On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

言葉は実体

人はだれでも光を放つ真ん中の場所と影に手を添えられている場所の、両方を持っているのだと思う。

千光寺円空仏をみていて思った。
人として生きる私は、いつも意味を求めてるのだと。


ここに来た意味、
生きる意味、
痛みの意味、
愛することの意味、
美しいものを見る意味、
人に出逢うことの意味、、、
あらゆるものに意味を探しながらあるいているのかもしれない。

 

すべてのことに意味はないと認めてしまうことは怖い。すべてに意味はない。そうすっかり認めてしまった時に、まだ私はまっすぐと立っていられるだろうか。
生まれて来たことの意味、今も生きていることの意味。自分以外のなにかに、自分の外側にあるものに、その意味を与えてもらおうとすることは、健やかな自己愛を育てることに結びつかないのかもしれない。
自分から溢れ出してくるものをただ表す。自分から溢れ出して止まらない、愛する誰かへの思いを語ること。影の部分にフォーカスを当てるのではなくて、それをどうやって光へと変えていくのか、そのことに自分のもつクリエイティヴィティを働かせる。そんな時間を多くと過ごしていると、いまある命に感謝したくなるような、そんな瞬間が時々訪れる。泣きたくなるような、嬉しさで震えるような、あの瞬間。

 

パイプになりたいと願う。美しいパイプに。
愛が、光が、豊かさが、笑顔が、私を通って世界に流れていったらいい。詰まりのない、淀みのない、美しいパイプ。

 

 

2017.8.14.

飛騨高山 千光寺

 

 

 

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一昨日はじめて出逢った人に、

「言葉は実体」

という言葉をいただいた。

「言葉はその人を動かす実体そのもの。
だから言葉を大切に使うこと。
命から出たまことの言葉を話すこと。」

 

言葉は私になる。

 

すごいことだなと思った。

そしてほんとうにその通りなんだろうなとも。

 

言葉を大切に扱うということは、自分を大切に扱うということなんだと思う。

 

 

人間の「初期設定」は変えられるという話も聞いた。それは言葉が変えていくということ、自分の言葉が新しい初期設定を作り出していくということ。

 

私が時々闇に留まろうとすることがあるのも、どうやら世界には闇に引き留めようとする力があるらしいということも、なんとなく感じる。

 

でもフォーカスは容易に変えられる。

言葉が私になる。

言葉が世界になる。

 

誰もが世界を照らす力を持っている。

私もきっと例外じゃない。

 

私の一番奥深くから出てくる言葉を、私の命にプレゼントしつづけよう。

何度立ち止まってもいいし何度汚れてもいい。

何度でも洗い流して、何度でも笑えるほうにいこう。いつか命が終わる瞬間まで。

女子の感性と、男子の具現化力が見事に合致したら多分無敵

‪ふわあーーーっ!と次々に浮くイメージ。

 

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あんな素敵なこと、こんな可愛いなこと、きっととびきり心地よいこと。

全部カタチにしたい!

 

って女子がいった時に、

 

「そんな大変なこと、一体どうやってやるんだ。お金は?時間は?保障は…云々」

 

となって不安要素ばかり集めて詰問してきて結果的に足を引っ張ってる系男子はみんな喫茶店の周りからいつの間にか消えて、

 

「その素敵なこと、やりたいこと、どうやってカタチにしようか!」

を一緒に考えてくれるイイ男達が残りましたね。少数ではあるけれど!‬

 


‪という話で盛り上がった昨晩。‬

 


‪「実現させる手段、考えれば1000通りはあるよ」と笑って言って、その1000通りを一緒に考えて。

 

元々女子より高い(傾向のある)男子の具現化力や身体能力を生かして動かして。

 

女子の夢をカタチにする手助けをしてくれる。

 

それが、ほんとの意味で肚の据わった、どんと構えた、イイオトコ、なのかもね。‬

 

 

 

ここでは「女子」「男子」とカテゴライズしちゃったけど、もちろんこれは時と場合によってどうとでも、老若男女問わず誰にでも入れ替わる。

 

自分の得意なことは自分がやって、自分が苦手なことはその分野が得意な人、それでいて感性が共鳴し合う人、にお願いして頼っちゃおう。

 

イデアマンにもなれるし、ヒーローにもなれる。誰でもなれる。呼応して、共鳴できる人たちと出会おう、繋がろう。共につくる喜びを共有しよう!

 

答えも制限も枠組みも、ほんとうはない、のなら。できない理由を数えるよりもまず動こう。クリエイティブな世界を思う存分楽しもう!

 

エネルギー全開の夏だ!!!

 

 

自分のやってることがすっっっごく古くてダサいことのような気がしてきてしまう瞬間

それは、自分より若い世代の人と一緒に過ごしている時間に時々訪れる。

 

 

昨日、流れで23歳ひとみさんと25歳くりちゃん、それに11歳鈴さんと一緒にカラオケに行く機会があった。そこで衝撃を受ける。

彼女らの選曲が、やばかった。


どれも私にとっては「新しい!!!(@_@)✨」音楽ばかりで、いまのミュージシャンってこんな音楽作ったりするんだ…!と。
大爆笑&大感嘆で彼女らの歌を聴きましたよ。ええ。


一言でいうなら、

まじ。

未来に希望をみました。

 

 

新しいものを目撃すると、しかもそれが独特の世界観すぎたりすると。
くだらないことを全力でやる大人がまじで増えてるなあって痛感しちゃうような出来事があると。
全力で「カワイイ」だけを獲りにいったな…みたいなものに出会うと。

思う。

 

「やったよ。まじグッジョブ人類。いよいよ未来には希望しかないな。。。!(//∇//)」

 

 

30代のみなさん!
40代のみなさん!
オーバー50のみなさんも!
とにかく「人生のなんたるかを知った」気になってるそこのあなた。いま、ドキッとしたあなた!

 

若者と過ごそう!若者に学ぼう!若者に教えてもらおう!
新しい世代 が世界を更新していく様を目撃しよー!で、一緒に遊ぼう💫\(^o^)/

 


参考動画は以下。

ヤバみ by ヤバいTシャツ屋さん
https://youtu.be/329F4L9ATcw

無線LANばり便利 by ヤバいTシャツ屋さん
https://youtu.be/4uYNUJgVUzw

恋は渾沌の隷也
https://youtu.be/Uu7slGeNE_o

感情のピクセル by 岡崎体育
https://youtu.be/3yoJY0IqiV0

ドグママグマ by 大森靖子
https://youtu.be/IOqYBwBmX-0

イノコリ先生
https://youtu.be/BkzVOKqTcBo

 

 

 

で、ブログタイトル。

『自分のやってることがすっっっごく古くてダサいことのような気がしてきてしまう瞬間』

 

ひとと比較したって始まりませんが、「自分の今やってることは、自分にとって最高か?」この問いかけは忘れたくない。感度を上げていきたい。自分の感性を信頼しつつ、フレッシュな感性にも、自分にとって「新しい!」にも、常に触れていたいと思う。

 

世界のことをもっと知りたい。

納得したいし確信も欲しい。

だけどいつまでたっても「わかった」って言いたくない。

感じるが先、考えるはあと。

世界には「正解」みたいなものが溢れすぎて居て、いろんな人の書くいろんな文章を読んでは納得したり、感嘆したり、感動したり。でもどれもものすごい勢いで自分を通って流れていくばかりで、そんななかでも自分の中に「残った」「細胞の一部になったかも」くらいに感じられるようなものはほんの一握り、いや、ひとつまみくらいのもんだなと思う。そしてごく稀に、なんども読み返したくなる文章に出会うことがある。それが、私の中で「採用!」私に濃い色を与えていく。

 

想念のようなものはいつもくるくると頭の中を回る。それらくるくるしてるものはみんな過去から生まれたものだよと誰かが話して居て、ふむなるほどと思った。
いまこうして綴っている言葉ですら、言語そのものですら、私が生まれた時から世界にあった既存のもので、言ってみれば過去のものということになる。
言葉を使って新しい表現を、誰も綴ったことのないような素晴らしい文章を生み出すことはできても、言葉を使って考え始めた途端に過去を生きることを余儀なくされやすい生き物なのかもしれない。人間とは。なんと不器用で、不自由で、愛おしい生き物だろうと思う。

身体に答えを聞きなさい。身体は答えを知っているから。
その「誰か」はそうも話していた。

身体は確かにすべてを知っているのかもしれない。ほんとうのほんとうは、YESなのか、NOなのか。なにが心地よくてなにが嫌いなのか。求めているものはなんなのか。
わからなくなったら身体に聞く。そうすると、良識とか常識なんかで量ると結構残酷だなって思えるような答えでも、平気で身体は弾きだしてきたりする。そこにストップをかけようとするのは、いつも大体「余計なお世話」と呼べるような代物だったり「いらぬ心配」だったり。
人間として生きてきた以上、どうせ想念は回る。どうせ回すなら、身体の声を最優先させた上で、もっと人類全体を信頼するような力強い方面に働かせようぜ、とおもう。

 

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最近、「ラムピリカに泊まってもいいですか?」という問い合わせをもらうことが多い。
わたしはだいたいどうぞと返事する。たくさんのひとが自由に喫茶店を行き交うこと、とてもいいなと感じてる。3人きりだった母娘家族に、まるで家族が増えたみたいと思う。
(もちろん誰でもどうぞとは思ってない。なんか嫌だなと感じたら断る選択肢も勿論捨ててない)
でもひとが増えるということは、それだけ情報が増えるということ。想念のようなものの、くるくるする速度も若干上がるのかな。それを意図的にスローダウンさせてあげる必要があるみたいで。

 

 

自然豊かな静かなところに行きたい感覚がつよくなって、日曜日の朝、喫茶店と子どもたちのことを滞在していた友人に丸投げする。

2時間後には藤沢駅東海道線ホームに立って、「空いてるほうの電車に乗ろう」と決める。同時にホームに滑り込んできた二つの電車にを見比べ、小田原方面へと移動を始める。
西へ西へと移動していくなかで、「円空仏」というキーワードを思い出す。ググってみると、「飛騨高山」「千光寺」というワード。
この二つのワードの字面と音がかっこいいなと感じる。深い森や、深い静けさを彷彿とさせる。
決めた。飛騨高山にいこう。

そうしてその次の日の朝には、千光寺の本堂でお祈りをして、円空仏の愛おしいほどに素朴で愛嬌かくせない顔をたくさんたくさん、好きなだけながめていた。
午後には、地元の人のすすめで奥飛騨の温泉と、景観が素晴らしいという大きな橋を訪れる。橋の近くには深い森の入り口があって、人気のなさから入ってみることにした。
どこもかしこも美しい色合いの木々。顔を上げると、雲の色をした白い光。冷たい湿り気を帯びた透明感のある空気。露に濡れた土と、葉や幹や苔の香り。
ああ、今、思い出せば思い出すほどにあの空気が懐かしくて愛おしくて言葉に表したくなっているけど、森の中にいたときは言葉なんて殆ど消えていた。気づいたら木を抱きしめていた。木のごつごつとした、それでいて柔らかみが伝わる肌に全身を沿わせたくなった。おでこをつけて、頰をつけて、お腹をつけて、脚をつけた。

なんか、こうやって書くとすごく変な人って思われそうでそわそわしてくる。だけど、こういうことをしてるときの絶対的な安堵感のようなもの。静かな静かな心のこと。懐かしさのようなもの。私はどう表したらいいのかわからないけど、すごく「好い」。ほんとうに、うまく言えないけど。


森から出て、奥飛騨から高山のほうへと降りてくると、唐突に次にやりたいことのアイデアが降ってきた。ぞくぞくするようなワクワク感が自分からあふれ出した。堪え切れなくなって、レンタカーを運転しながら音声入力でiPhoneにアイデアを書き出す。
それをそのまま、ラムピリカの社外無責任役のカヤノさんに転送。いいっすね!やりましょう!ということで明後日会議する。こういうのにふわりと乗ってきてくれる人がいてくれることはほんとうにうれしい。

 

イデアが偶然にも生まれて、そのことを狙って飛騨まで来たわけじゃないし、森に入ったわけでもないけど、でも一旦思考を捨てて大馬鹿者になって、感じるがままに動いた。身体の声に従ってみたからかな。よかった。
そして丸投げした喫茶店を受け止めてくれた友人。それに、静けさを安堵をくれた奥飛騨の深い森。
ありがとう。みんなのおかげ。

 

世界に素敵なことを、ひとつずつ増やしていくお仕事。さあ形にしていこう。

 

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(余談ですが、飛騨高山滞在中に、「千秋さんはこれだね」ときさよさんから画像が送られてくる。ありがとう。これからも、もっともっと、素直に生きようって思ったよ。)

 

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言葉じゃ表しきれないこと、目には見えないけれど確かに在るもの

「自分の真ん中はなんだろう。なんて言ってるだろう。」

「今、真ん中からYESが出てる」

「今、思わずYESと言ってしまったけど、真ん中はめっちゃNOって言ってるなー」

 

そんな自分とのやり取りを、誰と居ても一人で居ても、常にしてる。

 

最近人との出会いに恵まれている。ほぼ毎日誰かしらが喫茶店を訪れ、寝泊まりし、人に会いに行ったり人の家に泊まったり。

 

人に出会うと、自分に出会うなと感じる。

人と出会って自分が

「何を感じるのか」

「何を見るのか」

「何が好きで、嫌いなのか」

「何を信じるのか」

そんな声に出会い続ける。

 

ただ間髪入れずに人に会いすぎたり影響力の強い人と長く過ごしすぎたりして、静かなひとりの時間を確保できない状態が続くと、今度はこの声が聞こえなくなる。

頭の中がくるくる、足元はふわふわ。そんな状態を感じ始めた時には速やかにカレンダーに「終日完全オフ」の予定を入れる。近々で入れる。人とした約束も、理由をちゃんと話して延期にしてもらったりする。

 

人と出会って自分と出会い、自分に還ってまた自分と出会う。

結局、どこまで行っても世界は自分だなあというところに帰結する。だから世界に一人きり、と言いたいのじゃなくて。世界と自分は一つ、と言い切るのもなんだか躊躇われるんだけど、でもまあ、世界は自分で、自分は世界なんだなと。うまく言えないけど。

 

春頃からずっと続いていた、朝目覚める度に胸の中心がずきずきと痛むような孤独感、のようなものはいつの間にか霧散した。大切な人たちとの出会いのなかで、そしてその人たちに自分をすっかり開いてしまうことで、消えていったように思う。

 

 

 

一昨日、妹に誘われて江ノ島に龍参拝に出かけた。

江の島の中には幾つもの神社や宮がある。

一番奥に祀られているものはどれも「鏡」

 

神様は外側にいるわけじゃない。

あなたの内側にいるんだよ。

だから、自分を見つめて。

 

そんな意味があるみたいだよと、いつか誰かから聞いた。

こういう話を聞くと、昔の人はすごいなと思う。 

言葉じゃ表しきれないこと、目には見えないけれど確かに在るもの。世界の在り方について。みんなみんな知っていたんじゃないかなと思う。

 

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昨日は喫茶店にきさよさんが遊びに来た。

パリ市に住むきさよさんは、去年初めてフランスに行った時にほんの数時間を一緒に過ごした人。もしかしたら2時間にも満たなかったかもしれない。

それなのに、長いヨーロッパ旅行の中、私の中でとても強く印象に残った人のうちの一人。

初めて会った時にもまぶしい人だなと思ったけれど、この夏の再会では輝きを増していた。神がかってさえいると感じたのは大げさな表現じゃない。眼が、美しすぎる。ずっと見ていたくなるような、華やかなのに優しくて、それでいて無邪気な輝き。

再会が嬉しすぎて勢いよくハグをしたら、お互いの足を蹴り合ってしまって爆笑した。

 

「きさよさんが、きさよさんとして存在してくれていたおかげで、私もますます自分は自分でいようって、自分の真ん中を信じようって、そう思えます!」

きさよさんの帰宅後に、そんなことをメッセージで伝えると、

「お互い様!千秋さんがこのままの感じで生きていってくれるなら、私も確信持ってこっちの方向で行けるのですよ。ありがとう、の一言のみ!」

と返信。

 

きさよさんは、今年の冬に人生最大の停滞期を迎え(私の入院期と若干かぶる)そこを明けてみたらなぜか四つ葉のクローバーを見つけすぎる人生に突入したという不思議なひと。

彼女のインスタやFacebookを見ているとわかるのだけど、その見つけ方は尋常じゃない。一度に4、5本。多いと数十本というのが当たり前。道や森や公園を歩いていると、「目が合う」のだという。四つ葉のクローバーと。こういう話を聞くと、私はワクワクが止まらなくなる。なにこの世界は一体?!面白いことが起こるなあ!という想いがまた強くなる。

 

昨日はラムピリカ久々の開店を目論んでもいたのだけど、きさよさんとの再会が嬉しすぎて「開店」の二文字は再会から5秒後に、私の選択肢からすっかり消えた。一緒に過ごす時間はあっという間に過ぎた。

夕方、きさよさんを江ノ島駅まで送っていく途中、並んで歩きながら話していたきさよさんが突然視界から消える。フェ?と思ってる間もなく、彼女は来た道を2歩戻り、民家の前に置いてあった植木鉢を指差す。よく目を凝らして見ると、キタキタ。植木鉢いっぱいに草や花の生い茂る中に、四つ葉のクローバー!

 

私は去年の今頃、虹を見つけすぎる自分がいたことを思い出す。あの頃は、何かに確信めいていた。「今だ」と思うと虹が出る。そんなことが本当に起こり続けた夏だった。

 

「期待しすぎないこと、力抜いていること、過信はしないで、自分を適当に信じておくこと。そんなことが大事なんだろうね。だって、見つけよう見つけようと思うと、全然見つけられないんだもん。四つ葉のクローバー。」

と、きさよさん。

 

その一言に、ほんとうに、ほんとうにそうだよねって思う。

断定しようとすることで失われるもの。つかもうとしすぎることで失うもの。

すべてはすでに完璧で、あとはその事実を自分に許すこと。それだけだ。 

 

 

ありがとう、きさよさん。出会ってくれて、思いを次々と話してくれて。

そしてこれまでもこれからも、自分に正直に、どこまでも好き勝手に生きていてくれてありがとう!

存在そのものに生きる勇気をもらう。だから私はあなたがほんとうに大好きだ。

 

 

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新しい体験に自ら出会い続けて、自分をアップデートし続ける間は人間はもしかしたら、成熟することはあっても精神が老いていくことはないのかもしれない。そんなことを最近思う。

 

自分にとってかつてタブーだったことは、年々私の中から一つずつ姿を消していく。「周りの誰がなんて言おうと、そこに飛び込んでみたくなったらとりあえず飛び込んでみる」という所業を繰り返してきたからかなと思う。

ひとを傷つけてしまうこともあったし、何より自分もたくさん傷ついた。でも、傷つくこと以上に得たもの、というか、「解き放たれたもの」と表現した方が正しいかな。そんなものの多さが圧倒的で、何一つ後悔していない。

情報もろくに集めないで、嗅覚的に「オッケー!」が出たら即とびこめるのは私の愛すべき特技だと思う。だからそれでいいよって自分に言い続けよう。

 

軽やかになったなと思う。同時に、不思議と妙な重厚感も出てきたような感覚がある。

軽やかさと重さ。両方自分には必要で、その両方が多分、今の私を生かしている。

 

うつ病で教員を辞める頃から始まった「死にたい癖」とも付き合いは長くなってきて、「癖」と「自分」とを切り離して眺めるようなこともだいぶ上手になってきた。

何かとネガティブなイメージが付きまといやすい「死」というワードかなと思うのだけど、最近思うことは、「死」は、私の味方なんだなということ。

 

死の存在があるおかげで、私は私の中にクリアな答えを見つけやすくなっている。

 

いつか必ず、死が訪れるから。いつか必ず、この世界は終わるから。

だからこそ、今やりたいことだけやろう。

今目の前にあるものに集中しよう。

好きな人に好きって言おう。

そんな動機を今も貰い続けているように思う。

 

 

 

 

 

 

 

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時間感覚がおかしくて、何日前のことだかはっきりしないのだけど、満月の日の真夜中に妹と二人で江の島の海岸を歩いた。月の光に照らされた波打ち際。打ち寄せては返す波に足首を、時々は膝上までを、何度も何度も覆われながら包まれながら歩く。延々と歩く。水の温度は冷たすぎず、ぬるくもなく、体温に馴染むような心地よさがあった。

 

妹と大切な話をたくさんたくさんしたけれど、話の内容以上に、妹と過ごしたあの時間が私の人生の中で重要なものになった。

あの時の光景は、きっと一生忘れることはないんだろうと思う。

 

妹は私にとって特別な存在で、でもその特別さをどうやって言葉で表したらいいのかわからない。ただ、この特別さは、きさよさんが「四つ葉のクローバーと目が合う」感覚に近いものがあるんじゃないかなと感じている。

 

江の島海岸。深夜1時を回る。

ある大切な一言を私が話した瞬間、私の頭上の向こう側で妹が流れ星を見る。

 

 

妹は明日の飛行機でニューヨークに帰る。

 

沈黙記

今年も「謝々謝々」何かに感謝しまくりながら鳴きつづける(みたいだなあと私が勝手におもってる)蝉の声が聴こえ始めました。夏本番。

 

 

本日参加してきました、こちらのイベント。

 

 『超沈黙型エンターテイメント』 〜神様たち10日間も喋らないで歩くらしいよ?マジ無理じゃない?え、それうちがやるの?絶対死ぬやつだってぇ卍SP〜
https://www.facebook.com/events/452450735133488??ti=ia

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大場駅から来宮駅まで16キロ。
沈黙して山道を歩きながら思ったこと、メモったことを一気に!書きます!

 

 

・普段からお喋りじゃないくせに、喋っちゃダメって思うと、、、

超絶喋りたくなる!!!!!!!

 

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  ↑  喋りたすぎる

 


・コミュニケーションは喋れる喋れないに依らず?喋れても喋れなくてもコミュニケーション取れる人は取れるし取れない人(とき)は取れない。

 

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・人生初リヤカー押した!なんか興奮した。ヤドカリ感あった。

 

・中高校生とか大学生くらいのときにやっても良さそうな冒険を大人になってからも一緒にやってくれる人たちがいて、出会えて、一緒に遊べてなんてラッキーなんだわたし!とおもう。

 

 

・炎天下の下、特に意味なんてない、ただ黙って歩き続けたらどうなるかを見てみたくて歩く。歩く。歩く。風が、木陰が、冷たいお茶が、笑い声が。ただただ最高にありがたい。

 

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いろいろ思いだしたり、いろいろ思うところあったり、します…。

 

・言葉使わないからこそできるコミュニケーションがある!ふふふんふんふふんふふん、ふんふんーー!!ってなんか無邪気な感じ。おちゃめ。たのしい!そうだこれはチャップリンの世界だ!もしくはまるで外国のアニメ見てるみたいだ!

 

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ピングーのアニメが大好きなのですが、ピングーたちのやりとりとかぶり過ぎて笑った。

 

pingu1「ピングーのバレンタインデー」 - YouTube

 

 

・沈黙といっても、「言葉」使わないだけでめっちゃコミュニケーションとってる!


・まゆさんとヒデさんが喋れないのに見事にふんふん言いながら身体を動かしながらコミュニケーションとってる様子はまるでコント。笑い無くして直視できない。

そして言葉が使えないと、表情とか仕草とかで一生懸命伝えようとするようになるからか、普段真顔なときの多いヒデさんの表情がめっちゃ豊かになってて、顔芸?だけで何回わらったかわからなかった。そして言うまでもなくまゆさんは生粋の芸人!表情くるくる感とボディランゲージは日本人離れしてるしウルトラ可愛い!!😍😍😍

 

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・脚の力で歩こうとすると重い、、足の裏が痛くなって来て、疲れる。歩きやすい歩き方を、「こうか?こうか?」と探りながら歩いているうちに、足裏ーーかかと、土踏まず、足指の裏側全部に力込めて歩くと急に身体全体が軽くなって歩きやすくなることを発見する!!

 

・カヤノさんがリヤカー慣れしててびびる。
狭くて長いトンネル抜けるとき、トンネル内に長く居るとそれだけ危ない時間が長くなるからと一人猛ダッシュでリヤカー引いて駆けていった姿はかっこよかった。トンネルの長さ1.2キロ。人力車仕込みはすごいなあ!と思った。そしてさすが日本列島縦断経験者。

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・すれ違う人、出会う人、興味持って声かけてくる人みんなが優しくてびびる

 

・まさねえの冷却力(みんなに冷たい飲み物と氷を配る能力)にびびる。ナイチンゲールまさこ。。。

 

・まゆさんの底抜けの柔軟性にひびる。洗濯物をリヤカーからわたしの日傘から色んなところに干しながら歩く。愉快なり!ぱんつだって干しちゃうよ!

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・山間は風が本当に気持ちいい。クリアで冷たい風に吹かれるだけで疲れが吹き飛ぶ。

 

・突然の天候の変化。怪しい雲行き。嵐の前兆のようなざわざわした風。山道のなか奇跡的なタイミングで雨宿り場所みつける。

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・お店に入るとすぐに雷鳴と豪雨。アマテラスオオミカミに「鎮まりたまえ〜」的な祈りの舞を捧げ(てると思われ)るゴッチャパウォニカ(まゆちゃぱうぉひめ)

 

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30分で止んだ。笑

 

 

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・もうこのまま残りの人生はぜんぶ夏休みでいこうと思った瞬間

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・「言葉がなくても案外通じ合えるね!言葉なんてかえってないほうがいいこともあるのかもね」たくさん話しかけてきてくれた、陽気な蕎麦屋の店主さんの言葉。

 

・「大好きな人のためにも自分を強く生きる」
大スコールが去って雲間から光が射し込んでくる様を見ていたらふと降りてきた言葉。

 

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蕎麦屋の店主さん。さよならしたあとで、しばらくしてから後ろから車で追いかけてきて、お菓子を差し入れくれた。感謝で号泣。

「面白いことしてるねー!うちに泊めてあげるよ!」とまで言ってくれた!優しい。。

 

・初めて会う人のうちに泊めてもらう。画家兼ダンサーの彼と、喋れないのに筆談も交えつつ(彼は時々喋りつつ)話が合いすぎて面白かった。
『きっと体は、一番美しい形を知っているから
それに従うだけ』

絵もダンスも、ちゃんとやろうとしすぎない。気負わない。最高にリラックスして。身体に任せよう。

『喋らないってことは、「あのときああだった、こうだった」って過去の話はできないから、「今」の話しかできないから、要するに『今」しか無いってことだよね?』と彼が言ってて「ふんふんふんふんーーー!」頷きまくった。ほんとに。まさにその通りで。

『こういうお客さんを家に迎えるのは人生初だな。。。例えば宇宙人 がうちに突然来て、もてなしたりしたらこんな感じなのかもね笑』

おかしな来客、おかしな状況を一緒に楽しんでくれる柔軟な彼ら。

 

 

と、まあこんな感じかな。おわり!

何にもまとまってないけど、何にもまとめないまま寝ます。今日はたくさん遊んだな…ああもう満足。眠さも限界。

おやすみ!

 

 

追記)

今日(7/19)からはフンフン語も禁止になるのだそうな!!!👀✨次はどうなるんだろう一体?!なんかすごい能力目覚めたりしてーーー!!!

Humor is Future

楽しむために。

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安定とカオスの間を行ったりきたり。
そうやってバランスをとってるのかもね。
わたしは元気です。

 

 

昨日と今日、たったの二日間で起きたことと感じたことをここに一気に書きます。

 

 


多分、自分には(というか誰でも、どんな大人にもきっと)ほんとうは子どもみたいな性質がすごくあるんだろうなと思う。

 

運命の流れに逆らわず生きてきた結果、一つの個性をもった一人の人間であるのと同時に、二人の女の子のお母さんでもあるというわたし。

 

「母親で、シングルで、バツイチで、アラフォーで。世に言うところの『ハードル』みたいなもの、たくさん抱えてそうなものなのに、それらを軽々飛び越えて恋でも就職でも起業でも、なんでもしていくよね君は。」

長いこと私の有様を見守ってきてくれた旧友に先日、そう言われてほんとそうだなと思った。頭悪いだけだよとも言える気がするけど、でもそんな自分のこと結構気に入ってる。多分子どもと一緒で、未来を予測して行動起こすってことが苦手なんだと思う。日々自分の生活の一つ一つを大切にしながら暮らしながらも、強烈な「こうしたい」が生まれた時には考えるより先にもう走ってる。そんな性質が確かにある。

それでいい。自分の好きなように生きること。自分のご機嫌を自分で取りに行くこと。このことが、最終的には、家族を含めたわたしの大事なひとたちに幸せな影響を与えてくれるだろうと信じてる。

 

 


前置き長くなりましたが、それでも昨日の朝は、「こうしたい」と「こうしなきゃ」の間でそれなりに揺れていたのですよ。

 

「こうしたい」は、今、言ってみれば最高に無駄で、それでいて最高にクールで最高に楽しい本気の遊びをやってるこの人たちのイベント

 

『超沈黙型エンターテイメント』 〜神様たち10日間も喋らないで歩くらしいよ?マジ無理じゃない?え、それうちがやるの?絶対死ぬやつだってぇ卍SP〜
https://www.facebook.com/events/452450735133488??ti=ia

 

このスタート地点の静岡駅に、まゆさんとカヤノさんとリヤカー等大荷物を、レンタカーに乗せて運ぶってこと。こんな楽しいお仕事ありますかいと思った。

 

「こうしなきゃ」は、なんてことはない、洗濯物がたまってるから片付けなきゃなあとか、みずすずさんの晩ご飯なんとかしなきゃなあとか、そんなところ。
「なんてことはない」と書いたのは、実際、ほんとうは「なんてことはない」んだ。
一日くらい洗濯しなくたって誰も困らないし、すっかり大人なみずすずさんは日々、私が夕飯を作り出すのを待たずに勝手に台所に立って食べたいものを自ら作りだすような人たちだ。それに、壁一枚隔てた向こう側にはいつだって親愛なるぺこさんが居てくれて見守ってくれている。

 

冷静に考えれば「なんてことはない」のに、「作らなきゃ」「やらなきゃ」が半自動的に生まれるこの不思議。自分が母親なんだってこと思い出す瞬間。

 

まあとにかくだ、「こうしたい」と「こうしなきゃ」の間で、昨日の朝は2時間くらい揺れてみて、でも結局は「こうしたい」のほうを選んだ。

 

 

ゆっくりのんびり静岡に向けて進む道中、車の窓からはカオスな光景。右の窓からは連なる山々、神様たちが降臨しそうなほど眩ゆい光が雲の隙間から強烈に差し込んでいて、逆に左の窓の向こうは暗く、遠く海上には色濃い雨雲が何箇所も。雨が降っている場所と降っていない場所とがわかりやすく垣間見られた。なんだか天空にいて天変地異を見守ってるみたいだった。

 

あいぼんと待ち合わせしている熱海駅に到着すると、あいぼんに初めましてを言う間も無く、マック赤坂氏に遭遇する。一人踊っているマックさんに合流して踊り出すまゆぼん姉妹。マックさんをいじくり倒すあいぼん。なんだなんだこのボーダーレス感。先日映画「立候補」をみたときの衝撃をマックさんに伝える。LINEを交換する。近日中にマックさんの自宅に遊びに行かせてもらうことになった。なんだこの展開。なんだこの奇跡。

 

 三人と夕食を食べるためにファミレスに入る。

明日から喋れなくなる三人。初めましてのあいぼんは、今のうちに喋っとけとでも言わんばかりに怒涛のマシンガントーク。言葉が速すぎて多すぎて、100個言ったうちの1個はわたし理解したか?という感じだった。笑

理解はとにかく、可愛すぎてエネルギーが爆裂しすぎてて元気をもらったことだけは間違いない。(でも今晩熱でそう笑)

 

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可愛いあいぼん。言葉が拾えなくてもw、大好き!

 

 

夜は、はじめましての人のお家に好意で泊めてもらう。はじめましてだし、全員訳のわからない仕事?してるメンバーなのに、まゆぼんひでの在り方をすごく面白がってくれているのが伝わってきて自分ごとみたいに嬉しかった。この面白さをわかってくれる人たちがいる。日本、全然捨てたもんじゃないね。笑

 

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山ほどの「初めて」に出会うなあと思う。37年も生きてきたのに、世界のことなんてまだまだ、ほんとに全然知らないねと思う。

 

好きなだけ笑ってていい。
ずっとふざけてていい。
いくらでも真剣に遊んでていい。

好きな未来を描いていい。

夢を形にしちゃっていい。

 

そんなこと、大人になってからも許されちゃうんだな、というか、自分で自分に許してるつもりでいたんだけど、まゆぼんひでさん達見てると全然、まだまだまだ上がいるなって思っていよいよ嬉しくなる。一緒にもっともっと遊びたい。

 

誰の許可も必要とせずにラブ&ピースというかラフ(laugh)&ピースというか、「もうやっちゃってる」彼らの在り方は、他でもないアートだと思ってる。そして同時に平和革命でもあると思う。「勝手にやっちゃってるね革命」とでも言おうか。(誰か!もっといいネーミングくれ!)ラブ&ピースは、国や政治家を変えようとしたりブーイングするよりも、ずっとずっと早い速度で叶えることができる。いま、ここから、目の前にいる人たちと一緒に、自分の立ってる場所からはじめることができる。笑おう。楽しもう。大好きな人たちに優しくしよう。

小さな小さな革命。だけど「もう始めちゃってる」以上の速度に敵うものはないよね、と思う。そしてこのラブ&ピースは、空気やネットを通じてほかの人たちに勝手にきっと伝染してしまう。

 

「世界を1mmだけゴキゲンにするお仕事」的なことをカヤノさんが前に言ってたかなあ。

 

「世界平和は家庭から」これはマザーテレサの言葉だったかなあ。

 

まゆさんも、いばやも、あいぼんも、カヤノさんも、マザーテレサも。
もうみんなみんな、自分から勝手に始めてる。


そんな人たちの存在に触れて、一緒の時間を過ごして、暖かく軽くなっていくわたしの今のこの気持ちを、なんて表したらいいんだろう。

 

「ありがとう」
「大好き」
「このままでいこう」

「このままどんどん好き勝手やっちゃってくれ!」
「もっともっと、笑おう!遊ぼう!」


勝手に拡がれ、LOVE&PEACE!!!!

 

最高に楽しかったこの二日間。

10日間一言も喋らないという本気の遊び&実験をしちゃってる彼らの動向がこれから楽しみすぎる。

 

つい先ほど、静岡駅で彼らの出発を見送った。『最高のゴキゲン』を手土産に、みずすずさんの待つわたしのホームにこれから帰るよ!

 

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