On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

日々の出来事の多さ

に、驚く。

 

 

 

 

 

 7月28日

竪穴式住居試作品作り@エディブルパーク茅ヶ崎

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 photo by Hikaru Ishii

 

小学校教員をしていた時に、6年生120人と一緒に、縄文時代の竪穴式住居を作ったことがある。

 

何が起きたっておかしくないこの世界で、一度でも『自分の手で家を作ったことがある』

この体験を子供たちがするっていうのは、多分、とんでもないことだ。『生きる力』身についちゃうやつだろう、と。

単純にそう思い、周りの先生たちの反対を押し切り、可能な限り本物に近いものをと、建築に対しても縄文に対してもズブの素人だったけど、本気で作った。

 

本当に良い体験だった。

 

 

その時の話をFacebookでしてみた。

「誰か作ってみたい人いる?」

そう問うてみたら、まっさきに手を挙げてくれたのがさちこさんだった。

 

ご自身が通っているシェア農園で作れそうだと教えてくれた。 

そこに集うお仲間さん達も、楽しいこと、ワクワクすることが大好きな大人たち。

まずは試作品作りをと、葉山の星山に材料の竹を刈り取りに行き、28日にはついに作業がスタートした。

 

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 photo by Hikaru Ishii

 

 

一応元教員なんですが、指導や段取りが苦手な私。の、指示をまたずに次の作業をどんどん、意欲的に見つけてくれるみなさんのおかげで、何週間もかけて6年生と作った竪穴と骨組みが、ものの3時間で出来上がってしまった。

(みずすずは、いっこも手伝わずに虫取りしてた笑) 

 

『大人たちが本気で遊ぶと、やばい(笑)』

それを目の当たりにした一日。

 

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後は、束ねた稲藁で周囲を囲えば完成だ。

(藁や不要な畳など、あったらご連絡ください。たくさんあればあるほど上質な住居が出来上がりますので、引き取りに伺います!)

 

 

作業の始まりから終わりまで、本当にきれいな光が農園をずっと包んでいた。

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7月29日

フォトグラファーのちーちゃんこと、Chiaki Toyozumiにお誘いをいただく。

 

イベントなんかで会うのはよくあるけれど、 2人きりでゆっくり会うのは1年ぶりくらい。

 

横浜市保土ヶ谷区にある café55 まで車を走らせる。

愛想笑いのできない店主さん。

だけど料理には(だからこそ料理には) 愛だけが詰まってる。そんな凄いお店。

 

サラダからパスタからデザートまで。

たのしみながら、話しながら過ごす3時間はあっという間に過ぎた。

 

ちいちゃんの凄さは、圧倒的な肯定力。

その人の持ってるよいところを、みんなみんな引き出して、曇りのない言葉でみーんな表してしまう。

だから、話していると、赤面したり、このまま前を向いていようと思えたり。

 

きれいごとじゃなく、本気で人の幸せを願うことができる。

こういう人間が、ちゃんと世界にはいるんだな。

ほんとうに世界は、全然捨てたもんじゃないな。

そう思わせてくれるちいちゃんの存在に感謝だ。

 

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photo by Chiaki Toyozumi 

 

 

 

 7月30日

うさとジャパン・ミーティング@京都

 

朝、始発の次、くらいの電車に乗って、新幹線に飛び乗って弾丸京都へ。

 

噂通りの大変な猛暑。

だけどなんだろう、東京のような嫌な暑さではなかった。

碁盤の目の道路のおかげなのだろうか、美しい町並みを歩いていると、いつも新しい風が通る。東京のビル風とは全然違う質の、爽やかな夏そのものの風。

 

 

ミーティングでは、全国から100人近く、うさとのコーディネーターをしている人たちが集う。活動報告や、業務成績のようなものを発表してもらう。

 

かつて企業で働いていたことがある。

だから、久しぶりの企業でのミーティングだ。

だけど普通の企業と全然違う。

無理のない自然な笑顔と、「本当によいものだけを、ほんとうの心地よさを、1つでも多く、そして丁寧に、たくさんのひとへ」と。

まっすぐな信念と愛を持って集っている人たち。

 

こういう企業が増えたらいいなとおもう。「好き」が一番先で動いてる活動は、企業でも企画でもイベントでも団体でもなんでも、どんなものでも最強。

大好きなうさとのお洋服を、お客さん一人一人に手渡していくお仕事。ぴったりの出逢いを見つけるお仕事。これまで以上に丁寧に、そして前のめりに、手伝っていけたらなと思った。

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 8月1日

ツダユキコライブ&ワークショップ

『チャクラを整える倍音の調べと星の唄』

 

音叉を使ったヒーリング。

倍音声明。7つあるチャクラの一つ一つから順番に音を出して、自らの声で自らを整えるヒーリング。

その二つを教わった。

 

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そしてライブでは、これまで何度も自分を、自分の真ん中に引き戻してきてくれた唄たちを、ユキコさんが魂こめて唄う。

 

 

イベントが終わり、ラムピリカを整えてから帰宅。自宅でシャワーを浴びていたら突然咳き込み、喉の奥から、妙な塊が飛び出した。

ため込んでいたものが、全部出たのかなと思った。とてもすっきりとして眠りについた。

 

 

そして次の日の朝、久しぶりに自分の唄を録音した。

その後すぐに聴いてみたら、私史上、最高の録音になっていたことに気がついた。

少しだけ恐れながらも、近いうちに公開してみたいと思った。

 

 

作ったり、遊んだり、触れたり、走ったり、交わったり。

日々、たくさんの動きの中で、いつの間にかぶれてしまった自分を、真ん中に戻す方法は、どうやら世界にたくさんある。

神様は自分だと、思い出させてくれる方法は、どうやら世界にたくさんある。

その中でも特に、私は唄を唄うことと、身体を動かすこと。

それが大好きなんだなと。

本当にありがたいことだなと、そう感じる日々だ。

 

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そして明日は、喫茶ラムピリカ開店日。

 

最初は自分を喜ばせるために作ったメニュー。

それを1口食べたお客さんが、顔を輝かせて、感嘆の音色ので、美味しい!って言ってくれる瞬間が最高に好きだ。

 

 

こうやって書き連ねてみると、本当に活動が多い。楽しいからできちゃうけど、身体は案外疲れているかもしれない。来週は、しっかり時間とって、どっぷり休んで、温泉にでも行きたいな。

 

トリハダセンサー

いつからこんな自分になったのかはもう思い出せないのだけど、なぜか唐突に、理由もわからないまま、全身に鳥肌が立つという瞬間が、日常の中で私には、結構ある。

 

というか、多くの人に普通に、結構あるのではないかなとみてる。

 

目に見えないなにか、言葉で表しきれないなにか、を感じとる力。

 

 

 

 

鳥肌が立った時、わたしが最初に確認するのは気温。

「寒いから」という理由で鳥肌がたったのではないのかをまずは確認する。

 

「寒いから」じゃないとわかると、原因をはっきりと断定することも言語化することもできないけど、ああとにかく私は強烈に「なにか」を感じたんだな。

 

ということにしている。

 

 

 

トリハダセンサーが起動するのは、こんな場面。

 

・その時一緒にいる人と、考えや行動や最近の出来事なんかが、ぴったりとシンクロしていた時

・核心に触れたのかなという発言をしたとき&聞いたとき

・暗闇や、何もない誰もいない空間に、何かの気配を感じた時

・古い建造物や博物館を訪れたとき

・誰かの心霊現象や超常現象の話を聞いたとき

(これは、鳥肌が立つときと立たない時が半々)

・「あ、これは、くる!」って企画を立案したとき

(お父さんバンクを思いついたときは、奥飛騨の山奥で、鳥肌が止まらなくなった)

 

などなど。

 

 

先日行った縄文展

数日後から、縄文時代の竪穴式住居づくりに取り組み始めることもあって、ワクワクが溢れ出た。

だけど、同じくらい、「ゾクゾク」も出ていた。

展示会会場の気温も確認したけど、冷房のせいじゃなかった。

トリハダセンサーが見事に立っていた。

特に、重要文化財「硬玉製大珠」の翡翠の透きとおった碧をじっと見ていたとき、鳥肌と一緒に泣きたくなるような感情まで溢れ出てきて、なんだかなあと思った。

 

 

 

所謂「霊感」があるわけじゃないと思う。

いつも大体ぼんやりしてるし、何かが突出して鋭いというわけでも無いと思う。

 

ただ。

自分の今生きている世界に、唐突に、何の前触れもなく、制御のしようのない体感が、ある日突然訪れる。

 

こういう体験をするとき。

こういう話をするとき。

ちょっと楽しい。

 

スピリチュアルな分野の勉強を全然したことがないし、したいともさほど思わない。

スピリチュアルに傾倒しすぎている人の話を聞くのが苦手だったりもする。

 

 

ただ、モノやヒトを通して生まれる、目に見えない世界(?)のストーリーに、ワクワクする。想像力が掻き立てられる。

 

「目に見えない何か」を感じ取るセンサーが働いているのか、それとも、私の思い込みや想像力が働きすぎてるのか。

どちらが先なのかはもはやよくわからないけど。

 

そして、ちょっと変かもしれないけど、「目に見えない存在」のことを考えるとき、私は怖さよりも先に、なぜか「深い安心感のようなものが自分の中に生まれる」ことが圧倒的に多い。

 

 

 

 

今日も世界は不思議な場所。

 

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超えられなかった壁

 
 
 最高にわたくしごとですが、ひとりで遊びに出かけるのが好きです。ひとりで過ごす時間が大好きです。
 
ひとりカフェ、ひとり居酒屋、ひとり蕎麦屋などなど、慣れたもの。
 
でも、それでも、長年超えられない壁がありました。それは、
 
「ひとりバッティングセンター」
 
実は、学生の頃から大好きで。
でも一緒に行こうと人を誘えなくて。
 
で先週の、ある夜。猛烈に行きたくなってしまって。
 
でも、身体動かすの大好き相方くんは、仕事で不在(な上に球技嫌いと言ってた気がする)
 
バッティングセンター行こうよ!なんて気軽に誘える友達も考えれば考えるほどいなくて(涙)
 
でもうずうずが止まらず。
 
⚾️カキーーーーーーン!!!!
💥キィィン!!!!
 
あの爽快で痛快な音に全身揺さぶられたくって。
 
 
ついに超えられない壁を超えてしまった。
 
 
平塚にあるその現場に、ひとり降り立ち、バットを選び、素振りをして、ヘルメットを被り、打席に立つ。
 
人にジロジロ見られたりするのかなあ…
と思ってたら
 
案の定人にジロジロ見られすぎた上に…
 
娘の担任の先生に遭ったよね😭
 
でも後悔なんてしないよ。
みんな私のスリーベースヒット見てくれた?
立場とか性別とかのいろいろを超えて、自分の欲を叶えてあげた私を、褒めてあげたい。
 
\( ・ω・`\)わっしょい(´/・ω・)/
 
(一緒にバッティングセンター行ってくれる人募集です)
 

身体、きてます

最近、縁あって、相方くんにブラジリアン柔術を教えてもらっている。

ブラジリアン柔術って?と思った方は、

こちらご参照。相方くんが最近開いた柔術教室のサイトです。

https://www.jiu-iku.com/about-jiujitsu

 

 

 

2月くらいだったかな。初めてのレッスンで、衝撃を受けた。

これまでの人生に、全く縁のなかった文脈が、体験として飛び込んできて、混乱した。

 

それは、柔術が、力や技術を駆使して『他者を制圧することを目的にしている』ということ。

 

補足しておくと、相方くんのやってる柔術クラブは全く違う目的を持って開かれてる。

柔術の動きを使って、人間の持つ可能性を引き出すとか、コアをしなやかに強くするとか、身体の全体性を伸ばすとか。そういう目的がある。

 

だけど、柔術の技、それ自体の目的は、完全に『制圧』。

下手したら相手を殺してしまうくらいの技術。

 

 

技を習いながら、最初に湧いた気持ちは、

「なんか、やけに凹むな」

「人を制圧とか、闘うとか、そんなこと全然したくないな」

だった。

 

ところが、だ。

 

次の瞬間、事態は意外過ぎる展開を私にもたらす。

 

参加者の人たちに見本を見せるために、私が相方くんの相手役になって、技をかけられた時のこと。

 

身体の自由がなくなり、関節が痛み、ぎゅうっと首が締まる。

 

ぐうえって、おもわず声が出る。

痛くて涙がにじむ。

 

少しの悲しみの後、次の瞬間、咄嗟に私の中に湧いたものがあった。

 

それは、

 

なんと!

(´⊙ω⊙`)

 

 

 

殺意!!!💥💥💥

 

 

 

いやほんと、自分でも、「まじか!」と思いました。

 

普段、人に対して殺意を抱くことなんて、ほんっとうに、皆無と言っていいほど、ない。(というかそもそもあまり他人に関心がない)

この人あまりにク◯だなと思うような時とか、あとは自分が「あまりにだめだ〜」な時には、つい「一回死んでこい」とか、思っちゃったり言っちゃったりすることは、ある。

 

だけど、殺意ですよ。しかも相方くんですよ。

技をかけられた理由を冷静に考えれば、なんてことはないのだけど。

ただ、咄嗟に湧く感情としては、殺意。

自分を痛い目に合わせる対象に対して、ああ、私は、殺意が湧くんだなあと。

 

 

結構な、大変な、気づきでした。

 

相方くんが言うには、武道や格闘技は、やってみるとその人の本性が顕になったりするから面白いという。

試合をしてみるだけで、言葉を使わずに、その人の人間性がわかってしまうようなことがあるそうだ。

 

わかる気がする。とても。

特に「格闘技」という名のつくものなんかをやっていると、普通に平穏に暮らしていたら使わないで済む感覚が、開いてしまう気がする。

 

闘うーーー技をかけるとか、攻撃するとか、護るとか、痛みを感じるとか、駆け引きしたり、抗うとか、制圧するとか、とか、とか、、

 

多くの現代人は、頭の中だけでは、達者にそれを日常的にやってる気がするのだけど。

でっかちになった頭を一度取っ払って、身体でその行為をはじめてみたとき。

出会ったことのない自分、本能剥き出しの自分、みたいなものが、突然飛び出してきちゃっても不思議じゃなさそう。

(私が異常なまでに、良くも悪くも本能的というだけの話かもしれないけど…汗)

 

 

私は、人類の全体性みたいなものを信じているのと同時に、全然、牙もあるし、攻撃性もあるし、敵!(痛いことするから敵!)と認識した瞬間、咄嗟に排除欲が湧いたりするんだなあと。面白いなと。

 

いいも悪いもない、ただ、そういう自分がいることを認識した。

認識したからと言って、「自分で自分のことが信じられない!😭」とか、そういうのはいらないなと思っていて、ただ「認識できたこと」がとてもよかったと思ってる。

この野性味は、いい意味で、自分を守ったり、直感力を高めてくれそうでもある。

 

 

そんな自分ーーー野性味?のある自分がいることを確認してからは逆に、不思議と、抵抗なく技の習得に勤しめるようになった。

柔術を通して「他者を制圧したい欲」はその後も自分の中には生まれないのだけど、技を使うと体格の違う男性でもさほど力入れずに引っ繰り返すことができたり、技そのものの面白さ、身体の面白さに気づいていくばかりだ。

 

自分自身に潜んでいた本能が剥き出しになった姿を、目視確認&承認できて、はじめて、「本物の理性」ってものは、その人の中に育ち始めるのかもしれない。

 

 

 何より、「あ〜〜なんかこれはよくわからないけどコアに効いてる気がするぅ〜汗」という動きが柔術には多くて、なんか色々、締まってきてる気がする。

 

筋肉痛はあるけど、なんというかこれまで体験したことのある「重くて固くて嫌な感じの筋肉痛」ではないのが面白いなと思っている。

うまく言えないのだけど、柔術で得た筋肉痛は、しなやかに、痛い。

 

 

 

・自分が知らなかった自分【野性?】を認識できたこと。

・具体的に身体をずっと動かしていることで、身体の巡りがよくなってきていること。

 

 

この二つの大きな変化は、これからの自分の行動に、判断に、表現に、そして何より精神に、何か新しい、それでいて、すごくいい影響を与えてくれそうだなと思ってる。

これからが、またたのしみ。

 

 

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追記。

今日は友人の誘いで、初めてボクササイズというものを体験した。

 

1時間....

1時間だよ。

ボクシングのステップでずっと飛び跳ね続ける。前に後ろに。

それも、腰を入れて、ジャブやフックやストレートを素早く打ちながら。

 

「疲れたら、絶対、やめよう。 途中退室しよう。」

 

そう心に決めて臨んだのだけど。

 

 

アップテンポの曲が大音量で流れる中、先生の元気な声が会場に響き渡る。

汗は滝のように流れ出ている。床を濡らして、滑ってしまうほど。

数十秒の水飲み休憩は、ほんのたまに入るくらい。

 

なのに。

 

不思議なくらいにどんどん元気になっていく私がいて、むしろ身体の軽さは時間を経て上がってきているのではというほどで。

ワロタ。

まるで何か憑き物が落ちていくみたいに、爽快だった。

 

そして何より、ファイティングポーズ。この威力はすごい。

仁王立ちで、ちょっと騙されたと思ってやってみてほしい。

脇を締めて、二つの拳を顔の前で構える。

このポーズ取るだけで、なぜか肚の底から力が湧いてくる感じがある。

大げさかもしれないけど、自分の可能性をもっと信じたくなるような、そんな意欲がふつふつと湧いてくる。

 

そして1時間のボクササイズを終えたばかりの今、このブログを、あっという間にこうして書きあげようとしている私がいる。

 

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身体って、すごい。

いい変化を与えてあげると、どんどん変わる。心も、それにつられて変わる気がする。

 

もっと言うなら、最近肌感覚や味覚も敏感になってきてる感があって、そのことについてもまた別のブログで書きたい。

 

 

みずすずも、最近一緒に柔術クラブで身体を動かしているからか、ご飯を積極的にたくさん食べるようになった。表情も前よりも明るくて、人懐っこさが強くなった感がある。

 

あとは、以前は絵を描き始めると何時間でも描き続けていたのが、最近は合間合間にボールやフラフープで遊んだり、身体を動かしていることが多い。意識的にか、無意識的にかはわからないけれど。

 

母娘ともに、いい変化のときが訪れているんだな、と思う。

相方くんのおかげだな。

ありがとうね。やまぶし。

 

 

身体、いい感じにしておきたい。

巡らせておくこと。心地よくさせておくこと。

これが一番大切なことなのでは、と、実感を持って思えてきている。

 

身体、いい感じにしておくと、世界の巡りが、輝きが、圧倒的に変わる。

そんな風に感じずにいられない今日この頃。

 

https://www.instagram.com/p/BjjPjg0lExs/

天気がいいから、茅ヶ崎から江の島の喫茶店まで自転車で。太陽の下に出たくなる。いい季節ですね☀️



 

お父さんバンクで"よってたかって"してきた

離婚してから今年で10年たつことに気がついた。

 

離婚したばかりの頃、子どもたちに対する「お父さんいなくなってごめんね」の気持ちとか、しっかり自立しなければとか、子どもたちが1人で生きていけるようになるまでしっかり私が支えなければ、とか、とか。

 

「全部、ひとりでやります!」

気合い入ってた。

いや、正しくは、全責任をひとりで負うこと選んで、必死になってた。

 

 

家事、育児、仕事。

どれか1つだけでも、完璧にこなそうと思ったら大変。だってのに、全部を「ひとりでやる」ことを選んだ。

その上、いわゆるお父さん業ーー力仕事とか、アウトドアとか、電気工事まで(いろいろ間違えて電線を爆発させたことがある笑笑)どう考えたって専門の人に頼んだ方が良さそうな分野まで、ひとりでやろうとしていたんだから、そりゃパンクして当然だわと。今なら笑いながら思う。

 

でも究極まで大変な日々があったから、パンクした私があったから今があって、喫茶店があって、お父さんバンクが生まれた。そう思うので、1つも後悔はしていない。

全部必然だった。いま振り返れば笑える珍事件もたくさんある。

 

 

 

 

月日は流れ、健やかにゆったりと暮らしたくて三年前に開いた喫茶店。たくさんの人たちとの出会いが流れるように始まる。


ふとしたときに、喫茶店に集う人たちに、子どもたちのことを相談してみた。

「ね、ちょっとこの分野、きみ得意でしょ?ちょいと助けてもらえないかな」

「あ、全然いいよー!」

ってあっさり、むしろ嬉し楽しそうに助けてもらった。

 

「そんなの全然今世でやったことなさすぎる!だからやります!!むしろ!」的なツワモノもいた。

そんなことがスタンダードになっていく日々が始まったときには、やけに力が抜けたものだ。

 

なんだ、世界は全然優しいじゃないか。
世界を厳しいものにしていたのは他でもない私だったのか。
自分を孤立させることを選んでいたのは、他でもない自分だったのか。

 

 

妙にほっとして、力が抜けて笑って、そうしたら解けたところからぽろぽろと涙が落ちた。

大丈夫だよと、一緒に笑ってくれる人たちが自然と増えた。

 

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そして現在。

一緒に暮らす家族が増えた。

相方君とこどもたちと4人で暮らしている。

 

 

近しい誰かの世界と、私の世界が、交わる瞬間。傷つけ合うこともあるけど(正確には、自分の傷を確認するってだけなんだけど) 助け助けられ、癒し癒され、笑い合う瞬間。

魂の根幹に迫るかのような喜びが生まれる。そんな風に日々、感じている。

 

そしてそんな特別な体験は、一緒に暮らす家族の枠組みの中だけで、とどまらせておかなくてもいいのかもしれない。誰とでもいくらでも!とは少しも思わないけど、好きな人たちも素敵な人たちも世界にたくさんいるんだから、安心して、広げていったらいいんだろうとおもう。


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前置きが長くなってしまったのだけど。

最近あらためて思うこと。それは、

 

「お父さんバンク、作っておいて本当によかった…」

 

ってこと。

 

 

 

先週土曜日。
私の大好きな母娘、みゆきさんとはるちゃんに呼びかけてもらって駆けつけた、"よってたかって運動会"

 

私と、カヤノさん改め来世ヒデアキ氏と、それに相方くん。3人で、中野区の小学校に応援に行ってきた。

 

一言で言うなら最高の1日だった。

 

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おじいちゃんおばあちゃんや、みゆきさんのお友達含め、はるちゃんのために集まった7人の大人達。
その集団の姿を、グランドからはるちゃんが見つけた瞬間の、びっくりした顔。その後の、恥ずかしそうな顔。だけどすごくうれしそうな横顔。

ラジオ体操しながら、含み笑いで絶対にこっち向かない感じ(笑)

ああもうほんといいな、来てよかったなとこちらまで含み笑う。

 

 

小学校最後のかけっこは、お父さん達3人+みゆきさん+みゆきさんのお友達の合計5人で、スタート地点と中間地点とゴール地点とに分かれて写真を撮りまくった。

力いっぱい走るはるちゃんが、ついに1人、群から離れて先頭でゴールを決めたときには、胸が熱くなって、なんかもう色々こみあげた。

 

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騎馬戦は、大勢の子どもたちがグラウンドで粉塵をあげて駆け回る。はるちゃんを見つけられない。だけど前もって、グラウンドの反対側でカメラを構えてくれていたメンズお父さんズが、ちゃんとはるちゃんを見つけてくれていた。

 

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白熱する子どもたち。悔しさに泣いている子もいた。すごかったね、がんばってたね。感動した。ぐっときたね…。
大人たち、各々の想いを話しながら観戦する。

 

ところで、普通の家庭だと、お父さんひとりにかかる「絶対いい写真撮ってね!」的?重圧?が重めな気がするんだけど、おかしな話かもしれないけどシングルマザーの家庭だと、こんな大勢のお父さんたちにあらゆる画角から写真を撮ってもらう、なんてこともできるんだな、と思った。

「シングルマザー」が持たれがちな[一人で大変そう]のイメージ、お父さんバンクがひっくり返していけたらいいな(笑)

 

 

 

お弁当は、取材に来てくれていた新聞社の方やあとから駆けつけたベジさんも合わせて、合計12人で食べた。
一人の女の子を囲んで。

 

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新聞社の方たちに、(新聞用に)写真撮りたいから笑ってーと言われて、誰かが不自然な作り笑いをする。それを見て結局みんな笑ってしまう。

 

はるちゃんがんばってたね。

かっこよかったね。

騎馬戦すごかったね。

みゆきさんのピーマンの肉詰め最高!

 

みんなで美味しいものを食べる。笑いながら、話しながら。

 

ああ、いいな。こういうのすごくいいな。


ただただ、幸せだった。

ただただ、喜びだった。

 



はるちゃんが、運動会終わりにみゆきさんに、

「みんなでお弁当食べられたの、楽しかった!」

と話してくれていたらしい。

 

 

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6年生気合のソーラン節。

はるちゃんは大漁旗を持ってグラウンドを駆け回った。かっこよすぎた!!!

 

 

 

ちなみにおひでさんは、昨日も長野県の小学校に応援お父さんとして駆けつけている。来世パパ、二週連続ですよ。笑

 

実は私と相方くんも、みずきの体育祭とはるちゃんの運動会と二週連続でした笑

 

でも、単純に、観戦がめちゃくちゃ楽しいから行けるし、大好きな人たちに会えるから行ける。二週連続でも行ける動機なんてそれだけだなとおもう。

 

 

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以前、はるちゃんがお母さんのみゆきさんにふとした時に話してくれたという言葉がとても印象に残っている。 

 

「うちは、安心だね。学校でいじめにあったりしても、お父さんバンクがあるから、味方になってくれる大人がたくさんいるから大丈夫だね。」

 

この話を聞いたとき。
というか、今改めてここに書いてみても。

いろんな気持ちが溢れてきて、またしてもこみ上げてくる。


はるちゃんが、その安心感を感じてくれているのなら、本当によかった。
本当にお父さんバンクを作ってよかった。

 

というかじつは、結局のところ、私は私のために、お父さんバンクを作ったんだと思う。

 

 

 

 

私が安心したかったんだとおもう。

人間はどこまでもひとり。

だけど、人との安心感のある繋がりがあるからこそ、安心してひとりなれるんだとおもう。

 

結果論でしかないのだけど、私がひとりで頑張っていた頃の辛い記憶は、はるちゃんやみゆきさんが見せてくれるような笑顔に出会うたび、癒されていっているような気がしてならない今日この頃だ。

 

 

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核家族」という枠組みの限界を感じていたし、(核家族の中でうまくいってる家族もあるから、もちろん一概には言えないけれど) 家族のあり方は、もっと、役割や枠や法律や常識なんかに囚われないところで、無数に存在していていいのかもしれない。

 

「ただ好きな人たちと、好きなだけ、一緒にいる。」

 

このシンプルな理由だけで、家族は発生したり、広がっていったらどんなにか世界に余白が、余裕が、増えるだろうかとおもう。

 

 

 

あと、天才合宿や森の学校を考案したあづみさんがよく言っていることなのだけど、子どもを育てているってだけで、地球にとって未来にとって、とんでもなく崇高な仕事をお母さんたちは既にしている。最も大切な仕事をしている。

だから、1人で抱え込むってことは至極不自然な行為なんだとおもう。言ってみれば地球や未来にとって不都合なことなんだとおもう。(未来や地球に自我はないよとか、そういうツッコミはここでは大丈夫です笑)

 

たくさんの人で一緒に育てることが、ほんとうは自然なことなんだろうとおもう。

不得意なところは得意な人に任せて、もしくは一緒にやって、自分の得意分野では誰かを助ける。これが当たり前のようにできる世界になったら、みんな安心して自分の特性を愛して、他者の特性も尊重して、より安心して生きやすくなるんじゃなかろうか。

 

 

 

お父さんがいるからとか、いないからとか。
結婚しているからとか、いないからとか。
恋人がいるからとか、いないからとか。

多分もう全然関係ない時代がくる。

安心感も幸せも人とのつながりも、誰もが自分で選んで、得ていっていい。リア充爆発しなくていいい。

 


お父さんバンクがやれることは、まだまだありそう。

いつか、倒産することーーお父さんバンクなんてなくても、助け合って補い合って生きていくことが当たり前すぎる世界になることーーを、目指して。

「感じる」

 

空気を感じる。香りを感じる。声を感じる。温度を感じる。色を感じる。

 

感じる。感じる。感じる。。。

 

 

 

「感じる」という行為が、実は、全て言葉であって、思考であるんだということを話して聞かされたときには衝撃だった。

 

衝撃だった。

だけど、その後ですぐに、納得をした私がいた。

 

ほんとうに「感じている」とき、人間は多分、

「感じる」という言葉の届かないところで、ただ存在している。

 

 

 

言葉が好きだ。言葉は記憶。

言葉に色を見たり、情景を見たり、においを感じたり、空気の冷たさや温かさまでも感じたりするのは、私の記憶だろうか。細胞の記憶だろうか。それとももっと大きなもの。

 

 

自分で紡ぎ出した物語に、夢中になったり、失望したりもする。

言葉は記憶。

物語のなかを自由自在に泳ぐために使うことのできる、

人間の生み出した、スペシャル・ツール。

 

 

だけど、言葉の届かないところに居られるほんのわずかな時間。

人生の中でほんの時折訪れる、あの時間。

 

そこにいるときは。

 

 

 

不登校児観察記 2018.5.24

今日丸一日、すずさんは一人きりで自宅で過ごしていた。

 

彼女以外の家族は全員、朝7時半に自宅を出て、藤沢・江の島界隈で各々の仕事をしたり学校に行ったりして過ごしていた。

自宅を出発する際、一緒に行く? と一応聞くのだが。いつもは大体イエスと答えるのだが。今日の返事はノーだった。

 

 

で。1日まるまる家を開けて、大人たちが帰宅したのは18時半。

 

 10時間以上、一人きりで自宅で待っていたすずさんに、一日何をしていたの?と聞くと、嬉々として答える。

 

す「いやー、今日は主婦みたいだったよ!!

  めっちゃいい1日だったー!」

 

私「?!」

 

 

なんでも、一人きりの間、今日も相変わらずリビングでフラフープを回したり(腰の位置でホールドできるようになったらしい)絵を描いたりもしていたらしいのだけど、合間合間にしていたのはなぜか家事。

1つも頼んでもいないのに、怒涛の家事。

 

 

食器洗い。

自分の布団のシーツの洗濯。

姉と自分の衣類の洗濯。

自室の掃除。

風呂掃除。

なぜか大人の寝室のベットメイキング。

窓を開けて風を通したり。

 

「やー、いい一日だったわー!」

すばらしく清々しく、キラキラした顔でそう話す11歳。

 

ほっとくとなにするかわからない。

しかも家事って笑

 

何度も言いますが、頼んでません。

「大人のお手伝いをした」という感覚は本人にはありません。多分。

ちなみに普段は片付けない。部屋は散らかり放題。でも特に注意する我々大人たち、でもない。

 

なぜか2歳くらいの頃からそう、すずは、たのんでもいないのに、教えてもいないのに、突然、本当にある日突然、目の前の壁を掃き始たりする。

 

謎の生態。前世の記憶?一体なんなんだ、おもろい。笑