On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

ご機嫌なまま、放つ!

タイトルと関係ないけど、最近の私の大きな変化は、1日に1回は汗をかくくらいの運動をするようになったこと。

運動して汗をかいて身体の巡りをよくしておくと、自然とご機嫌でいられることが多くなって、それが嬉しくて。

 

 

以前は自分の体力のなさすぎ具合に「1km 走ったら絶対死ぬ」と思い込んでいた。

だけど、最近身体をよく使っているうちに、ある一つのコツを掴んだ。

そのコツとは…。

 

踊る時、いい感じの動きができているなと感じる時がある。

身体が軽い。風になったみたいだ。そして疲れを知らずに動くことができる。

そういう時は、手先足先の力に頼って動いている時ではなくて、「骨盤を中心に動けている時」だと気づいた。

むしろ「骨盤だけを動かしていて、その動きに手足が勝手についてくる」そんなイメージ。これが、最近掴んだ「コツ」というやつ。走るときも然り。

 

1kmで死ぬと思っていた私は、最近、夜寝る前に時々自宅から海まで往復3km以上走ってる。それも、骨盤で動こうとするとなぜか自然と結構なスピードが出てしまう。だけど疲れない。すごい。この大発見はやばい。

 

「歩くとき、足の力で歩こうとしないで、骨盤で歩くといいよ」

とヒントを教えてくれたヒーリングサロン・ひだまりの関根さん。

 

「人間の中心は肚(骨盤)です。全部、肚(骨盤)で動かすんです。」

と教えてくれた現在の家族・山伏さん。(ブラジリアン柔術の達人)

 

いい先生たちに恵まれました。ありがとう。千秋、ちょっとずつわかってきたかも。

 

---

 

 

さて、最近私がやろうと思っていることがある。

それは、自分の持ってるものーーーその中でもよいと思えるものを、どんどんリリースしていこうということだ。

 

これはなんどもこれまで試してきたことでもある。

なんども試してきたからこそ、それなりにあれこれ失敗もして、学習もしてきたんだと思う。

今回のリリースの ポインツ!と思っていることは、これ。

 

「削ぐことなく。満ちたところから、放つ。」

 

 

自分で自分を守ることができていない時って、自分を最優先で愛そうとできてない時って、なんかいつの間にか削いじゃう。

無意識のままに「くれくれ」してる人に負けてしまったりする。

気づいたら疲れて、ぐったりしている。

それでいて私自身が被害者ヅラしてしまうという最高にかっこ悪い事態。

削がれることを回避しないでいる、自分の責任なのにね。

 

 

 

じゃ、自分に対する肯定感が満ちている時ってどういう時?かというと。

 

多分、

 

「自分のために充分なエネルギーや愛を注げてる時」

 

なのかなって思う。

 

ああ、うん。この一言に尽きるわ。

 

 

最近の私は結構なエネルギー量を自分に注げているように思う。

(喫茶店の他に自宅ができて、守護神みたいな強いパートナーができて、安心感の中に暮らせているからなんだと思う。ありがとう。)

 

その中で、気づいたことがある。

 

・私が生存するには結構なコストがかかる。

定期的に南の島に飛んだり、不定期に休んだり働いたりとできていないと、もしくはやりたくないことにまみれたりすると簡単に死ぬ。

(自分を自由に心地よく生きさせてあげる分のお金をちゃんと稼ごう。)

 

 

・自分がご機嫌な時に、それでいてこだわりを貫いてあれこれ作ってきた結果、結構クオリティの高いものがいつの間にか出来上がってた。

(これらは遠慮なくリリースしよう。だっていいものが世界に増えたら、それだけで未来がグッドなものになりそうじゃない?)

 

『有機全粒粉のふわしゅわパンケーキ』有機豆乳ホイップのせ、なんてものを作ってしまいました。豆乳でつくったホイップクリームに絞ったレモン🍋を加えて、さっぱりとした口当たりのクリーム。パンケーキと合いすぎて。ほっぺた落ちました😋💖 有機全粒粉、有機薄力粉をブレンドして焼き上げ、そこに有機メープルシロップをかけていただく贅沢なパンケーキ。ナイフをさすと、中からとろーりクリームチーズ。こんがりパンケーキの焼けるいいにおい。ふわしゅわ食感と、スキレットからじゅわーの楽しい音。五感の全部で楽しめます😋💖 かつては自分の満足を追求して作ったのですが、自分で言うのもなんですが、いいもの作ったなあ…と思う。せっかくいいものができて、ファンの方も増えてきて、このレシピは隠し持っておかないほうがいい気がしてきた。公にリリースしてみようかなと、最近考え始めてる。いいものを、独占する時代はきっともう終わり。いいものは、広まったほうがいいよ。みんなでシェアしたほうがいいよ。そのぶん、世界が未来が、きっと豊かになるから。

 

・圧倒的に一人の時間を必要としている。(これは変わらず)

 

・それでいて、私はたくさんの人に会ってるほうが元気。(これも変わらず)

 

 

 

 

自分にコストをかけて、一人黙々こだわりを貫いて、それでいて人にたくさん会う。

そうすると私は元気でご機嫌でいられる。

私がいい状態でいれば、私の周りに集まってくる人のことも、きっといつの間にか元気にすることができる!

 

 

ということで、書きながらまとまったけど、私は私をご機嫌なまま生存させてあげて、そのことで世界に起こせるだろうグッドなバイブレーションの力を信じたいと思います。

 

 

このまま、進みます!

 

読んでくれた人、さんきゅー!!!

 

 

https://www.instagram.com/p/BgS-DeYlzER/

「この前来たとき、カレーがすごく美味しかったから。お礼です。」 まだ名前も知らない、だけど、「なんか、この人、すきー!😆💖」がすでに発動しているお客さまからいただきました。 嬉しい!春!!!✨🌷✨😆(嬉しすぎてちょっとあほづらっぽいけどでももうそれでも!!)

 

 

身を開く

最近の私の関心ごと。それは身体のこと。

 

持って生まれた身体感覚。

誰しもが生まれた時は、持っている身体感覚の100%が生きていたと思う。

ただ、その感覚を言語化する術がないので、そのために「赤ん坊は何もわからない、無垢だ」といったようによく語られるけど。私はそれは大きな間違いだと思っている。

 

喫茶店やイベントで出会う小さな人たちを見ていると、よく感じる。

ほんとうに、赤ちゃんほど、全てをわかっている人はいない。

空気を読み、空気の移り変わりを読み、人から出ているエネルギーを読み、そして自分を知り、そして愛をただただ享受することが自分の仕事だと知っている。

 

 

 

持って生まれた身体感覚。成長していく中で、その感覚は、自分の身を守るため、または自分を社会に適合させるために少しずつ少しずつ、眠らされていくように思う。

 

大人になった今、持って生まれた感覚のどれくらいが顕在しているんだろうと思う。

 

 

 

大人になりたくない、歳をとりたくないとかつては思っていた。

それは、「感覚や能力は失われていくもの」だという一つの概念にとらわれていたから。

 

だけどその考えは年々改まっている。

今はこう考える。

「大人になるまでに閉ざされた感覚は、もう一度、開くことができる。

 または、年齢や体験を重ねることでしか開かない感覚もある。」

 

 

そう思うから私は、最近では自分の持っている感覚を可能な限り引き出してみたくて、その興味好奇心が起爆剤になって新しい体験を求め行動している。

 

 

 

 

先月から糖質制限をはじめた。あんなに大好きだったアイスクリームやチョコレート。

全くと言っていいほど食べない日々が続いている。

 

 思考や感覚が以前よりもクリアになった気がしている。

というか、以前は明らかに、食べた後の頭や身体の重たくなる感じにやられていた。

にも関わらず、ちょっと依存的なくらい、何かとちょこちょこつまむという生活を送っていた。

 

 

 

糖質制限を始めてから2週間ほどたった日。

大好きなミュージシャンのライブ。楽しいはずだったその場で、自分の鼓膜の振動が微細に感じ取られすぎて、ちょっとだけ気持ち悪くなってしまうという体験があった。

 

週末、イベントではじめてタイ料理を大量に作り続けた。

レシピだけは簡単に確認しておいたものの、盛り付けや調理手順など、無計画のNO練習で本番に望んだにも関わらず、訪れた人たちからは大絶賛の言葉を受けた。

「その辺のタイ料理屋よりもずっと美味しい」

「こんな裏技持ってたなんて。定期開催してほしい。」

 

自分でも、試食してみて思った。美味しい。

たくさんのタイ料理屋を巡ってきたし、何よりタイ育ちだ。自分の作るタイ料理の美味しさに、「本場感」に驚いた。

直感ばかりを頼りに作ったわりには上等だった。

いや、直感ばかりを頼りに作ったから、きっと美味しくなったんだ。

 

 

 

 

もしかしたら、なんだけど。

お砂糖とかお酒とか大音量の音楽とか。

色んなもので脳や身体の感覚をごまかしていないと、この社会で生きるのは辛いことになってしまうのかもしれない。

そしてずっとその流れに乗って生きていた私は、当然のように最近まで、その流れに乗り続けて生きてきたけれど。

自分の生きる環境を「自分にとって最適!」に整えてあげられてさえいれば、自分の体の感覚を鈍らせるようなことをしなくても本当はこと足りるのかもしれない。

 

 

あとは、誤魔化さなくても、鈍らせなくても、子どもの頃みたいにむき出しの感性でも。いや、剥き出しの感性だからこそ。誰もが世界に対する温かみを、信頼を、楽しさを、存分に感じられるような世界になったらいいなと思う。

そんな世界を増やしていくために、私ができることはなんだろう。

…と、つい大きなことを考えるのだけど。

 

私がまずは勝手に心地よくいることかなと考える。 怖れに捕まることもあるけれど都度眺めて、そして手放して、身を開き続けていることかなと思う。

 

自然と身を開いている私のつくる場所に集う人たちはきっと、自然と身を開いているのが好きな人たちだろう。

その人たちと一緒にいれば、心地よさや楽しさや温かみは、これからもきっと、勝手に増幅するのだろう。

 

---

 

 

パートナーができて数ヶ月が過ぎた。

楽しいことがこれまでの10倍くらい増えたのに対して、嫌なこと、見たくなかった自分に出会う確率も3倍くらい増えた。

 

自分の奥底で眠っていた自分、蓋をしていた自分の本音に出会えると、その場の波風は立ちやすいし、自分のことが信じられないなんて気持ちなることもある。

そんなことは確かにあるけれど、結果的にはまた一つ自分を知って、否定することもなく「ああそうなんだね」と認めてあげるだけで、また一つ身軽になっていく。

その繰り返しで、一つ一つ丁寧に、自分を開いていってあげているんだろう。

 

側でいつも話を聞いてくれる彼。

かっこ悪い私を見せてごめんなさいと泣きながら話したら、「少しもかっこ悪くないよ」と返してくれた。(君の闇はそんな程度かと笑われたりもしたw)

側にいてくれることに感謝。

そのままのあなたでいてくれることを責めてしまう時もあるけど、ほんとうはそのままでいいよと思ってる。幸せでいてほしいと願ってる。

いつも、ありがとう。 

 

 

---

 

身を開いて、蓋をしてしまった自分に出会い続ける。

身を開いて、新しい自分に出会い続ける。

 

 

人類は進化するのか、退化するのか。

どっちだっていい。心地のいい方へただ向かえばいい。

 

ただ、最近の子ども達や、彼らに倣うかのように生きる大人達をみているとーー

しがらみやノスタルジーや古い慣習からどんどん縁のないところに進んでいく人たちをみているとーーー

 

ああきっと進化するんだろうな。

地球は人類は、きっと大丈夫だなと、漠然と思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bf-FUt9hcVa/

「毎月南の島に、海に入りに行こう」奄美大島から戻ってから、そう思うようになった。

 

 

変化だけがこの世界のデフォルト

『自身の内的な成熟のためには「心の平衡を失うこと」を厭(いと)わずに「身を開いて」生きること』

 

https://www.instagram.com/p/BTKYm8chxgh/

Instagram post by 千秋 • Apr 21, 2017 at 9:20pm UTC

 

---

 

 

変化変革の星の下に生まれたのはどうやら間違いがないらしいけれど、それにしたってあいも変わらず、毎日のように目まぐるしく変わり続ける世界に、自分に、周りの人たちに、人間関係に。その速さに驚くばかりだ。

 

「この世界では『変化』だけが唯一のデフォルト」

 

そんな言葉が浮かんだ。

 

 

---

  

昔から、人間は自然物の一つだとよく思う。

そうなると、変化し続けること、流れ続けることが自然なこと。

だけどつい、幸せや安らぎを見つけるとそこに留まろうとする。変化を避けようと、安定しようとする。

それを願うことは自然なことであっても、どうしても、自然の摂理的には「不自然さ」に値するんだろう。安定を求めて生き始めた瞬間から、自然に抗うなとまるで神様がお叱りを下されたかのように、結果的には「安定をひっくり返す出来事」が起こり続ける気がしている。自分を見ていても、周りの人を見ていても、そう感じる。

突然大きな病気や怪我で入院をしたり、大きなトラブルに巻き込まれたりして一度立ち止まるを余儀なくされることがときに人生に訪れるのは、そういうことなんじゃないかなと感じている。

 

 かわりに、そのときその瞬間に生まれる願いに抗うことなく行動していると面白いことがたくさん起こるなと感じている。

その日のタスクをみんな下ろして散歩に出かけたり、今日は空が綺麗だからという理由だけで手ぶらでデートに出かけたり、偶然リビングに集った家族と偶然始まったたわいもない会話を楽しんでいたりすると、世界は信じられないような喜びに満ち溢れた光景を見せてくれたりするから、可笑しくて時々、ひとりふふと笑ってしまう。

 

 

 

 

---

 

誰かの言葉や、目の前で起こる様々な出来事の中に、素晴らしい真理を見いだしたような気持ちになることがある。

だけど、その「一つの真理」にしがみついた途端に身軽さからは遠ざかる。

 

真理はきっとこの世界に無数にある。何ものにも寄り掛か狩ることはない。

自分好みの真理をその時々で選んだり、新しく真理を創造したっていい。

無数の真理を楽しんだらいい。

自分の足でまっすぐ立って、目の前で起こることの全てを面白おかしく眺めていたい。

 

 

 

力を抜いて、とどまることなく、だけど足の裏はしっかりと大地につけて。

  

言葉が遠のく

考えても考えても、言葉を出しても、出し尽くしても、

文章にまとめることができない。

 

そんな日々が続いている。

こんなことは過去に経験がなくて、戸惑っている。

 

https://www.instagram.com/p/Bg52CbBhC0D/

Instagram post by 千秋 • Mar 29, 2018 at 10:29am UTC

 

言葉に救われて生きてきたと思う。

どんなに迷うことがあっても、言葉にすれば、文章に表せば落ち着く。 

 

だけどなぜだろう

最近はそれがうまく働かない。

 

 

 

文章を書く仕事がある。

締め切りが過ぎている。

だというのに、言葉が追いつかない。

 

描きたい、言葉に表したい想いがある。

だけど言葉にすればするほど、なんだか現実と離れるような感覚に陥る。

ふわふわと浮かんだまま戻ってこない言葉を

地上に足をつけたまま眺めているような。

 

全然すっきりしないんだ。

 

 

 

私は、身体感覚が敏感な方だと色々な人から聞く。

これに関しては比較対象が「自分」しかいないから、

ほんとうに敏感かどうかを確かめようがないのだけど、多分そうなんだと思う。

 

それでも、日々の中で出会う身体的不快感、異和感、というものを

無視できていた。

だけどなぜだか、そういったものを最近、いよいよ全然、無視できない。

 

 

これがいいことなのか悪いことなのかとか、考えるより先に

これまでの仕事ーー言葉を使って、文章を書く仕事ができないから

その点においては困った。

 

 

 

だけど、戸惑いこそあれど、焦ってはいない。悲観的でもない。

ただ、ああ、変化するときなんだな。

もっといいバランスを、新しく作り直す。

そういう時に来たんだなと感じている。

 

 

 

 

 

 

もっているはずの感覚を可能な限り引き出してみたら

その時にはどんな私が立っているんだろう。

 

 

 

「もっといい世界をみたい、描きたい、作りたい」

と願っていた2017年から一転して、なぜか今は、

 

 

「もっといい自分を作り出したい、育ててみたい。」

「自分の可能性をもっと引き出してみたい。」

 

そんな欲が、素直にここにある気がしている。

 

 

過去には、これがなかなかできなかったんだな…。

自分の命や可能性を否定することから始まってしまっていた。

そういうエラーをずっと起こして来た。

 

そこから今、いよいよ安心して、抜け出そうとしているんだろう。

だってもう無視できないからなあ。

これを無視してはもう前に進めないよ。

 

 

 

メールの返信が遅いと思う。

SNSなんかはちゃんと見ることができていない。

文章は今も自分のために、毎日のように書いているけれど、

まとまらないから結局公にリリースはできていない。

 

 

「自分の身体」に取り組んでいる。

それが最近の私。

 

身体を動かすと気持ちがいい。

汗を掻くと身体が喜んでいるみたいだ。

身体に心地のよい風を当ててあげる。

身体が喜ぶものを感知して、身体に与えてあげる。

痛みや不快感のある箇所に手を当てる。優しく撫でてあげる。

身体が落ち着くから、深い深い呼吸を繰り返す。

 

  

 

さあさあ。

私は引き続き、どこへ行くのでしょう?

 

 

野生

‪こんなに我が儘(われがまま)になっていいのかな、と思う。‬

 

‪けど、‬

 

‪どんどこ 我が儘(われがまま)になったらいいさ、と思う。‬

 

 

‪小さなことだからと‬
‪嫌われたくないからと‬
‪自分が成長するためだと‬譲ってきた‬


‪たくさんたくさん、‬
‪たくさんのことは、‬

‪私を「いいひと」に仕立て上げてくれたけど‬

‪私の中に燻りを増やした‬

 


‪私の中では 本当は‬
‪私の中だけでは 本当は‬

‪大事な大事な‬

‪一番大事な宝物たちだった‬

 

‪絶対譲っちゃいけない‬
‪絶対手放しちゃいけない‬

‪私の命そのものの姿‬

 野生の姿

 

 

 

 


‪『手放すことが大切です』‬
‪『譲ることが大切です』‬ 

 

そうかもね。‬

‪だけどこれは私の言葉じゃなかった。‬

 

‪手放したくない自分‬
‪譲りたくない自分‬


‪そんな自分がちゃんとここにいて‬

美しいも醜いもない ただ
‪命の炎を燃やしてる

そのこと‪すっかり認めてあげてから はじめて‬
‪私の言葉になりうるんだ

 

 

 

みっともなくなれ

いい子はやめちまえ

嫌われてもいいやと開き直れ

健やかに怒れ

恐れずに壊せ

そして新しく創造するのを止めるな

 

 

自分の選択が 自分の行動が

未来、地球、宇宙、そして何より私が

喜ぶようなことかどうかだけ吟味して

 

あとは野生を信頼して
まっすぐ愛を放て

 

f:id:Naima_c:20180305100024j:image

 

 

---

 

 

 

 

2月最後のイベントを終えて次の日、はじめての奄美大島へ。

 

ずっと行きたかった島の美しい海が汚れたという、悲しいニュースを聞いたことがきっかけだった。

 

きれいにしたいと思って飛び立ったのに、着いたサンゴ礁の浜辺は拍子抜けするほど美しく澄んでいた。

 

誰かがすでにたくさん砂浜を訪れて、きれいにしてくれたのだという。

こういうことを聞くとほっとする。すぐ動いた人たちの存在。

 

 

私は安心して、朝焼けの中で明るい月の下で 裸になって毎日泳いだ。 

2月の奄美の海の水が肌をさしたのは最初の一瞬だけで、思いのほか温く

さらさらとした水触りで 頭の先からつま先までを包んで 洗い流す。

 

 

野生を信頼したい。

その上で、

知性を育てたい。

 

深いところではみんなきっと繋がってる。

どこまでも一人。だけど一人じゃない。だから安心して。

自分を、一人を、生きたらいい。

新しい愛、新しい光

描いて、消して、新しく描いてまた消して。

生まれては消え、また生まれては消える。そんな毎瞬間の連続で人生は続いていく。

 

 

紡いで、織って、また紡いで織って、重ねて、続けて。

そんな、想いを込めた丁寧な作業の連続で、目に見えないはずのものがかたちになる。育っていく。

 

 

---

 

喫茶ラムピリカが開業して以来、変わらないことが二つだけあることに最近気がついた。

 

それは

 

・メニューにオールドビーンズ珈琲があること

・開店のたびに黒板絵を店の前に出すこと

 

 

 

 

黒板絵を描き始めたきっかけは、もう忘れてしまったけれど、最初はメニューに出ているカレーや珈琲ポットの絵や、その日の珈琲銘柄、開店時間なんかを一枚の黒板に載せていた。

 

 

 

 

開店から一年以上過ぎたある日、ふと思い立って、近所に住む友人に黒板絵を依頼してみた。

小さなお子さんがいる身で制作の時間を捻出してくれた彼女は、一晩じっくり黒板と向き合い、なんとも芸術的な一枚を仕上げてくれた。

 

この一枚をきっかけに、私は黒板とチョークを、舐めていたことに気づいた。

f:id:Naima_c:20180216223334j:plain

 

シンプルな美しさにもとても惹かれた。

あれこれ情報を載せ過ぎないのもいい。

この1枚で、「絵だけで、ラムピリカが大事にしていることが、伝わる人に伝わればいい」そう思った。

 

そこからは、「たくさんの人に伝えたい情報を伝えるための黒板」ではなく、「私が描きたい絵」に重点を置いて描くようになった。

 

 

---

 

なんだか描いても描いても気に入らなくて、そのまま開店時間が来てしまって、閉店後に描き足したり引いたりと苦戦するときもあった。

f:id:Naima_c:20180216224257j:plain

 

 

好きな人とデートした次の日、腕がするすると気持ちよく動いて、ほんの15分ほどであっという間に大納得の一枚が描けた日もある。

f:id:Naima_c:20180216224103j:plain

 

 

深夜に急に描きたくなって、明け方まで描き続けるのをやめられなかった夜もあれば。 

f:id:Naima_c:20180216224549j:plain

 

 

巨匠の絵を模写し始めたら、見る以上に模すことでその完成度の高さ、クオリティとセンスのすごさが実感されすぎてしまって

「うっわーーーー!」

「なんじゃこりゃうっわーーー!!!!」

「やっ、、ばい!!!」

夜中中変な声を上げながらチョークを走らせたこともあった。

f:id:Naima_c:20180216223955j:plain

 

 

時々友達に描いてもらう新鮮さも楽しんだ。

まさか一緒にプロジェクトをやるようになるだなんて思ってもみなかった頃のカヤノさんによる一枚。(希少)

f:id:Naima_c:20180216225503j:plain

 

 

プレゼントにいただいた花と真夏の明るい陽射しが着火点で、溢れるみたいに咲いた向日葵。

f:id:Naima_c:20180216225031j:plain

 

 

開店のたびに描き直す訳でもなく、ただ描きたいと思ったときに描いてきた。

 

 

 

他人の目も、そりゃ気になるけれど。

誰がなんて言おうと自分だけは大好きだと言えるような一枚をと願いながら黒板に向かい続けた。

 

f:id:Naima_c:20180214133127j:plain

 

 

 

 

どんなに気に入った作品が出来上がっても、数日後には潔く黒板消しを動かして、きれいさっぱり消してしまう。それが、黒板絵のいいところだ。残るものがあったとしたら、『黒板に向かって来た日々』だけだ。

 

正直、気に入った作品ができると、ちょっと惜しいなと思う。

だけどそれでも、黒板が再びツルッツルのピカピカ、真っ黒の無垢な状態に戻った時の清々しさ。湧き出してくる「さあ、また始めるか!」感。

 

この強烈な爽快感に毎度、心身が潤い、胸はひどく踊る。

 

 

 

私は、ラムピリカの開店からずっと、ほとんどの時間を片瀬に暮らしてきた。

 

少しだけ片瀬を離れて、鎌倉で新しい家族と暮らしたこともあった。だけど当時の家族とはどうしても、「一番大切にしたいもの」が共有できなくて別れを選んだ。

 

喧嘩の末に、手早くまとめた少ない荷物を持って住み慣れた家の玄関に立った時、子どもたちが叫んだ。

 

「新しい未来へ、しゅっぱーーーつ!!!」

 

なんてすごい人たちなんだろうと、笑った。(笑)

 

 

 

そして2018年。

来月、片瀬以外の場所に再び新しい住まいを持つことになった。

 

私の好きな人が、この春湘南に引っ越してくるのに併せて「一緒に住むのは面白そうだね」と提案してくれたことがきっかけだった。

 

そうだね、と二つ返事で応えたのは、「ひとり」を大切にできる、その上でひとを大切にできる今の私とその人なら、一緒に暮らせそうだなと思えたから。

 

 

『お互いが、お互いのままでいられることを尊重しあう。』

 

とてもシンプルで、ときにひどく難しく思えてしまうこのテーマのようなものを、今の私はどんなふうに大切にしていけるのかな。

 

あとは住まいをもう一つもつことで、ラムピリカの流れや動きはこれまで以上に活性化する予感がある。新しいラムピリカが始まる予感がある。

 

 

 

人生の実験はつづく。

ひとを愛すること、自分を愛することの模索は続く。

 

 

『何度でも新しく始められる。』

そんな大前提を抱えたうえで、いつだって「自分を丁寧に生きること」「一緒にいたいと思える人たちとの時間」を紡いで、織っていけたら。

 

そんなことをいま想っている。

f:id:Naima_c:20180217073153j:image

表現者は何らかの形で人を揺さぶり解放へ向かわせる

表現者はいつも何らかの形で人を揺さぶり解放へ向かわせる

 

逆に揺さぶることができないのなら、解放に向かわせることができないのなら、表現者はまだ「表現をできていない」ということなのかもしれない

 

誰かを揺さぶりたいと願う前に、誰かを解放したいと願う前に、まずは自分を解放すること、自分の真ん中に到達しようとすること、そして今自分のいる場所を信頼すること、自分のレイヤーから素直な言葉を発することなんだと思う

 

 

 

表現者はいつも何らかの形で人を揺さぶり解放へ向かわせる

 

誰かの表現を見て怒りを覚えたり、悲しみが湧き出してきたりするのは、解放に向かいたがっている魂と、解放されてはいけないと囁く思考との間の葛藤が生まれているからなのかもしれない

 

 

表現者はいつも何らかの形で人を揺さぶり解放へ向かわせる

 

幼い子供の無垢な鼻歌に、誰かが叫んだ溢れ出るような感情表現に、時に意思の届かないところで涙がこぼれるのは、それらを目の当たりにする人たちの真ん中までいとも簡単に届いてしまうからなのかもしれない

 

 


表現者が自分の真ん中に届いているか
技巧以上に能力以上に

命の真ん中、魂の叫び、もしくは限りなく透明
そんなものにひとはいとも簡単に揺さぶられるのかもしれない

そんなものがいとも簡単に、ひとを解放に向かわせるのかもしれない