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On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

儚さ

危うさ

幻のような

 

もろさ

鮮明

あまりにもクリアな

 

一人きりの部屋で

最後までは一人になれない

世界には言葉があるから

私には記憶があるから

 

たゆたい

迷い

離れたりもする

 

時に強く

あまりにも熱く

輝きだす

 

降りてくる言葉が心を通り

文字に示され浄化する

 

どうかわたしを信用しないで

何も約束できない

ただこの瞬間だけは

確かに体温がある

鼓動がある

衝動がある

 

そんなのを

ほんとの優しさ

と呼んでみたい

 

夢?幻?

この世界は

あまりにもわからなくて

とらえどころなくて

それでいてどこまでもまばゆい

なくしたわけじゃなかった、ずっとここにあった

千葉県船橋市の実家にきている。

小学校2年生から6年生まで、あとは大学生時代に暮らしていた家だ。

 

久しぶりに来てゆっくりと過ごしていて、この家のあまりの居心地のよさに静かに体感の全部を任せている。

 

大きな窓がたくさんあるこの家。

家の前面は、とても背の高い竹がたくさん生い茂った小高く小さな山のようになっていて、そこを吹き抜けてきた風が開かれた窓からいつまでもいつまでも入りこみつづける。葉擦れの音、鳥の鳴く声、柔らかい陽射しが家の奥にまで届きつづけている。

 

壁の色、床の色、ドアの色、外壁や風呂のタイル、カーテンの色…どれも落ち着いた色合いで、主張はないながらも上品だ。小さな庭で、花と草と洗濯物が揺れる。

 

こんなに居心地のいい家で、私は育ったんだ。知らなかった。

 

この家に戻ってきてゆっくり過ごすなんてこと、もうほとんど、何年もしていなかったものだから。

 

子どもの頃、大学生の頃。天気のいい日に縁側に座って、膝の上に大好きだったわんこを乗せて、梳き櫛で金色銀色の美しい毛並みを漉いてやるのがほんとうに好きだった。わんこもきっとその時間が好きだったんだと思う。櫛を手に持ってわんこの顔を見てニッとするだけで、尻尾が落っこちそうなくらいに振って嬉しそうな顔を弾けさせる。私の顔と櫛とを見比べながら縁側に向かってまっすぐに走っていく。そんな日々を思い出す。

 

時々、父親が夜中にお酒を飲んで暴れることがあった。そんなときには母と姉妹と一緒に家の外に逃げた。車に乗って母の実家に行くこともあれば、なにかを持ち出す余裕もなくて裸足のまま星空の下を延々と歩いたこともあった。

そんな思い出なんかもあるものだから、どこかで、この家に張り付いているイメージを変えようとしてこなかった気がする。

悲しい想いをしていたのかもしれないけど、いまはその頃の気持ちはまるで何も思い出せなくて、ただ妹と手を繋いで夜空を見ていたら生まれて初めての流れ星を見て喜んだことを思い出す。

記憶を美化をするつもりも悲観的なものにするつもりもなくて、ただ大人になったいま思うことは、色んなことがあったけど、私はこの家の心地よさをちゃんと享受しながら育ったんだなということ。

 

そして単純に、こんなに素晴らしい家を残してくれた父に今では感謝の気持ちが湧いている。

お酒を飲んで暴れるにも、なにか理由があったんだろうと思う。大変な想いをして、ストレスやプレッシャーを抱えて、家族のためにと働いてきたのかもしれない。

 

母にも感謝の気持ちがやまない。こんなに居心地のいい家に整えてくれていたこと。父が殆ど不在、もしくは帰って来ても不安を生むような言動ばかりするなかで、この家で私たち姉妹を育ててくれていたこと。そして、今では私の友人にまで家を解放してくれていること。

 

 

 

--------

 

私は、私の過去がずっと嫌いだったんだなと思う。生い立ちも、失敗も、見誤ったことも、ひとを傷つけたことも、ひとの言動から傷ついたことも、全部全部合わせて、私の一部をつくった大事な時間だった。学びを与えてくれる日々だった。何一つ嫌わなくていい。何一つ間違いはなかったんだよ。いまはそう言いたい。

自分の過去も過ちも何もかもを含めて認められて、表面的な態度じゃなくて、ほんとうに受け入れた時からはじめて、私はもっと「今」を愛せるようになる。そんな気がした。

神様はいるって信じる?

答えはいつもシンプルで、わたしの望みは至極平凡で、日常の中にいくらでも輝きを見つけることができるのは多分私の特技で、だけどそんなものの全部を受け入れることができないまま日々を過ごした。

 

日常は限りなくシンプルに、優しくて美しい。

 

複雑に複雑に、こねくり回して、こうあるべきとかあああるべきとか、足りない足りないと言ってみたり。だけどやっぱり答えはいつもシンプルだった。すくなくとも、私の中では。

 

「新しい世界に行ったんだ、もう振り返らないで。」

神様にそう言われた気がした。

たとえいつか失う日が来るとわかっていても。

 

「新しい世界であなたにはやることがあるんだ、どうかいまの命を思い切り生きて。」

 

神様にそう言われた気がした。

神様がいるって、信じてるわけじゃないけど、でもそんな気がしたんだ。

もしかしたら、私の中の、私だけの神様が。

  

 

真っ暗闇。星だけが照らす。風の音もしない。

道路の凹凸がまるで直されていないままの通学路。

私をまっすぐに信じるあなたと、あなたをまっすぐに信じる私と、いつまでも話をしながら歩く。

 

 

「概念を壊す。それが新しい世界を作る。想いがあるからやる。それを教えてくれたのは千秋ちゃんだった。」

 

「概念を壊すなんて息巻かなくたって、世界の真実みたいな幸せが確かに存在していたよ。あなたとの暮らしの中。」

 

 

 

お花に水を

愛するということ、それは、花に水をやること。

なんの見返りも求めずに、ただ花の命の輝きを願って、水をやること。

  

 

 

ずきんずきんと胸が痛むのは、愛された日々が確かにあったから。

注がれていた水に素直に「ありがとう」と言えなかったから。

ずきんずきんと胸が痛むのは、愛し方が下手で、届かなかったのかもしれない、わかってもらえなかったのかもしれないという悲しみがここにあるから。

 

でも確かに愛はあったんだ。

いつもそこにあった。ただ在り続けてくれた。

だから大丈夫。

見誤ることがあるだけ。全部大丈夫。

今日も生命は続いていく。

見失う、見定める、見失う、見定める、いつもわからない、だけど歩く

‪だめなときはひたすらに死んでる。好きなだけ死んでる。黙って死んでる。(死んでる、とか言うとちょっと重たい感じがしますが、単純に「元気が出ない」ときのことを指します。)

 

この「死にきる」時間の大切さと、死ぬことを自分に許しつづけることの難しさよーー  死の淵から(とか言うと大げさですが)生還すると、いつも痛感する。

 

死にたいと思ったときは、布団に入るのがいいと思う。寝れるなら寝たらいいと思う。寝れないなら好きな漫画読んだらいいと思う。それでダメなら、苦しいなあってことをよく感じていたらいいと思う。もう嫌になるまで。自分を奮い立たせて「外を歩く」ってこともありだと思う。でもそれも、「奮い立たせている」うちは、やっぱりしんどいかもしれない。

奮い立たせるのが得意な人は、奮い立たせ続けるのもいいと思う。人にどんどん会うのもいいと思う。旅に出るのもいいかもしれない。新しい世界にどんどん出会いにいくのもいいかもしれない。

 

でも、うまくできないなって人は、うまくできないなって時は、可能な限り自分が何もしないで済むような環境、好きなだけ安心して泣いたり苦しんだりできる環境を自分のために用意してあげることだと思う。

自分で自分に優しくするにも、方法は色々ある。

 

 

世界に「答え」のようなものは既にたくさん用意されている。

 

愛されたいなら、まず自分から愛すること。

ありのままの自分を認めること。

嫌われてもいいから、自分を貫くこと。

自分のありのままを生きること。

考えるより先に、動き出すこと。

などなどなど

 

わかったよ。ほんとうによくわかった、って何回も思う。

でも、それでもどうしても動き出せないときというものが、ある。

無理して動き出さなきゃいけないくらいなら、いっそのこと死なせてくださいと言いたくなるときがある。

 

 

「もうダメだ今度こそ本当に死ぬ」

これまで何度思ったことかわからない。

正直にいうと、何度実行に移そうとしてみたことかわからない。でもその行為をシミュレーションすると、いつも大体満足する。

もしくはギリギリのところで、やる気がなくなる。死ぬのもめんどくさくなる。

でもそこまでやってみると、だんだん清々しくなってくるもので、もうちょっと死んでよっと(布団で)、という気持ちになる。

こうやって振り返ってみると、「なんかバカみたいだなあ」と思うけど、その只中にいるときはそうするより仕方ない。

 

でも多分、どれもこれも、ある種の毒出しなんだと思う。もしくは、死をもって「ほんとうは生きたい」ことを何度も確認する作業。なのかもしれない。

年々この身体は身軽になっていくので、「死んだ!」を重ねるたびに毒が出てってるんでしょう。ということにしとかないと、ただの死に損だから、そういうことにしておきたい。

 

 

私の動物占いは猿。

本質的には、深刻な空気は超苦手ということらしい。長年の癖で若干の深刻癖はあるものの、実際本当に深刻なのは苦手だなと思う。

場が深刻になるくらいだったら、作り笑いでも何でもして空気を緩めたくなるような性分がある。「死にたい」が出てきてしまう時も、もう言葉で言い表せないほど、本当に辛いんだけど、でももともと辛いのも痛いのも大嫌いだから、何とかして自分を楽にさせようとしたくなる。寝たり、誤魔化したり、でも全然だめなら最短距離で苦しみが出ていくよう、一人きりになって感情を出し尽くす。

 

 

ある程度一人で苦しんで、もう無理だ限界値超えたー!(すぐ超える)と思ったときには友達に電話するようにしている。

このときの人選は超重要で、一言で言うなら楽観的かつ「死に癖のある人」がいい。

死んでる、と言ったときに、心配してくれる人はすごく優しい人だと思う。だけどそういうときに多分わたしが欲しいのは「死なないで」とか「どうしたの?何かできることある? 」とか、そういうのじゃなくて、自分の現状を「ポップにソフトに」需要してもらうことだと考えている。

 

「死んじゃう時あるよねー」

「私も時々死ぬわ」

「昨日までおれも死んでたよ」

 

とか言われた方が、ほっとする。

 

「好きなだけ死んどきな」

「泣くの大事!泣いとけ?」

 

なんて言われると、首を大きく縦に振ってコクコク頷いてしまう。

 


なんのまとまりもないけれど、最後に最近はまってる動画を紹介して終わります。

見た回数分元気が出てくるという謎の動画。 

(死んでる時はこういうのの存在思い出せなかったりする)

 https://youtu.be/bMftWj-e2T4

死んでるなかでも、思わずふっ、と笑いがこみ上げてくる。そんな瞬間がある。

苦しみを散々経て、その先で「よし、笑おう!」という一つの答えを見出した人は素敵だ。「よし、笑おう!」と行動を始められることはほんとうに素敵だ。大人になるって、こういうのができるようになることなのかもなって思う。

 

 

人の愛し方について

自分のことを愛していない人が他人のことも愛せるわけない

 

とか、

 

人間は 1人で立っていられるようになって初めてほんとうに人を愛することができる

 

とか、

 

執着や依存を捨てて初めて本当の意味で人を愛することができる

 

とかとか、

 

よく聞く言葉だけど、本当にそうなのかなぁと時々思う。

 

そんなに完璧に、美しく人を愛せたらいいなとは思うけど、実際にはなかなか大変。

 

 

私は自己肯定感が結構低い人間だと思う。これは素直に認めていい気がしてる。肯定感ってやつとはもう長年格闘を続けてきたから。

何度も何度も自分は自分でいいよ、って自分で一生懸命言ったり人に言い続けてもらわないと、奈落の底に落ちる速度は超早い。

 

自分のこと好きだなって思える瞬間はたくさんあるけれど、嫌いだって思ってしまう瞬間もたくさんある。

 

でも、それでも人を愛せていると思う。自分を愛せていると思う。 冒頭に書いたようなことが叶っていなくても。

 

ただ、あまりかっこいい愛し方では無いかもしれないなと思うときはある。執着とか恐れとか、捨てたいと思っていても、ひょこひょこと顔を出してしまったりする。多分、そんな時に深刻にならずに、「ただいま執着が顔を出しております!!!」とか「恐怖!恐怖のただなかなうでございます!!」明るく言えたら、ふっと力が抜けるのかもしれないな。

 

大好きな人とお別れをしてからもうすぐ1ヵ月になる。傷癒えるの早いなぁー楽勝やんとか思ってたら、今日、ふとした時に傷口が開いて、新しいタイプの痛みが自分からおえおえ出てきたものだから、今振り返ってみても「何だったんだありゃー!」ってくらい。すごく驚いている。

 

執着なんて余裕余裕、新しい未来へゴー!

とか思ってたのになぁ。おっかしいなぁ。

 

全然執着あるなぁと思った。大好きな人に、もし新しい恋人できたらとか考えると、祝福したいって思うのと同時に、わー全然だめやん無理無理無理!そんな話見たくも聞きたくもなーーーい!!!😱😱😱

ってなる自信全然ある。笑

 

思い出のひとつひとつが、贈られた言葉のひとつひとつが、珠玉すぎるんだよね…失った時の痛さといったらない。想像を絶してください。

 

でもおかげで、とんでもない人生に発展したなって思う。お陰様のますかけライフ、もともと「平凡」からはそこそこ離れたところにいた気がするけど、彼とのお付き合いを通してさらなる幸せレベルの底上げがなされてしまったんだと思う。人生にクリエイティビティ、この先目えええ一杯活かしていくしかないよねこりゃ!じゃないと生存できんしょ!って感じだ。

 

わーー!!こえええええ!!いばや…!(?)

 

 

 

タイトルから少しずれちゃった。

人の愛し方についてね。

 

自分でタイトル書いといてなんですが。

 

知るかって感じ。

 

愛し方なんて100人いたら100通り。「これが正解」なんて絶対存在しない。全員ちゃんと、愛せてる。

 

で、自信持っていい。私は愛を持っている。

下手でもなんでも、自分のことも人のことも愛してる。愛せてない時も含めて、どうせ全部愛してるんだから、ということで考えるだけ野暮です。

 

ただね、もうちょっとかっこよく愛したいなとは思う。これまで深く関わってきた人たちの顔を一人一人思い出してみると、それぞれみんなとっても素敵な愛し方してきてくれたなって思う。その愛し方。丸パクリしていい気がする。どうやって人を愛したらいいのかわからない!って思ったときには、素敵に愛された記憶を手繰ろう。

 

 

全然何にもまとまってないけれど、とにかくここまで思いつくがままに書いてみたらモヤモヤした執着心とか、悲しみとか、一旦スッキリしてしまった。爽快なり!すばらしい!

 

ちなみに1回も書き直してないよ今回! 30分位でかけた!よっしゃー!(*≧∀≦*)

 

やー、いい文章書けたな!自己大大満足!!!

 

私の一人遊びに奇跡的にお付き合いいただきました方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます!

 

おわり!

記憶のこと

ここのところ、身の回りの様々なものが入れ替わりを見せている。

 

先日喫茶店の換気扇設備が突然壊れ、総入れ替えとなった。店内の畳の張り替えも今週から来週にかけて決まった。なんと屋根の張り替えも決まったらしい。
喫茶店前の鉢植えは、園芸好きの隣人によってどんどん美しい花々へと、季節の花々へと入れ替えが進んでいる。最近古い服をまた大量に捨てた。アナログ感が好きだったLPレコードも、プレイヤーごと処分を決めた。


壁の色を塗り変えたい。玄関の色も塗り替えたい。
このまま進むと、喫茶店の雰囲気はガラリとリニューアルされそう。

 

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今日、唐突に娘に
「 『昨日のことのように思い出せること』って、ママは何かある?」
と、聞かれて、うーんとしばらく考えて、
「昨日のことかなぁ…」
と答えたら笑われた。だって本当に「昨日のことだな」と思ったんだもの…

 

「普通だとさぁ、『あなたが生まれた日が昨日のことのように思い出されるわ』とかいう風に使われるもんなんだよ」


と突っ込まれ、なるほどと答えたら


「まぁ、今を思いっきり生きてるってことなんでしょうなぁ」 


と笑いながらつけ加えられる。

 

娘よ、君はずいぶんかっこいいこと言うねぇ。
そして普通じゃなくてごめんなさいね。(?)
(そんなに早熟?なこと言えるようになったのも「普通」じゃない私の近くで育ったおかげだね、ということにしていただき(?)ご勘弁を!)

 

「昨日のことのように思い出される」って、よく使われる言葉だけど、随分使い古された表現のような気がする。

どんなに印象深い出来事だったとしても、本当に「昨日のことのように思える出来事」なんて、あるのかな。どんなに鮮明に覚えていることでも、昔のことは昔のことじゃないのかな。私の記憶力が良くないからそんな風に思うのかな。

 

 

そんなことを考えていた矢先に、面白い出来事が起こる。

 

タイに住む友人の何かの投稿で、マンゴーがシーズンを迎えたというものを読んだ。それを目にしたとき、何故かつきりと胸が動いた。次の瞬間、去年の6月後半、タイのパーイに滞在していた頃、現地で出会った人が話していた「もう少しでマンゴーのシーズンが終わるよ。」という台詞と、そのときのパーイの空気が、私の中で一瞬で蘇った。

熱帯のこもった空気。大きな風。強い日射し。湿った土気と渇いたアスファルト。思い出の数々。すべてが急速に動き始めてうねりをはじめて、嘘みたいに虹を見続けた日々の始まり。そのときの高揚感まで。

 

マンゴーの季節がいつかなんてことはもうとっくに忘れていたし、パーイの写真を見てもこんなにも鮮明に、そのときの空気感までも思い出すようなことはなかった。

一体何がどう私の体に刻まれていて、記憶の引き金を引くのか。人間の脳?身体?はほんとうに不思議で面白い。「昨日のように」どころじゃなく、「いま」に蘇る記憶なんてものもあるんだなと思った。

でもこんな記憶もいつかは、生きていく中でリニューアルされていくのかな…と考えて、いやきっと、全然違うと思った。

リニューアルされていくんじゃなくて、色んな色のフィルムが私の中に増えていくんだと思う。これからも。

フィルターを重ねていくみたいにして、少しずつ増えて、(増えなくてもいい、珠玉のものが、ほんの数枚でもいいのかもしれない)人生全体を見たときの彩りや輝きや深みが増していくんだろうな。そうだといいな。

 

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ここ3日ほど散々眠ったから、なのかどうだか、ようやく動き出したい気持ちが湧いてきた。本当によく眠った。ありがたい位に眠れた。さあまた始めようと思う。外に出てみようと思う。見たい未来に向かって、歩こう。