼女達を、これからも応援し続けることだとおもう。
 
 

https://www.instagram.com/p/Bn6MTwzFcvd/

 

 

先生とのこのやり取りを、長女から聞いたときには爆笑した。

みーちゃんに話したときも爆笑してくれた。

 

そう。わかってくれてる人は、いるんだ。

むしろそっちの方が周りには多いくらい。

たまに出会う無理解に嘆く必要なんて1ミリもないね。

 
 
最近ある文章を読んで、興味深かったのは、
 
「自分で自分を律することができない自信のない人間が、自らを世間のルールや常識で縛ることで、なんとか自分を保とうとする。そして、そうでない人間を見ると不安に駆られて排除しようとする。」
 
なかなか挑戦的で挑発的。
すごく厳しいけど、真理を突いている。そんな言葉に出会うと、
「ふふ、人類、やっぱりいいね!」なんて笑ってしまう。
 
 
世間のルールや常識は、知っておいたほうがいいと思うし、子ども達にも常々それは伝えている。
 
だけど、「自分自身の基準、真ん中」を世間のルールや常識で固めてしまうと、そこにどうしても添えない現象が自分や周りの人に起きたときに、苦しんだり問題だと感じたりということになってしまう。
言ってみれば「そのままの自分」も「身近な人のありのままの姿」も、いつの間にか批判して否定している。そんなことになりかねない。
 
 
私は、プレーンであることを忘れたくないなと思う。
偏っていてもいい。
だけど、私自身の思い込みを貫くのは、この世界に私一人でいいはずだ。
「大好き!」は積極的にシェアしたいけど、「こうありたい」や「こうあるべき」まで人に押し付けることはやっぱりできない。
 
 
子ども達に対して日頃から伝えるようにしてるのは、
 
「私はこう感じる」「私はこれが好き」「私はこれが嫌い」「私にはこう見える」「私はこう考える」
 
というあくまでも主語が【私】の話。
この話をすることだけで十分だ。
 
それに加えて、
 
「いま自分がいる社会のルールは知っておきなさい。
 それを知ることは、その社会に生きる人に対する思いやりにつながるから。
 だけどその上で、好きなものを選ぶといいよ。
 広い広いこの世界には、探せば選択肢は、無尽蔵にあるから。」
  
ってことは時々話す。
 
「わかってるよー、当然でしょ!」
 って自信満々で返してくる彼女達がたのもしい。
 
 
自分を幸せにする力をもれなく持って生まれてきた全人類。
その力をもっと信じて。
 
世の不条理をうまくやり過ごして、「私が私の人生を追求しつづける。」
 
そんな背中を育てる。そんな背中を見せてやれてるかな。見せていけたらな。
 
私の答えを出し続けるのは、私。
あなたの答えを出し続けるのは、あなた。
全部丸ごと信じていい。
 

 
 

https://www.instagram.com/p/BmHWHJLl7H5/

【子自慢(すみません)】 昨日東京都美術館で書道協会の授賞式があった。鈴は入選。みずきは準最高賞。みずきに至っては、全国の中学生の中で3位以内に入ったらしい。スーパー不登校児たち。わたしの知らぬ間に。やるなあ。笑笑会場で、自分の入賞作品を見つけた時のみずきの一言。 「え、これ書いた記憶ないんだけど。ばっちゃん(元旦那さんのお母さん、みずすずのおばあちゃんであって、二人の書道の先生)が書いたんじゃないの?しかもこの言葉の意味もわからん。」 力抜けすぎでしょ。わろた😂まーでもそれがいいんだろな。[力抜けてること]これがみずすずさんの強みだねきっと。そのまんまゆけ〜。気張るな〜。たのしめ〜い♪🦋

 
 
好きにあれこれやり続けた結果、なんかほんとうにいい感じの二人だなって思う。
親ばか抜きにしたって、最高だな二人!っていつも思うよ。笑
 
 

身体の声、アゲイン。

スーパーで、芋・栗・かぼちゃに微笑みかけたくなる季節がやって来ましたね。

みなさまいかがお過ごしでしょうか。

https://www.instagram.com/p/BoaOGI4Hcy8/

 

---

 

[ プラシボは言ってみれば、「自分にかけてあげるやさしいおまじない」の効果 ] 

 

なんだか皮肉めいてるかしら。

でも、思い込みの力ってほんとうに、よくも悪くも強いから。

 

 

秋深まる街並みを歩きながらふとそんなことを考えたので、ブログに書き留めておくことにした。

 

ブログ、久しぶりの更新だ。日々の出来事の多さに、文章に書き留めることが少なくなった昨今。

そんな今だからこそ。

なんてことはない、歩きながら浮かんだ思いを書きとどめてみます。

 

(芋栗南瓜~のくだりも歩きながら思いついた。

 大体いつも一人ふわふわくだらないことを考えてはニヤニヤしながら歩いています。)

 

 

 

 

 

とにかく最近、やりたいことが多いので健康管理には気をつけてる。

 

 

 

「世の中で【身体によい】とされていることばかりやっていれば健康になる」

 

も、

 

「世の中で【身体に悪い】とされていることばかりやっていれば不健康になる」

 

も。

 

このどちらも、「ほんとう」であるのと同時に、どうも「ほんとうではない」と、最近常々思います。

 

 

 

 

白砂糖は身体に悪いものとされてる。

カフェインも然り。

 

白砂糖を食べると大体身体が重くなるので、普段は避けている。

 

珈琲は、アーユルヴェーダの診断を受けたところによると、なんと私は身体に合わないとのこと。

茶店経営してるのに!珈琲大好きなのに!😨

 

茶店で出しているオールドビーンズという珈琲は、奇跡的にカフェインレスだったので(開業後に知った。ラッキー💫)すいすい飲んでいるのだけど、それ以外の珈琲は、大好きだけど日常的には飲んでいない。

不思議とさほど「飲みたい」とならない。

 

 

日常的に白砂糖とカフェインの摂取を避けていると、なるほど確かに身体の調子がいい。

 

 

 

 

ところで私の1日の始まりは、いつもこんな感じ。

 

朝5時に起きて、同居人と歩いて5分の神社にお参りに行く。

 

帰宅後、毎日の習慣になっている野草茶を淹れる。野草茶の蒸らし時間中にスクワット。

 

お茶がはいったら、飲む。

お茶とスクワットで温まった身体を感じて、朝のパソコン仕事を始める。

 

概ねこんな流れで私の1日は始まる。

1日を通してすこぶる調子がいい。

集中力が高い。

 

だけど今朝は、いつものこの流れではじめてみたものの、どうにも調子が上がらない。

身体が重い。頭が重い。眠い。

もう一度布団に入る。少し眠る。でもやっぱりスッキリしない。

 

「睡眠不足じゃないのかじゃ、私の身体は一体、いま何を欲しがってんだ?」

 

問うてみたら、ぱっと出てきた答えは

 

「珈琲とアーモンドチョコレート」

 

だった。

 

まじか。ここ何日も砂糖断ちしてたのに。。

気の迷いか。ただのアディクトか。

 

靄がかった頭の中でぐるぐるとめぐる、様々なキーワード。

 

糖分

血糖値急上昇

たんぱく質

カフェイン

砂糖

中毒性…

集中力

断食

集中力

 

もやあ…もやああ…

 

 

むわあ!めぐらせればめぐらせるほど、気持ち悪い。

 

 

堪え性がないので、この状態を打破するべく、

 

「これは、失敗してもいいから(余計に体調悪くなってもいいから)とりあえずチョコと珈琲だ!!」

 

最寄りのセブンイレブンで、ホット珈琲のレギュラーサイズとロッテのアーモンドチョコレートをゲットする。

 

甘いチョコを一粒、口に放り込む。

カリカリと噛み砕いた後に、熱くて苦い珈琲を、ひとくち口に含む。

 

 

次の瞬間。

 

「ああふ…🕊✨✨✨

 

全身の筋肉が緩んだ。顔がほどけた。

視界がぱっきりとひらけて、あれだけ重かった身体がふうわと軽くなった。

その後、歩いて移動しながらも次から次へと浮かんでくる新しいアイデア

冒頭に書いたような変な文言。

 

いいのか悪いのかよくわからないけど、私の身体、今朝はイレギュラーなカタチでエンジンがかかった。

「基本、悪いもの」と避けていたチョコ&珈琲がエンジンをかけた。なんなんだ。

 

 

今もパソコンの前で、チョコを時々ぽりぽり、珈琲ぐびぐびしながら、驚異的集中力で複数の企画を同時進行で進めながらも、このブログも書くという始末。

(若干危ない感じのハイなんだろうか…いやいや…)

 

 

チョコ&珈琲!!!

昔はあんなに仲良しだったのに、最近はすっかり避けがちな彼ら!!!

 

今も、日常的に摂取したいわけじゃないけど、今日の身体にはなんか知らんけど必要だった。

おかげでエンジンかかったよ!フルスロットルだよ!!ありがとう!

 

 

 

というわけでプラシボ効果のことは結局一言も触れないままブログを終えますが、とりあえず今回言いたかったことは、

 

「頭で考えるよりも、
 知識を頼りにしすぎるよりも、
 自分の身体のご機嫌をよくしてあげることだなあ。
 身体の声をよく聴いてあげることなんだなあ。。。。(人生通算3億回目)」
 

でした!では今日はこの辺で。アデュ。

日々の出来事の多さ

に、驚く。

 

 

 

 

 

 7月28日

竪穴式住居試作品作り@エディブルパーク茅ヶ崎

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 photo by Hikaru Ishii

 

小学校教員をしていた時に、6年生120人と一緒に、縄文時代の竪穴式住居を作ったことがある。

 

何が起きたっておかしくないこの世界で、一度でも『自分の手で家を作ったことがある』

この体験を子供たちがするっていうのは、多分、とんでもないことだ。『生きる力』身についちゃうやつだろう、と。

単純にそう思い、周りの先生たちの反対を押し切り、可能な限り本物に近いものをと、建築に対しても縄文に対してもズブの素人だったけど、本気で作った。

 

本当に良い体験だった。

 

 

その時の話をFacebookでしてみた。

「誰か作ってみたい人いる?」

そう問うてみたら、まっさきに手を挙げてくれたのがさちこさんだった。

 

ご自身が通っているシェア農園で作れそうだと教えてくれた。 

そこに集うお仲間さん達も、楽しいこと、ワクワクすることが大好きな大人たち。

まずは試作品作りをと、葉山の星山に材料の竹を刈り取りに行き、28日にはついに作業がスタートした。

 

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 photo by Hikaru Ishii

 

 

一応元教員なんですが、指導や段取りが苦手な私。の、指示をまたずに次の作業をどんどん、意欲的に見つけてくれるみなさんのおかげで、何週間もかけて6年生と作った竪穴と骨組みが、ものの3時間で出来上がってしまった。

(みずすずは、いっこも手伝わずに虫取りしてた笑) 

 

『大人たちが本気で遊ぶと、やばい(笑)』

それを目の当たりにした一日。

 

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後は、束ねた稲藁で周囲を囲えば完成だ。

(藁や不要な畳など、あったらご連絡ください。たくさんあればあるほど上質な住居が出来上がりますので、引き取りに伺います!)

 

 

作業の始まりから終わりまで、本当にきれいな光が農園をずっと包んでいた。

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7月29日

フォトグラファーのちーちゃんこと、Chiaki Toyozumiにお誘いをいただく。

 

イベントなんかで会うのはよくあるけれど、 2人きりでゆっくり会うのは1年ぶりくらい。

 

横浜市保土ヶ谷区にある café55 まで車を走らせる。

愛想笑いのできない店主さん。

だけど料理には(だからこそ料理には) 愛だけが詰まってる。そんな凄いお店。

 

サラダからパスタからデザートまで。

たのしみながら、話しながら過ごす3時間はあっという間に過ぎた。

 

ちいちゃんの凄さは、圧倒的な肯定力。

その人の持ってるよいところを、みんなみんな引き出して、曇りのない言葉でみーんな表してしまう。

だから、話していると、赤面したり、このまま前を向いていようと思えたり。

 

きれいごとじゃなく、本気で人の幸せを願うことができる。

こういう人間が、ちゃんと世界にはいるんだな。

ほんとうに世界は、全然捨てたもんじゃないな。

そう思わせてくれるちいちゃんの存在に感謝だ。

 

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photo by Chiaki Toyozumi 

 

 

 

 7月30日

うさとジャパン・ミーティング@京都

 

朝、始発の次、くらいの電車に乗って、新幹線に飛び乗って弾丸京都へ。

 

噂通りの大変な猛暑。

だけどなんだろう、東京のような嫌な暑さではなかった。

碁盤の目の道路のおかげなのだろうか、美しい町並みを歩いていると、いつも新しい風が通る。東京のビル風とは全然違う質の、爽やかな夏そのものの風。

 

 

ミーティングでは、全国から100人近く、うさとのコーディネーターをしている人たちが集う。活動報告や、業務成績のようなものを発表してもらう。

 

かつて企業で働いていたことがある。

だから、久しぶりの企業でのミーティングだ。

だけど普通の企業と全然違う。

無理のない自然な笑顔と、「本当によいものだけを、ほんとうの心地よさを、1つでも多く、そして丁寧に、たくさんのひとへ」と。

まっすぐな信念と愛を持って集っている人たち。

 

こういう企業が増えたらいいなとおもう。「好き」が一番先で動いてる活動は、企業でも企画でもイベントでも団体でもなんでも、どんなものでも最強。

大好きなうさとのお洋服を、お客さん一人一人に手渡していくお仕事。ぴったりの出逢いを見つけるお仕事。これまで以上に丁寧に、そして前のめりに、手伝っていけたらなと思った。

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 8月1日

ツダユキコライブ&ワークショップ

『チャクラを整える倍音の調べと星の唄』

 

音叉を使ったヒーリング。

倍音声明。7つあるチャクラの一つ一つから順番に音を出して、自らの声で自らを整えるヒーリング。

その二つを教わった。

 

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そしてライブでは、これまで何度も自分を、自分の真ん中に引き戻してきてくれた唄たちを、ユキコさんが魂こめて唄う。

 

 

イベントが終わり、ラムピリカを整えてから帰宅。自宅でシャワーを浴びていたら突然咳き込み、喉の奥から、妙な塊が飛び出した。

ため込んでいたものが、全部出たのかなと思った。とてもすっきりとして眠りについた。

 

 

そして次の日の朝、久しぶりに自分の唄を録音した。

その後すぐに聴いてみたら、私史上、最高の録音になっていたことに気がついた。

少しだけ恐れながらも、近いうちに公開してみたいと思った。

 

 

作ったり、遊んだり、触れたり、走ったり、交わったり。

日々、たくさんの動きの中で、いつの間にかぶれてしまった自分を、真ん中に戻す方法は、どうやら世界にたくさんある。

神様は自分だと、思い出させてくれる方法は、どうやら世界にたくさんある。

その中でも特に、私は唄を唄うことと、身体を動かすこと。

それが大好きなんだなと。

本当にありがたいことだなと、そう感じる日々だ。

 

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そして明日は、喫茶ラムピリカ開店日。

 

最初は自分を喜ばせるために作ったメニュー。

それを1口食べたお客さんが、顔を輝かせて、感嘆の音色ので、美味しい!って言ってくれる瞬間が最高に好きだ。

 

 

こうやって書き連ねてみると、本当に活動が多い。楽しいからできちゃうけど、身体は案外疲れているかもしれない。来週は、しっかり時間とって、どっぷり休んで、温泉にでも行きたいな。

 

トリハダセンサー

いつからこんな自分になったのかはもう思い出せないのだけど、なぜか唐突に、理由もわからないまま、全身に鳥肌が立つという瞬間が、日常の中で私には、結構ある。

 

というか、多くの人に普通に、結構あるのではないかなとみてる。

 

目に見えないなにか、言葉で表しきれないなにか、を感じとる力。

 

 

 

 

鳥肌が立った時、わたしが最初に確認するのは気温。

「寒いから」という理由で鳥肌がたったのではないのかをまずは確認する。

 

「寒いから」じゃないとわかると、原因をはっきりと断定することも言語化することもできないけど、ああとにかく私は強烈に「なにか」を感じたんだな。

 

ということにしている。

 

 

 

トリハダセンサーが起動するのは、こんな場面。

 

・その時一緒にいる人と、考えや行動や最近の出来事なんかが、ぴったりとシンクロしていた時

・核心に触れたのかなという発言をしたとき&聞いたとき

・暗闇や、何もない誰もいない空間に、何かの気配を感じた時

・古い建造物や博物館を訪れたとき

・誰かの心霊現象や超常現象の話を聞いたとき

(これは、鳥肌が立つときと立たない時が半々)

・「あ、これは、くる!」って企画を立案したとき

(お父さんバンクを思いついたときは、奥飛騨の山奥で、鳥肌が止まらなくなった)

 

などなど。

 

 

先日行った縄文展

数日後から、縄文時代の竪穴式住居づくりに取り組み始めることもあって、ワクワクが溢れ出た。

だけど、同じくらい、「ゾクゾク」も出ていた。

展示会会場の気温も確認したけど、冷房のせいじゃなかった。

トリハダセンサーが見事に立っていた。

特に、重要文化財「硬玉製大珠」の翡翠の透きとおった碧をじっと見ていたとき、鳥肌と一緒に泣きたくなるような感情まで溢れ出てきて、なんだかなあと思った。

 

 

 

所謂「霊感」があるわけじゃないと思う。

いつも大体ぼんやりしてるし、何かが突出して鋭いというわけでも無いと思う。

 

ただ。

自分の今生きている世界に、唐突に、何の前触れもなく、制御のしようのない体感が、ある日突然訪れる。

 

こういう体験をするとき。

こういう話をするとき。

ちょっと楽しい。

 

スピリチュアルな分野の勉強を全然したことがないし、したいともさほど思わない。

スピリチュアルに傾倒しすぎている人の話を聞くのが苦手だったりもする。

 

 

ただ、モノやヒトを通して生まれる、目に見えない世界(?)のストーリーに、ワクワクする。想像力が掻き立てられる。

 

「目に見えない何か」を感じ取るセンサーが働いているのか、それとも、私の思い込みや想像力が働きすぎてるのか。

どちらが先なのかはもはやよくわからないけど。

 

そして、ちょっと変かもしれないけど、「目に見えない存在」のことを考えるとき、私は怖さよりも先に、なぜか「深い安心感のようなものが自分の中に生まれる」ことが圧倒的に多い。

 

 

 

 

今日も世界は不思議な場所。

 

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超えられなかった壁

 
 
 最高にわたくしごとですが、ひとりで遊びに出かけるのが好きです。ひとりで過ごす時間が大好きです。
 
ひとりカフェ、ひとり居酒屋、ひとり蕎麦屋などなど、慣れたもの。
 
でも、それでも、長年超えられない壁がありました。それは、
 
「ひとりバッティングセンター」
 
実は、学生の頃から大好きで。
でも一緒に行こうと人を誘えなくて。
 
で先週の、ある夜。猛烈に行きたくなってしまって。
 
でも、身体動かすの大好き相方くんは、仕事で不在(な上に球技嫌いと言ってた気がする)
 
バッティングセンター行こうよ!なんて気軽に誘える友達も考えれば考えるほどいなくて(涙)
 
でもうずうずが止まらず。
 
⚾️カキーーーーーーン!!!!
💥キィィン!!!!
 
あの爽快で痛快な音に全身揺さぶられたくって。
 
 
ついに超えられない壁を超えてしまった。
 
 
平塚にあるその現場に、ひとり降り立ち、バットを選び、素振りをして、ヘルメットを被り、打席に立つ。
 
人にジロジロ見られたりするのかなあ…
と思ってたら
 
案の定人にジロジロ見られすぎた上に…
 
娘の担任の先生に遭ったよね😭
 
でも後悔なんてしないよ。
みんな私のスリーベースヒット見てくれた?
立場とか性別とかのいろいろを超えて、自分の欲を叶えてあげた私を、褒めてあげたい。
 
\( ・ω・`\)わっしょい(´/・ω・)/
 
(一緒にバッティングセンター行ってくれる人募集です)