On the way always

日々の記録と、思うこと徒然。自分のために綴ってます。

沈黙記

今年も「謝々謝々」何かに感謝しまくりながら鳴きつづける(みたいだなあと私が勝手におもってる)蝉の声が聴こえ始めました。夏本番。

 

 

本日参加してきました、こちらのイベント。

 

 『超沈黙型エンターテイメント』 〜神様たち10日間も喋らないで歩くらしいよ?マジ無理じゃない?え、それうちがやるの?絶対死ぬやつだってぇ卍SP〜
https://www.facebook.com/events/452450735133488??ti=ia

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大場駅から来宮駅まで16キロ。
沈黙して山道を歩きながら思ったこと、メモったことを一気に!書きます!

 

 

・普段からお喋りじゃないくせに、喋っちゃダメって思うと、、、

超絶喋りたくなる!!!!!!!

 

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↑喋りたすぎる

 


・コミュニケーションは喋れる喋れないに依らず?喋れても喋れなくてもコミュニケーション取れる人は取れるし取れない人(とき)は取れない。

 

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・人生初リヤカー押した!なんか興奮した。ヤドカリ感あった。

 

・中高校生とか大学生くらいのときにやっても良さそうな冒険を大人になってからも一緒にやってくれる人たちがいて、出会えて、一緒に遊べてなんてラッキーなんだわたし!とおもう。

 

 

・炎天下の下、特に意味なんてない、ただ黙って歩き続けたらどうなるかを見てみたくて歩く。歩く。歩く。風が、木陰が、冷たいお茶が、笑い声が。ただただ最高にありがたい。

 

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いろいろ思いだしたり、いろいろ思うところあったり、します…。

 

・言葉使わないからこそできるコミュニケーションがある!ふふふんふんふふんふふん、ふんふんーー!!ってなんか無邪気な感じ。おちゃめ。たのしい!そうだこれはチャップリンの世界だ!もしくはまるで外国のアニメ見てるみたいだ!

 

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ピングーのアニメが大好きなのですが、ピングーたちのやりとりとかぶり過ぎて笑った。

 

pingu1「ピングーのバレンタインデー」 - YouTube

 

 

・沈黙といっても、「言葉」使わないだけでめっちゃコミュニケーションとってる!


・まゆさんとヒデさんが喋れないのに見事にふんふん言いながら身体を動かしながらコミュニケーションとってる様子はまるでコント。笑い無くして直視できない。

そして言葉が使えないと、表情とか仕草とかで一生懸命伝えようとするようになるからか、普段真顔なときの多いヒデさんの表情がめっちゃ豊かになってて、顔芸?だけで何回わらったかわからなかった。そして言うまでもなくまゆさんは生粋の芸人!表情くるくる感とボディランゲージは日本人離れしてるしウルトラ可愛い!!😍😍😍

 

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・脚の力で歩こうとすると重い、、足の裏が痛くなって来て、疲れる。歩きやすい歩き方を、「こうか?こうか?」と探りながら歩いているうちに、足裏ーーかかと、土踏まず、足指の裏側全部に力込めて歩くと急に身体全体が軽くなって歩きやすくなることを発見する!!

 

・カヤノさんがリヤカー慣れしててびびる。
狭くて長いトンネル抜けるとき、トンネル内に長く居るとそれだけ危ない時間が長くなるからと一人猛ダッシュでリヤカー引いて駆けていった姿はかっこよかった。トンネルの長さ1.2キロ。人力車仕込みはすごいなあ!と思った。そしてさすが日本列島縦断経験者。

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・すれ違う人、出会う人、興味持って声かけてくる人みんなが優しくてびびる

 

・まさねえの冷却力(みんなに冷たい飲み物と氷を配る能力)にびびる。ナイチンゲールまさこ。。。

 

・まゆさんの底抜けの柔軟性にひびる。洗濯物をリヤカーからわたしの日傘から色んなところに干しながら歩く。愉快なり!ぱんつだって干しちゃうよ!

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・山間は風が本当に気持ちいい。クリアで冷たい風に吹かれるだけで疲れが吹き飛ぶ。

 

・突然の天候の変化。怪しい雲行き。嵐の前兆のようなざわざわした風。山道のなか奇跡的なタイミングで雨宿り場所みつける。

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・お店に入るとすぐに雷鳴と豪雨。アマテラスオオミカミに「鎮まりたまえ〜」的な祈りの舞を捧げ(てると思われ)るゴッチャパウォニカ(まゆちゃぱうぉひめ)

 

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30分で止んだ。笑

 

 

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・もうこのまま残りの人生はぜんぶ夏休みでいこうと思った瞬間

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・「言葉がなくても案外通じ合えるね!言葉なんてかえってないほうがいいこともあるのかもね」たくさん話しかけてきてくれた、陽気な蕎麦屋の店主さんの言葉。

 

・「大好きな人のためにも自分を強く生きる」
大スコールが去って雲間から光が射し込んでくる様を見ていたらふと降りてきた言葉。

 

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蕎麦屋の店主さん。さよならしたあとで、しばらくしてから後ろから車で追いかけてきて、お菓子を差し入れくれた。感謝で号泣。

「面白いことしてるねー!うちに泊めてあげるよ!」とまで言ってくれた!優しい。。

 

・初めて会う人のうちに泊めてもらう。画家兼ダンサーの彼と、喋れないのに筆談も交えつつ(彼は時々喋りつつ)話が合いすぎて面白かった。
『きっと体は、一番美しい形を知っているから
それに従うだけ』

絵もダンスも、ちゃんとやろうとしすぎない。気負わない。最高にリラックスして。身体に任せよう。

『喋らないってことは、「あのときああだった、こうだった」って過去の話はできないから、「今」の話しかできないから、要するに『今」しか無いってことだよね?』と彼が言ってて「ふんふんふんふんーーー!」頷きまくった。ほんとに。まさにその通りで。

『こういうお客さんを家に迎えるのは人生初だな。。。例えば宇宙人 がうちに突然来て、もてなしたりしたらこんな感じなのかもね笑』

おかしな来客、おかしな状況を一緒に楽しんでくれる柔軟な彼ら。

 

 

と、まあこんな感じかな。おわり!

何にもまとまってないけど、何にもまとめないまま寝ます。今日はたくさん遊んだな…ああもう満足。眠さも限界。

おやすみ!

 

 

追記)

今日(7/19)からはフンフン語も禁止になるのだそうな!!!👀✨次はどうなるんだろう一体?!なんかすごい能力目覚めたりしてーーー!!!

Humor is Future

楽しむために。

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安定とカオスの間を行ったりきたり。
そうやってバランスをとってるのかもね。
わたしは元気です。

 

 

昨日と今日、たったの二日間で起きたことと感じたことをここに一気に書きます。

 

 


多分、自分には(というか誰でも、どんな大人にもきっと)ほんとうは子どもみたいな性質がすごくあるんだろうなと思う。

 

運命の流れに逆らわず生きてきた結果、一つの個性をもった一人の人間であるのと同時に、二人の女の子のお母さんでもあるというわたし。

 

「母親で、シングルで、バツイチで、アラフォーで。世に言うところの『ハードル』みたいなもの、たくさん抱えてそうなものなのに、それらを軽々飛び越えて恋でも就職でも起業でも、なんでもしていくよね君は。」

長いこと私の有様を見守ってきてくれた旧友に先日、そう言われてほんとそうだなと思った。頭悪いだけだよとも言える気がするけど、でもそんな自分のこと結構気に入ってる。多分子どもと一緒で、未来を予測して行動起こすってことが苦手なんだと思う。日々自分の生活の一つ一つを大切にしながら暮らしながらも、強烈な「こうしたい」が生まれた時には考えるより先にもう走ってる。そんな性質が確かにある。

それでいい。自分の好きなように生きること。自分のご機嫌を自分で取りに行くこと。このことが、最終的には、家族を含めたわたしの大事なひとたちに幸せな影響を与えてくれるだろうと信じてる。

 

 


前置き長くなりましたが、それでも昨日の朝は、「こうしたい」と「こうしなきゃ」の間でそれなりに揺れていたのですよ。

 

「こうしたい」は、今、言ってみれば最高に無駄で、それでいて最高にクールで最高に楽しい本気の遊びをやってるこの人たちのイベント

 

『超沈黙型エンターテイメント』 〜神様たち10日間も喋らないで歩くらしいよ?マジ無理じゃない?え、それうちがやるの?絶対死ぬやつだってぇ卍SP〜
https://www.facebook.com/events/452450735133488??ti=ia

 

このスタート地点の静岡駅に、まゆさんとカヤノさんとリヤカー等大荷物を、レンタカーに乗せて運ぶってこと。こんな楽しいお仕事ありますかいと思った。

 

「こうしなきゃ」は、なんてことはない、洗濯物がたまってるから片付けなきゃなあとか、みずすずさんの晩ご飯なんとかしなきゃなあとか、そんなところ。
「なんてことはない」と書いたのは、実際、ほんとうは「なんてことはない」んだ。
一日くらい洗濯しなくたって誰も困らないし、すっかり大人なみずすずさんは日々、私が夕飯を作り出すのを待たずに勝手に台所に立って食べたいものを自ら作りだすような人たちだ。それに、壁一枚隔てた向こう側にはいつだって親愛なるぺこさんが居てくれて見守ってくれている。

 

冷静に考えれば「なんてことはない」のに、「作らなきゃ」「やらなきゃ」が半自動的に生まれるこの不思議。自分が母親なんだってこと思い出す瞬間。

 

まあとにかくだ、「こうしたい」と「こうしなきゃ」の間で、昨日の朝は2時間くらい揺れてみて、でも結局は「こうしたい」のほうを選んだ。

 

 

ゆっくりのんびり静岡に向けて進む道中、車の窓からはカオスな光景。右の窓からは連なる山々、神様たちが降臨しそうなほど眩ゆい光が雲の隙間から強烈に差し込んでいて、逆に左の窓の向こうは暗く、遠く海上には色濃い雨雲が何箇所も。雨が降っている場所と降っていない場所とがわかりやすく垣間見られた。なんだか天空にいて天変地異を見守ってるみたいだった。

 

あいぼんと待ち合わせしている熱海駅に到着すると、あいぼんに初めましてを言う間も無く、マック赤坂氏に遭遇する。一人踊っているマックさんに合流して踊り出すまゆぼん姉妹。マックさんをいじくり倒すあいぼん。なんだなんだこのボーダーレス感。先日映画「立候補」をみたときの衝撃をマックさんに伝える。LINEを交換する。近日中にマックさんの自宅に遊びに行かせてもらうことになった。なんだこの展開。なんだこの奇跡。

 

 三人と夕食を食べるためにファミレスに入る。

明日から喋れなくなる三人。初めましてのあいぼんは、今のうちに喋っとけとでも言わんばかりに怒涛のマシンガントーク。言葉が速すぎて多すぎて、100個言ったうちの1個はわたし理解したか?という感じだった。笑

理解はとにかく、可愛すぎてエネルギーが爆裂しすぎてて元気をもらったことだけは間違いない。(でも今晩熱でそう笑)

 

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可愛いあいぼん。言葉が拾えなくてもw、大好き!

 

 

夜は、はじめましての人のお家に好意で泊めてもらう。はじめましてだし、全員訳のわからない仕事?してるメンバーなのに、まゆぼんひでの在り方をすごく面白がってくれているのが伝わってきて自分ごとみたいに嬉しかった。この面白さをわかってくれる人たちがいる。日本、全然捨てたもんじゃないね。笑

 

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山ほどの「初めて」に出会うなあと思う。37年も生きてきたのに、世界のことなんてまだまだ、ほんとに全然知らないねと思う。

 

好きなだけ笑ってていい。
ずっとふざけてていい。
いくらでも真剣に遊んでていい。

好きな未来を描いていい。

夢を形にしちゃっていい。

 

そんなこと、大人になってからも許されちゃうんだな、というか、自分で自分に許してるつもりでいたんだけど、まゆぼんひでさん達見てると全然、まだまだまだ上がいるなって思っていよいよ嬉しくなる。一緒にもっともっと遊びたい。

 

誰の許可も必要とせずにラブ&ピースというかラフ(laugh)&ピースというか、「もうやっちゃってる」彼らの在り方は、他でもないアートだと思ってる。そして同時に平和革命でもあると思う。「勝手にやっちゃってるね革命」とでも言おうか。(誰か!もっといいネーミングくれ!)ラブ&ピースは、国や政治家を変えようとしたりブーイングするよりも、ずっとずっと早い速度で叶えることができる。いま、ここから、目の前にいる人たちと一緒に、自分の立ってる場所からはじめることができる。笑おう。楽しもう。大好きな人たちに優しくしよう。

小さな小さな革命。だけど「もう始めちゃってる」以上の速度に敵うものはないよね、と思う。そしてこのラブ&ピースは、空気やネットを通じてほかの人たちに勝手にきっと伝染してしまう。

 

「世界を1mmだけゴキゲンにするお仕事」的なことをカヤノさんが前に言ってたかなあ。

 

「世界平和は家庭から」これはマザーテレサの言葉だったかなあ。

 

まゆさんも、いばやも、あいぼんも、カヤノさんも、マザーテレサも。
もうみんなみんな、自分から勝手に始めてる。


そんな人たちの存在に触れて、一緒の時間を過ごして、暖かく軽くなっていくわたしの今のこの気持ちを、なんて表したらいいんだろう。

 

「ありがとう」
「大好き」
「このままでいこう」

「このままどんどん好き勝手やっちゃってくれ!」
「もっともっと、笑おう!遊ぼう!」


勝手に拡がれ、LOVE&PEACE!!!!

 

最高に楽しかったこの二日間。

10日間一言も喋らないという本気の遊び&実験をしちゃってる彼らの動向がこれから楽しみすぎる。

 

つい先ほど、静岡駅で彼らの出発を見送った。『最高のゴキゲン』を手土産に、みずすずさんの待つわたしのホームにこれから帰るよ!

 

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無題

さようなら

次は、明日かもしれないし
来年かもしれない
ひょっとしたら来世かもね

だからさようならは、心をこめて

あたりまえのように毎日会えていても
明日も会えるかどうかなんて
確証はどこにもない

またきっと会えますように
そう願ってやまない相手にこそ

心をこめて
毎瞬間
全身全霊のさようならを贈ろう

 

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夜ノ魔法のあとさき


「自分に向かう」ことには、孤独が伴う。何かを選ぶとき、他人の評価や意見に依らないで自分の内側の声を頼りに選ぶことになるのだから、その結果起きてくることの責任は自分が負うことになる。
誰のせいにもできない。人から嫌われるかもしれない。孤立するかもしれない。
でもほんとうの意味で「自分を生きる」って、そういうことなのかもしれない。
そんなことを考えたり感じたりしている日々。

と、こう書いてみるとなんだかすっごく厳しいことばっかり考えてない?って自分で自分に問いたくなっちゃうけど、今の自分にとってはそうすることが心地よいからただそうしてる、としか言えない。
今は自分に向かうことに集中しているけど、飽きるようなときが来たら多分さらりとやめるだろうと思う。(どうかな、こればかりはやめられないのかな)

先日、喫茶店で夜ノ魔法シリーズ。
△カンケイのハジメカタ。
https://www.facebook.com/events/822400141249407/?ti=icl

親密な人間関係の新しいかたちを見せてもらって、とても嬉しい気持ちになった。
三人が三人とも、強烈な個性の持ち主、唯一無二、その上三人の表現や在り方がわたしの好みに全員ヒットするという奇跡の組み合わせで、本人たちが新しい関係性を楽しんでいる以上に、私も外から見て楽しませてもらっている感がある。

生きているうえで生まれるどんな感情も、エンターテイメントだなと最近思う。
喜びや可笑しさや楽しいこと、そういう明るいテイストのものはもちろん大好きだけれど、悲しみや怒りや心のざわつきも、どれも自分に「自分」を知らせてくれるきっかけになる。生きている実感にもつながる。

あー、ざわついてるなあ。
ううーん、悲しいのね。
そらまじでむかつくね!

そんな風に自分に一言言ってあげるだけで、「じゃ、それ感じたうえで、次どうしよっか?」そんな問いはまたひとつ自分をクリアにしてくれる感がある。

そんなことの色々をすごくスマートに、葛藤しながらも結局はポップに、現在進行形でできてるのが今回登壇してくれた三人組だと感じてる。そして三人の「なう」を三人で包み隠さずに共有できているというのがほんとうにすごい。それって無敵じゃないか。すごくセンスのいい類の知性を感じるし、ああこうやって人類って進化していくのかもね、と思ったりする。

で、彼らの姿に刺激をもらいつつ、じゃ次に私はどうするの?というところに結局立ち戻る。
わたしはいま、自分の内側で鳴る音が日に日に豊かになっていったらいいと思っている。会いたい人に会いにいく。見たい景色を見にいく。受けたい影響をもらいにいく。益々自分の中の音が自分好みになっていく。そしてその音を愛し続ける日々のなかで、きっとまた素敵な恋ができるんじゃないかなと感じている。


「恋愛とセックスは、人生のなかで比重が大きい。その人の幸福度?を左右する割合が大きい。」というようなことをカヤノさんがイベントの中で言っていて(これをさらっと言える男の人ってなかなかいないな、すごいなと思った)わたしもほんとうにそう思う!と激しく同意した。

ただ盲目的な恋愛脳になればいい、ということじゃなくて。いい恋愛が、自分の世界に与える彩りの豊かさと言ったらない。これはいつの時代も不滅の真実なのではないかな。恋愛もセックスもこれ以上ないほど、他者との深い関わり合いを生み出すことができる気がするから。

だから、恋愛を通して新しい世界を開拓していってる三人の豊かさといったら想像を絶する。世間一般の「こうあるべき」とされた形から外れたところを、心の向くままに自由に歩く三人の視界から見える世界は、いったいどんなものだろうと思う。

だってそっちの世界ーー『恋愛って、こういうもんでしょ?』の形から外れた世界ーーまだ体験したことないんだもの。「どうやらもっと自由な世界があるらしいぞ」と知識として知ってはいても、実際にそこに飛び込んではいないので、それは「知らない」のと同じだと思う。

まゆさんが、三人の関係を通して「これまで2Dの世界しか知らなかったのが、3Dとか4Dの世界があることを体感をもって知っていく感じ」と表現していた。たくさんの世界があると知った、その上で、自分好みの世界を、2Dでも4Dでもなんでも、各々が好きに選んでいったらいいんだって話していたことがとても印象に残っている。そう、世界は広がる。増やせる。そしてその中から、自分の生きたい世界はいつだって自分好みで選べる。

見知った世界だけが全てだと思い込んで、世界を限定すると一気に息苦しくなってしまうものだけど。愛も濁ったりしてしまうものだけど。
彼らの在り方を見ていると、ああなんて世界は、いくらでも豊かに広がっていく可能性を孕んんでいるんだろうと思う。

「こんな恋はじめてだ!」
って笑って叫んじゃうような恋を、去年の今ごろ体験した。
最近その恋が終わって、その時には「もうこれ以上の体験なんて人生に訪れないんじゃないか、私の人生終わったのでは!」なんて絶望的な気持ちに駆られたものだったけど。

いまもなお生き続けているわたしは思う。
三人が恋愛を通して世界を拡張したように、わたしもわたしの世界を、もっと深く、もっと広く、拡張していけるんだろうなってこと。
自分ともっともっと親密になりたい。どんな自分を、世界を、クリエイトしていきたいのかきっともっとよく聴こえるようになりたい。
そうやって、自分の内側の音が豊かになった分だけ、外の世界を自分好みに拡げる余白も増える。そんな気がしていて。

わたしはいま、自分の声を、内側で鳴る音を、ひとつも逃したくない。
ガツガツしてるよ。ギラギラしたい。もっともっと。

と、ここで思い出した大好きな詩があるので、まるごと転載してしまいます。


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「一人は賑やか」 茨木のり子

一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな森だよ

夢がぱちぱち はぜてくる
よからぬ思いも 湧いてくる
エーデルワイスも 毒の茸も

一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな海だよ

水平線もかたむいて
荒れに荒れっちまう夜もある
なぎの日生まれる馬鹿貝もある

一人でいるのは賑やかだ
誓って負け惜しみなんかじゃない

一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい
おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな

恋人よ
まだどこにいるのかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
あってくれ


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「こんな恋はじめて!」
はきっと更新できる。
そう思うと、こうして文章を書きながらもワクワクで身体がリアルに震えて来る。

そんな意味でも、希望を、可能性を目の前で見せてくれる三人に何度でも「ありがとう」と言いたい気持ち。

これからも、ありのままの三人を生きてほしい。最高にクールで正直で探究心満載!な三人の在り方で、魅せてほしい。
わたしも、これからもどんどん、安心して勝手に、益々透明な「わたし」になるね。
愛してるぜ!!!(*≧∀≦*)

愛のカタチは多分無形で無数で無答で

で。全部リアル。

 

いつも喫茶店の窓はいっぱいに開け放っておきたい衝動がある。喫茶店にくる誰もが自分の言葉を恐れずに話していてほしいと思う。
自由な表現の風が表の窓から入って来て、反対側の窓へと吹き抜けていく。この感覚が得られるとき、言葉では表しがたいような充足感がある。

私には多分、もともとそれほど主張したいことだとか「表現したいこと」というものが存在しない。自分が心地いいなと思う空間を作って、そこで寛いでいるだけで幸せを感じられるようなところがある。
ただ、心地よさを共有して、さらにこの空間を表現の媒介としてくれるような人がいることに対しては、棚から牡丹餅的喜びがある。大げさかもしれないけれど、世界にいられてよかった、そんな風に思えてくる。

 

喫茶店のイベントで、team-0の徹くんと今年の2月に初めて開催した《夜ノ魔法》シリーズ。一日店長さんたちによる開店日。

夜+魔法+月というイメージがラムピリカにはある、とのことで、イベントのコンセプトを考えてくれたのは徹くん。
対談形式で、話の内容をメニューにするのはどう?と言う提案をしてくれたのはカヤノさん。

この二人の提案をかけあわせた形が私のハートに見事にストライクして、自らイベント専用のHPを作るほど好きなイベントになった。

https://lampilica.wixsite.com/magic-night

登壇者たちの特徴をあえて無理矢理、まとめて表すのなら、皆「唯一無二」であって「斬新」、そして何より自分自身に対して「客観的」なことかもしれない。自分だけの言葉を持っている人たちというのは、それだけ自分自身のことをよく知っている人たちなんだと思う。冷静で、それでいて言葉や世界に対してクリエイティブで、ほんとうにかっこいいなと、アーティストなんだなと思う。



明日は夜ノ魔法シリーズ第3弾、『△カンケイのハジメカタ』
カヤノさん、みのりさん、まゆさんに登壇していただく。

2、3週間ほど前に、そろそろ夜の魔法シリーズまたやりたいな、次は誰に登場してもらいたいかな…。そう呟いた時、その場にいたくりちゃんが「まゆさんたち三人は?」と返してきてくれて、わたしは、「それだ!!!」と叫んだ。

ちょうどその数日前、まゆさんのブログを読んだとき、なぜか嬉しさが込み上げてきて涙が出た私だった。
ゴキゲンな浮気のはじめ方
http://chapawonica.hatenablog.com/entry/2017/06/01/093833

なぜ涙、なのかはよくわからなかった。今もよくわからない。複数恋愛素晴らしい!とか、思ってるわけでもないし。

ただ思うことは、『ほんとうの愛は自由の中にこそ存在する』のではないかということ。
まゆさんやカヤノさんやみのりさんが、どこまでも自分に対しても大切な人たちに対しても正直に生きてきた結果、互いの自由を尊重し合ってきた結果、あまりに自然に、その新しい愛の形はあらわれた。そのことに感動を覚えたのだと思う。


私は、頭ではあらゆることがわかったつもりになっていても、人間関係の中で何かが起きた時、反応として出てくるものは結構かっこ悪いものが多くて都度参ったりする。「それでもいいじゃん、だって人間だもん」と思えたりもするけれど、それでも彼らがあまりに美しいーーそう、「美しい」と形容したくなるーーそんな生き方を今もリアルに、幸運なことに私の目の前で見せてくれるものだから、私は勇気をもらわずにはいられない。もっともっと美しく生きられるよってことに対して、希望を見出さずにはいられないんだと思う。

愛のことがいつまでたってもわからないわたし。最近はなんだか、変にこんがらがってしまったような感すらあったけど。

愛っていいものだね。きっともっと、想像するよりもずっと、深くて、温かくて、いいものなんだろうね。そんな風に感じ始めていて。

そしてそんな想いに、かなり強力でかなりリアルな、それでいて「お初にお目にかかります」の所見を今、三人からいただいてるんだとおもう。

 

明日。
三人の話を目の前で聞いて、私は改めて何を思うんだろう。その場に集まる人たちは何を感じるんだろう。ワクワクとざわざわが押し寄せてる。

  

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影も光も

形にできないけれど確かにある感情に、言葉を使って輪郭を与える。どこへも行けなかった感情は、輪郭を与えられることでまず目視できるようになり、手に取れるようになる。そうするだけで、人は安心して、またひとつ自分を知る。ほんとうの意味で、またひとつ前に進めるようになる。世界が広がりを見せるようになる。そんな気がしている。



光は魅力的だ。多くの人にとって憧れの象徴。
わたしも例に漏れず、光に憧れる人間。太陽の包容力には癒しをもらい、エネルギーを与えられ、少しでも近づけたらと望む瞬間が、生きていてたくさんある。

だけど忘れたくないことがある。明るさや楽しさや、どうしようもなくばかばかしいことが大好きだけれど、それと同じくらいに静けさが好きだ。ほの暗い、包むような夜が好きだ。


生きているだけで、この世界に存在しているだけで、人間なら誰しもが影を持つようになる。
絵の勉強をしていたときに知ったことだけれど、存在を世界に(画面上に)浮かび上がらせるためには「モノとモノとの接地点」を描くことが必要だった。要するに、接地点にある「影」を描くことが必要だった。そうすることではじめて、真っ白なキャンバスの上で存在が浮かび上がる。対象が対象として捉えらえるようになる。

「影をみる」ということ。
このことは、存在のありのままの姿を認め受け止めるということ。このことに他ならないんじゃないかなと感じる。
多分、「影は悪いもの」としてしまったとたんに逆に影は強さを増し、それと同時に光も強くなる。強すぎる光は、濃すぎる影は、それを持つ本人も、周りのひとも、最終的には苦しめてしまうように思う。

影も光も見てやることなんだと思う。
存在を、知ってやることなんだと思う。
そうすることではじめて、光と影はバランスをもって心地よく存在できるようになる。
誰のためでもない、自分が、自分自身のために見てやりたいと思う。

光も影も、誰の中にもある。自分のなかにもちゃんとある。だから世界に存在していられる。
そしてそのことを知らせてくれるのはいつだって「人」だ。人間関係の中でしか、自分に出会うことはできないんだと思う。
光と影のなか、わたしは人と共に生きていたい。

 

「人間の真ん中は、ほんとうは光なんだと思う。」
友人が話していた言葉。私の中でいま、静かに世界を照らしている。

どんな小さな音も響く

「本当の自分」なんてものは永遠に分からないんだろうなと思う。

 

「自分を信じる」ということが貫けないとき、そんなときにだけ、「ほんとうのこと」が嘘にすり替わってしまうことがある。逆に自分を信じきっているときには、世界の動き方が一変する。どんないい加減な言動であっても信憑性がめきめきと増して、結果的に「ほんとう」になっていたりする。要するに、自分が思い描いたストーリーをいつも生きているのだと思う。

 

自分が何に喜ぶのか、何に深い幸せを感じるのかはできればたくさん覚えておきたいなと思う。見知ったような幸せを再現したいわけじゃないけれど、そして偶然性から生まれる喜びや幸せにかなうものはもしかしたらないのかもしれないけど、「素晴らしい偶然」を引き起こせそうな予感を孕んだ波に乗るのか、それとも白波も立たない、安全そうだけど何だか退屈そうな波にしておくのか。どんな波に乗るのかくらいは、いつでも自分で選べる。

自分はどんな波が好きなのか、知るためには、はじめはどんな波が来てもまずは片端から乗ってみることなんだと思う。 そのうちに身体が覚えていく。

「これたぶん、好きなやつ。」

「次に来てるのたぶん、イヤなやつ。」

 

 

 

停滞するのも悪くない。自分から出てくるものをただ感じているだけの時間。だけどエネルギーはいつだって自分の中を巡って蓄電されていくものだから、散々停滞した後には必ず躍動が待ってる。その時が訪れるまでは安心して停滞しておいたらいい。

 

 

 

ここ最近の私は、躍動か停滞かで言ったらまさに「躍動」、長い長い停滞の時期をやっと越えたのかなという感がある。

ほぼ毎日、ロードバイクで海沿いの道を走り、スタジオをセルフレンタルして一人で好きに身体を動かして自由に踊る。ヨガも再開した。9年も続けていたのにこの1年はすっかりさぼった。鎌倉でアシュタンガの、とても好きなヨギーを見つけて、その人に教わり直すところから始めてる。

どれをするときもTシャツが汗で絞れそうなほどに動く。最近の海と、雨のない6月の陽気の中で過ごしていたらサーフィンも再開したくなった。夏用のウェットスーツを昨日買った。

 

 

喫茶店、ここ10日ほどの間は、約2日に一度の頻度で開店している。

最初の頃は、友人やお客さんの誰かしらが背中を押してくれた。そして「最近は、直前告知で開店すると何かしら面白いことが起こるな」という新しい味を覚えて、開店率上昇に勢いがついた。

ほんとうに不思議だ。つい先日までは、喫茶店はもう閉店するか人に譲るかしか選択肢がないように思えていたのに。

最後のお客さんが帰った後は大体、本とギタレレを持って一人で海に行く。お客さんと一緒に行くこともある。

陽が沈むまでの時間を海辺で過ごす。海の水はこの季節、すでにすっかり温くて、足を浸すのにちょうどいい。

 

身体を動かすと心も巡る。不思議と友達も巡る。気のせいかお金も回り始めた。

 

環境の方は私の躍動期を待たずに少し前から勝手に巡り始めていて、具体的には喫茶店施設のあらゆるものが勝手にリニューアルされていっている。今は屋根の総張り替えという大工事中。来月はNYに住む妹が帰国するので、その時に合わせて、NYの私の好きなお店で喫茶店の新しい食器をたくさん買ってきてもらう。きっと古い食器をたくさん処分するので、ガレージセールがまた喫茶店の前で繰り広げられることになりそうだ。

 

 

親愛なる詐欺師、カヤノさんに、最近喫茶店のプロデューサー的な何かに就任してもらった。表向き?の肩書きは「社外無責任役」(笑)

これまでの喫茶店の企画で、わたしのツボにヒットするものは、原案が大体カヤノさん発信だということに最近気がついて、改めてお願いしてみたら快諾していただいた。

 

カヤノさん発案による次なるトライは、「仮想通貨」(Bitcoin

喫茶店でドネーション制を導入してから早くも半年以上が経つのだけど、これは私の中で軽く命を賭けた(喫茶店の存続を左右するのでw)遊びだった。で、散々遊んでみたら、この遊びは準備が楽チンな上にすごく面白いことがわかったので、今度はドネーションに仮想通貨(このワードの響き…ワクワクする!)を加えて新しく遊んでみようと思ってる。今度は何が起きるかな。

 

「お金を稼ぐために働く」ことに対しては依然として心踊らないし身体もてんで動いてくれないけれど、「お金で遊ぶ」とか、「遊びながら働く」ためなら俄然動けるんだな自分。。。ということを改めて目の当たりにしていて、ああ、この社会で今日も自分が生きているのは奇跡だな…ありがとうございます世界……と思ったりする。

面白い遊びや実験や、とにかく「素敵!」なことをこれからも増やしていきたいと思う。これからも、そんな喫茶店のあり方を面白がったり、愉しんだり、応援したいと思ってくれる人たちが集ってくれたらいいな。一緒に遊んでくれる人が増えたらいいな。

もし人が集わなくなったら、その時はきっと、私が楽しめていない時か、センスが尽きて「御役御免」という時なんだと思う。潔く、隠居するなど考えるとしよう。笑

 

 

 

ここまで書いたものを今読み返してみて、なんか、アクティブな人って感じがするな…と思ったので補足すると、四六時中動いているわけでは全然なく、夜は子どもたちよりも早い時間に布団に入って夢も見ずに深く眠るし、日中も隙あらば寝たり本を読んだりしている。時々不思議な感情がふうわと内側から湧いてきて、じっとして、なんだろと味わっている時も多い。

 

新しいものや躍動をわかりやすく求めているというよりは、動くことで自分の「好き」を再確認しているような時間だなとも思う。

空いた時間には、もうこれまで何度も何度も読み返してきた好きな本や漫画を、さらに読み返している。自分に何度でも刷り込んでいきたくなるような言葉。絵。

そんな中で、細野晴臣さんの世界観が私は本当に好きなんだなと改めて感じてる。彼の音楽もさることながら、著作「アンビエント・ドライヴァー」は何度読んでも、読み返すたびに新しい「未知」にであう感覚があってとても好い。そして不思議と、「未知」なのにどこか懐かしさも覚える。これは何だろうなあ、と思う。深い深いところからの安堵感が生まれる。

 

アンビエント・ドライヴァーから、とてもいいなと思うところをいくらか抜粋して今日の日記は終わりにします。

 

「考えてみれば、太古の時代には自分一人で演奏し、聴くような音楽があった。現在でも、少数民族にはぼそぼそと歌う人たちが多い。また、フィリピンのイゴロット族の鼻笛は、文字どおり鼻で吹く笛なのだが、非常に小さな音しか出ない。どうやら自分が聴こえればいいということらしい。彼らは、自分を通して世界とつながっていることを実感しているのだ。そして、どんなにひそやかな音でも世界に響いてしまうことを知っているのだ。だから彼らには、ひそやかな自分だけの音楽という意識もなければ、孤独感もない。」

 

「脚を骨折したことがある。身動きがとれないほど仕事が忙しく、煮詰まっていた頃、大雪の日に足を滑らせて転んでしまったのだ。おかげで契約はすべて白紙に戻り、半年ゆっくり過ごすことができた。無意識のうちに何かが整うと、よかれあしかれ何かが起こる法則があるようだ。その準備が整った状態を「受けができる」というらしい。常に受けの状態でいることは難しい。一通りの経験をしていないと余裕がないから、何かが起こると慌ててしまう。痛い目に遭わないと、受けは定まらないものらしいのだ。もっとも、僕は元来怠け者でものぐさときている。だから、寝て待つのは一番性に合う。いつの間にか「果報は寝て待て」が身についてしまったのかもしれない。」

(2月に仙骨を痛めて歩けなくなった時、「ああ今の自分に必要なことが起こったんだなきっと」と割と冷静に思えたのは、晴臣さんの影響だったのかもしれないないなと、読み返していて思った。)

 

「かつて、僕は友人からもらった不思議な石を宝物にしていた時期がある。それを失くしてしまった時には、ひどくショックを受けた。だが、その時初めてモノにこだわらなくていいことに気づいた。モノというのは、何かを教えてくれるに過ぎないのだから。その他にも、僕は大切なレコードのコレクションや楽器を失くしている。モノを失くすと、モノとモノの間が見えてくる。知るというのは、結局そういうことなのではないか。」

 

 

無理なく自分に入ってくる、力の抜けたような言葉。

でも多分、うまく言えないけれど、もうずっとずっと昔から、もしかしたら生まれる前から自分の中に在ったことを、晴臣さんが言葉にして話してくれているだけのような気もする。

 

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